晴れ
この月の光をいますぐ贈りたい 正子
振り向けばコスモス畑月光に 正子
きらきらと名もなき蜻蛉吾に親し 正子
●今日から始まる里山ガーデンフェスタへひとりで行った。初日なのだ。里山花壇にバスで着いたのはちょうど12時。園内は確かに暑い。目の前に黄色をメインにした花壇が広がっている。遠目に映る黄色は黄花コスモスだろう。足元には真紅の鶏頭、ペンタスやネメシア、ジニア、秋らしくパンパスの類。ピンク、白、紅色のコスモスも球面を描く丘に戦いでいた。
暑いので丁寧に花を見る気にもならず、コスモスの花壇の奥がすぐに森に続いて風がすずしいので、桜の木陰を見つけて腰を下ろした。切り株型の椅子があるので腰かけ、バスに乗る前に駅前のベーカリーで買ったアンパン一個を、水筒の氷水と食べた。氷水は指先をちょっと洗うのにも便利がいい。
今日なぜ、アンパンかと言うと、おととい読んだ『近代日本文学のすすめ』(岩波文庫)に詩人の西脇順三郎の随筆だったかが載っていた。川崎市の影向寺(ようごうじ)の薬師如来の科学的調査に友人の美術家のお供で行った時の話である。影向寺は奈良時代からの古刹で、わが家のある日吉本町から信之先生と歩いて行ったことがあるが、いいお寺だ。信之先生と私が訪ねたときは、きれいに修理されたていたが、西脇たちが昭和十五年晩秋に訪ねたときには、ずいぶん傷んでいたようだ。美術家は薬師如来の寸法を測り、西脇は頭の渦巻きの数を数えたとのこと。調査が終わり二人は歩いて「日吉の先に出た。」と書いてある。私と信之先生が歩いた道だろう。その道を、ふたりで「あんぱんをかじりながら歩いた。」ともある。晩秋のお寺での調査と寒々とした田舎道を歩いて冷えたせいなのだろう、翌日二人とも熱を出したそうだ。薬師如来の調査をして熱が出るとは、というようなことだった。「かじりながら」が、晩秋の道を歩く小腹を空かせた男二人を立派に想像させるではないか。
話はそれたが、ここに出るあんぱんが,小腹がすいているときにとても美味しそうなのだ。吟行のおやつに迷うが、もう、アンパンにすることにした。あんぱんをちぎって食べていると、法師ゼミや飛蝗の鳴く声が聞こえる。この木陰から花壇が一望できる。花壇を見て回るのは帰る道々でいいと思い、持ってきた読みかけの『デミアン』を読むことにした。1時間半ほど読んで、大学生になったシンクレールが町で小柄な日本人と連れ立っているデミアンと再会する場面で、切りをつけた。目が疲れてそんなに長く読んでいれないのだ。近々眼科に行かなくてはならないだろう。
歩いているとフェスタのスタッフに会った。初めて見る珍しい植物の名前を聞くと、手にした花図鑑を開いて、「キャットウィスカー(ねこひげ」だと教えてくれた。白い猫のひげのようにピュンと突き出ている。これが花壇のアクセントになっている。花はいつ植えたのかと聞くと、農家に委託して育ててもらい、それを移植しているので、花壇で育ったのではないという。
一巡したので、彼岸花が咲いているかもしれないと、森を抜けて田んぼへ降りた。田んぼに出たところで、子供連れの家族が目高がいるいる、と覗いていた。今年は、ほてい葵が植えられて、うすむらさきの花を咲かせていた。春に来た時よく鳴いていたガビチョウは一声二声鳴くだけだった。それでも鳴いていたので、いるにはいるのだろう。彼岸花は咲いてもいないし、そこに根っこがあるような素振りもない。なにも植えていない田んぼを小さめな蜻蛉が飛んでいた。もともと羽が黄色がかっているのか、太陽のせいでそう見えるのかわからないが、そんな蜻蛉がいた。道沿いの木に葛の花が絡まって、青いどんぐりがかなり落ちている。つい踏んでいるのか、歩くとバリバリ音がする。きれいな緑色のを三個拾った。また、森の別の坂道を上り、入口広場に出たら、数分も待たないでシャトルバスが来た。シャトルバスは動物園まで木々のトンネルを抜けるが、サングラスをはずすと桂がうすく色づいていた。動物園前のバス停に着くとそこでも数分待っただけで中山駅行のバスが来た。今日は終始運がいい。帰宅は四時前。仏前に拾った団栗を供えた。