昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―28(最終)

2017年04月18日 | 日記

「もうええやろう。みんな、そのくらいにしとき」

奥からおっちゃんが出てきた。僕たちのやり取りを耳にしながら、顔を出すタイミングを計っていたようだ。

玄関の引き戸が開き、カズさんが入ってくる。カズさんもまた、入るタイミングを待っていたようだ。とっちゃんからは、玄関の擦りガラスに映るカズさんの姿が見えていたのかもしれない。

「もうええか?みんな。夕刊、頼むで」

カズさんのいつもの大人の笑顔が、一気にその場の緊張感を解かす。

「お茶でもどうや?」

おばちゃんがお盆を手に現れる。

「これや、これや。待ってたで、おばちゃん」

とっちゃんはすすっと階段を下り、専用の湯呑みを手にした。それをきっかけに僕たちも湯呑みに手を延ばす。

瞬く間に販売所の中はいつもの風景に戻り、時々とっちゃんのお茶を啜る音が響くだけになっていた。

 

僕たちの宵山は、終わった。そしてそれを機に、僕たち一人ひとりに変化が現れた。

 

大沢さんは、父親が戦中に転向した弁護士だったことを僕たちに打ち明けた。ずっと恥ずかしくて口にするのがためらわれる事実だった。そんな父親と比べられるのも耐えられないことだった。

大沢さんは自分自身の欲求や希望と向き合うことにした。自分の中の欲求に耳を傾け、それに従っていこうと決めた。

正しいか正しくないか、そんなことは結果が示してくれる。いや、それは永遠にわからないことのかもしれない。だから、やるべきことをしなくてはならい、と思うのではなく、やりたいことをやる、と決めることだ。

大沢さんは、そう宣言した。力強くなったように見えた。明るくなったと思った。

 

桑原君は6人兄弟の末っ子。父親は小学生の頃他界していた。お母さん子だった。60代になった母親の老後が桑原君に委ねられていることを、疑問を抱くことなく受け入れていた。が、時々重くも感じていた。

桑原君は、母親を重く感じるのは母親の重さのせいではなく、自分の力が足りないせいだと思うようになった。

怒りや反発を生み出す元は、甘えだ。ほとんどの諍いは、甘えん坊同士の罵り合いにしか過ぎない。自分の中の甘えを断ち切れば、心の平和が訪れ、他人との平和な関係も築くことができる。

そんな風に考えるようになった桑原君は、飲食店の経営を目指すことにした。母親一人くらい食べさせていくことは、人に食べさせて自分が食べられるようになれば簡単なことに違いない。と新聞配達を辞め、飲食店で働き始めた。大学を諦めたのかどうかはわからなかった。しかし、桑原君が穏やかな顔つきの優しい男になったように見えたのは確かだった。

 

山下君は、岐阜に帰って行った。農業を手伝うとおっちゃんに宣言した。

しかし、将来の夢を語ることも忘れなかった。

養鶏場を始める。そして、高校生時代の初恋の人と結婚をする。両親が体力的に農作業はもう無理という年代になったら、養鶏場の近くに小さな平屋を建て、鶏の餌やりだけ手伝ってもらう。

守られていることを恥ずかしいと思ってばかりいたこと。だから思わず背伸びしてしまったこと。背伸びした分だけ地に足がついていなかったこと。それが、自分の失敗だと山下君は気付いた。

販売所にやってきた時のジャケットとスラックスはおばちゃんがクリーニングに出してくれた。靴はおじちゃんが磨いてくれた。僕たちは思い切って1000円ずつを餞別として出した。

販売所の前で見送った。山下君の背筋はまっすぐで、足取りは正確で美しかった。

 

僕には環境を変えようという意識は生まれなかった。かと言って、勉強に向かうエネルギーが湧いてきたわけでもなかった。が、僕の暮らしぶりは明らかに変わっていた。

本を読むようになっていた。多くの人との会話を楽しむことができるようになっていた。目覚ましに頼ることなく朝刊にも夕刊にも遅刻せずに行くことができるようになっていた。そして、啓子からの手紙をじりじりと待たなくなっていた。

“自律あってこその自立だ。と、今は言えるぞ。”日記にそう書いた。

 

とっちゃんは、いつものようにいつもの場所にいて、いつものようにタバコを吸い、いつものようにキスチョコをくすねていた。

しかし、実は大きく変わっていた。それは、本人からではなくおっちゃんから伝わってきたことだった。

「とっちゃんなあ、ずっとここで働くて決めたんやて。カズさんみたいになるんやて。おまけにな、“おっちゃんとおばちゃんの面倒もみたるからな、安心してええで”なんて言うんやで。うれしい話やろ?頼るわけにはいかんけどな」

おっちゃんは、ある日とっちゃんが帰った後、うれしそうにそう言った。

「よかったですねえ」

と言うと、

「おかんのことも、最近は“おばはん”て言わなくなったしなあ」

と、付け加えた。奥から顔を出したおばちゃんも、いかにもうれしそうに笑っていた。

       ―――完―――

以上で第二章は終了です。

5月に入ってから、第三章の連載を始めるつもりです。少々お待ちください。

              Kakky(柿本洋一)

  *Kakkyのブログは、こちら→Kakky、Kapparと佐助のブログ



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