コックの弟耕介が照れくさそうに復帰して一週間、彼と僕との間には自然にいくつかのルールができていった。朝の仕込みは、僕。午後、コックの休憩時間の店番は、耕助。夜の片付けと掃除は、二人一緒に。ということになった。耕助のアパートからの距離と彼が朝に弱いことをお互いに考慮した結果だった。しかし、午後に数時間の自由になる時間を必要としていた僕が、早朝の仕込みを積極的に引き受けた結果でもあった。
ランチタイムが終わった後の僕は、忙しくなった。東京で下宿生活を送っている同級生数人と奈緒子に手紙を書き、週に3度は京都に通った。
下宿はすぐに見つかった。ほとんどイメージ通りの町屋の二階。三畳一間の月3000円。9月半ば引っ越しの約束で、半月分多く払うことにして簡単な契約書に押印した。
東京三人組にも四回会った。続けざまに彼らのアパートに行き、その暮らしぶり、こだわりに接していると、少し東京に慣れていくような気がした。東京旅行が長期間に亘る場合に役立ちそうな情報ももらった。高田馬場に一泊100円か150円の旅館があること。マイアミという喫茶チェーンは主要な繁華街には店を持っており、おそらくそのどれもがオールナイト営業のはずであること。その二つを知っておけば、一ヶ月2万円で暮らせるであろうこと。など、参考になることもあったが、彼らが東京について語り始めると必ずディテールの知識を披瀝し合い、やがてはそれが郷愁を誘うようだった。皮膚感覚に乏しい彼らの話を聴きながら、僕は改めて、東京は生身で付き合える場所ではない、と思うのが常だった。
店に戻ると早速鼻を付く中華の匂いに心が安らいだが、コックと耕助のやり取りを耳にするとまた、ざわめいた。段取りはできた。お金の心配をする必要もなさそうだ。後は、決行あるのみなのだが、ただ一点気になるのは、大学の状況だけだった。奨学金の打ち切りという事態は避けなくてはならない。
1970年9月14日、レンタカーの軽トラックに荷物すべてと僕を載せて、引越しが完了した。屋根裏部屋にちんまり収まってみると、そこはまるで住み慣れた家の僕のための部屋であるかのようだった。これからしばらくは、「通いの店員」として働かなければならないと思うと、気が重かった。
気を取り直し店に戻ると、そんな僕の心境を知っていたかのように、コックに話を持ちかけられた。
「どや?新しい下宿は?」
「狭いけど、落ち着きますよ。僕にはちょうどいいみたいですよ」
「そうかあ。よかったやないか。‥‥東山仁王門言うてたなあ‥‥ここまで遠ないか?通うのしんどうないか?」
ちょうど客が途切れた一瞬、洗い物をしている耕助の窺うような目が頬に痛い。僕は突然面倒臭くなる。
「約束より一ヶ月早いんですが、耕助さんと交代させてもらってもいいでしょうか。学校も始まりますし、やっぱり遠いんで。今日往復してみて、ようわかりました」
コックに申し訳なさそうに言うと、一瞬浮かんだ安堵の表情を押し殺し、コックは眉間にシワを寄せて大袈裟に腕を組んだ。耕助の方をみると、一旦絞った蛇口をまた広げ、水音高く洗い物に受注しているふりをしている。二人の間ではもう話は出来上がっているに違いなかった。
それからはあっという間だった。
「用意してたように見えるやろう?そんなことないんやで。たまたまやねんで。しっかり確認してや」
と差し出された封筒を開けてみると、8月25日から9月14日まで19日分の給料19000円と退職金30000円がメモと一緒に入っていた。給料が1日分少ないことと退職金が1万円少ないことは口にせず、僕は礼を言って受け取った。
むしろ、ほぼ5万円の大金に、浮き立つような気分だった。早く自分の部屋に戻ってゆっくり眠りたいと思った。
二人に二度お礼を言って店を出た。駅に向かう前に店の脇から覗くと、まだ荷解きされていない荷物が、朝まで僕の部屋だったドアの前に山積みになっていた。
つづきをお楽しみに~~。
Kakky(柿本)
第一章“親父への旅”を最初から読んでみたい方は、コチラへ。
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第三章“石ころと流れ星” を最初から読んでみたい方は、コチラへ。
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