昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―27

2017年04月13日 | 日記

翌朝、とっちゃんに掛ける言葉を考えながら、いつものように新聞を配り終えた。

そっと販売所の引き戸を開けると、とっちゃんの顔が真正面にあった。とっちゃんは、いつものようにいつもの場所に腰掛け、いつものようにタバコを咥えていた。

「グリグリ~~。お疲れさん~~」

その声もまたいつものように明るく、大きかった。

階段下には、珍しくみんなが揃っている。

何かを考えている顔の大沢さんの横に桑原君。その隣に、配達から帰ったばかりと思われる山下君。桑原君とはすっかり仲良くなっているように見える。

おばちゃんがお菓子のお盆を持って現れる。いつもより早い。山下君の配達が早く終わったからだろうか。

「お茶もすぐ持ってくるし、仲良く食べるんやで」

すぐ延びてきたとっちゃんの手にお盆を預け、おばちゃんは奥へ。お菓子のお盆はいつものようにとっちゃんの陰へと移された。

とっちゃんが身体を捻り、右手をお菓子のお盆の方へ伸ばす。そして、掴み取ったキスチョコをポケットに入れ、お盆を僕たちに「みんな~~、食べたたらどうや~~」と差し出す。それが、いつもの手順だ。

がしかし、その朝は違った。

身体を捻ったとっちゃんは、お盆を右手に立ち上がった。そして、お盆を左脇に抱えたかと思うと、右手でキスチョコを選んではポケットに入れ、選んではポケットに入れ、をした挙句、みんなの視線が集まっているのを確かめてから、最後の一掴みをゆっくりポケットにねじ込んだ。

密かに隠れて行われていた犯罪が白昼に晒されるのを、僕たちは呆然とただ眺めるばかり。小さく開いた口からは、出てくる言葉もなかった。

僕たちの視線を受け、とっちゃんはその一つひとつを見つめ返し、見下ろし、キスチョコを捻じ込んだ手をポケットから出し、広げて見せる。

「あれ?キスチョコあれへんなあ」

悪ふざけでやっていることだとしても度が過ぎている。小馬鹿にするような言い方、表情に、僕の中に怒りが噴き上がった。

「とっちゃん!なに?それ?」

「ん?あかんか?」

しれっとした顔を向けてくる。

桑原君が怒った。

「なんや、こら!何やと?!」

とっちゃんは、しかし、いつもとは違った。桑原君の怒りにもひるまない。

「キスチョコ、欲しいか?欲しかったら、さっさと取ったらええやないか」

「馬鹿にしとんのか、こら!」

立ち上がった桑原君が、靴を脱ぐ。階段を上がっていこうとする構えだ。

それでもとっちゃんはひるまない。

「馬鹿にしとんのはどっちや?そっちやないか!」

桑原君の足が止まる。

「まあまあ」

大沢さんが桑原君の肩を叩き、とっちゃんを見上げる。

「でもなあ、とっちゃんもとっちゃんなんやで」

「なんでや。なにがや。なにがアカンちゅうんや」

とっちゃんは大沢さんにまで嚙み付く。

「とっちゃん。みんながキスチョコ欲しいの、わかってるんやろ?」

僕も身を乗り出した。

「そんなもん、わかってるわい!」

とっちゃんの怒りのこもった目が見下ろしてくる。

「せやったら、みんなに分けた方がええんちゃう?」

努めて冷静に言ったつもりだったが、自分が口にした言葉の内容に力が抜けてしまう。キスチョコを分ける、分けない、という幼児の諍いレベルの話ではないか。

「なんや。みんな一緒ていうことやないか。それやったらそう言うたらええやんか」

確かにそうではあるのだが‥‥。そうではあっても‥‥。とは思うものの、僕はどう言っていいものかわからない。

「僕は、やり方が汚いんだと思う」

山下君がぽつりと言う。みんなが揃っている時の山下君の発言は初めてだった。全員の驚きの目が山下君に集中した。

「そうやなあ。我慢するとか、せめて隠すとかいうのも、礼儀やもんなあ」

ひと呼吸あってから、大沢さんが誰に向かってでもなく言う。宵山の人混みの中での振る舞いにも触れているような気がする。

「なんや、ザワザワ。いつも偉そうやなあ。わしと同じ新聞配達やんか。ずっと二階におるだけやん」

一目置いているはずの大沢さんに、とっちゃんが噛み付く。

大沢さんは、とっちゃんに一瞬だけ目をやり、その目を黙りこくっている桑原君に向ける。

「グワグワかてそうや。先生でもあれへんのに、なんや偉そうにしてるだけやんか」

とっちゃんの矛先が桑原君に向かう。

「とっちゃん!」

思わず、僕は大きな声を出してしまう。

「なんや、グリグリ。ネエチャンと付きおうてるいうても、どうせアカンねやろうが。せやから宵山誘ったったのに」

僕に食ってかかる。その返す刀は山下君にも向かう。

「ヤバヤバもよう言うで。踏み絵くらいでビビッて逃げててどないすんじゃ。行くとこないんやろう、どうせ」

みんなを見下ろし、一人ひとりに言葉を投げつけると、とっちゃんは階段の上に立ったままタバコに火を点けようとする。指先が震えていた。

              Kakky(柿本洋一)

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