俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

6月16日(日)

2024-06-16 21:30:11 | 日記
朝小雨、午後晴れ
ぱっちりと目覚め朝(あした)の合歓の花   正子
泰山木白き花を葉が抱き           正子
咲きはじむ宗旦むくげは裾にのみ       正子

●本格的に暑くなってきた。わが家は角部屋なので、部屋の前を誰も通らない。玄関前を洗って、少しドアを開けていたら、北から涼しい風がよく入る。だからまだ今年はクーラーを使っていない。部屋の中はそれほど暑くない。

●夕方、いつもより遅く句美子が来る。Thanks Fatherの包み紙が可愛かったのでとユーハイムのテーゲベックを買って来た。今日は父の日だという。「包みを渡したとき、びっくりしてお母さん顔色が変わったよ」と句美子がいう。たしかに、少し驚いた。仏前に供える。信之先生はテーゲベックは好物で小さい箱なら次々手がでて一度でなくなっていた。柩にも入れてあげたし、好物中の好物になった。晩年はお酒が飲めなくなっていたなんて、だれが信じるだろうか。そんな具合だった。

●梅ジュースを仕込む。2日間冷凍していた青梅を取り出して氷砂糖と交互にいれて梅ジュースを仕込んだ。保冷バッグに保冷剤を入れて仕込んだ壜を入れた。こうしないとせっかくきれいなジュースがとれても、暑さで発酵する。疵のある梅は別の壜に入れて、おととい仕込んでいる。こちらは壜が小さいので冷蔵庫に。
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6月15日(土)

2024-06-15 12:20:49 | 日記
晴れ
夏暁の空よりくぐもる鳩の声  正子
リンデの実青葉の寺の一樹なり 正子
夫の亡き夏となりけり何につけ 正子

●ほどんとの朝顔の蔓が伸びて巻き始めた。今朝は白いペチュニアだけが涼しそう。午前、センター北のJAの直販所へ野菜の買い出しに。葉つき人参、胡瓜、ブロッコリー、蕪、茄子、キャベツ、山芋。これでエコバッグにいっぱいになって、重い。トウモロコシと枝豆がおいしそうだったが、これらは来週に。

●信之先生の数珠の修理ができたと電話があったので、暑い昼下がりだが、仏壇店に取りに出かけた。京都の数珠屋さんで直すとのことだったが、予定より早かった。この数珠はもとは信之先生の父の数珠。十六の珠にそれぞれ違う仏様が彫られているが、紐が切れて珠がひとつ外れていた。仏壇店の人が良いものだと言う。数珠に合うよう相応の数珠入れを薦められた。見せられたのが、表が黒で裏が柿色。江戸初期の茶人、今井宗薫の愛用した裂の紋様で仕立てていると言う。確かに一目みていい。黒地に七宝つなぎの輪の中に梅の紋と八宝がそれぞれ織り込まれている西陣織。裏地の柿色と表地の黒は茶人好みと言えそう。この数珠は元に持たせる。
八宝がなにかよく知らなくて絵柄が判じがたいが、八宝とは仏教の経典に基づいた、仏教での吉祥を八種類の荘厳具などで示したものとのこと。それらには法螺貝や蓮華がある。







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6月14日(金)

2024-06-13 21:26:34 | 日記
晴れ
胡瓜揉み若布と紫蘇と存分に   正子
切西瓜黄色も交え売られたり   正子
梅酒壜わが家を守るごと隅に   正子

●早朝、ネット短信No.420を出す。

●今日はデジカメに撮った去年と今年の写真をL版に印刷した。余分な印刷はしないよう、吟味しつつ。それでもかなりの枚数。去年は俳壇の原稿のために2月の四季の森の写真、信之先生の亡くなるほんの少し前の写真、葬儀や初盆、9月の七里ヶ浜、秋の里山ガーデン、今年の春の里山ガーデン、妹が来たので山下公園、5月の終わりの四季の森公園の菖蒲や睡蓮、翡翠など。スマホの写真はまたあとで。妹に写真を送るのに、L版用のお洒落なアルバムを売っていたので一冊購入。

写真を選びながら、自画自賛だが写真を撮るのが上手になっていると思った。いい写真機が欲しいなどは言わないが、ペンタックスを使っていたころが懐かしい。ペンタックスは何がいいかって、レンズがよかった。佐夜子さんご夫妻が松山に来られたときは、カメラマンのご主人からフィルムを入れるライカをもらった。時代は変わって、使わないうちにデジタルカメラになってしまった。でも大事にしている。

スマホにはこの前アオゲラの写真を撮っている。望遠レンズがあるわけではないので、拡大して見ないとよくわからない。それでもうれしいことに頭にベレー帽のような赤い色がはっきり見えた。これで目撃した鳥は啄木鳥に間違いない。スマホのチョイとが役に立つ。


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6月13日(木)

2024-06-13 07:07:52 | 日記
曇り、夕方晴れ
青葉して啄木鳥笑うような声 正子
啄木鳥の頭に赤き色青葉の木 正子
夏空の光に口開けけらつつき 正子

●昼間閉めていた窓を開けると、夕方の空は晴れていた。差し芽をしたポーチュラカが一つずつ花を開いている。朝顔の蔓も伸び始め、一つは支柱に巻いている。

●午後、「俳壇7月号」が届いた。花冠の広告と合同句集『泉』の紹介記事が掲載された。7月号は、「虚子生誕150年」の特集。「ホトトギス」からは、今もって多くの問題が提起される。虚子は女性に俳句の道を開いたが、今の俳人の8割が女性という。昭和40年代、私が俳句を作り始めたころは、8割が男性だった。男性が多いとも思わなかった。

●今朝は5時すぎに散歩にでかけた。鯛ヶ崎公園の丘の道を歩いていると、啄木鳥が木を叩く音が聞こえる。音のするところを探すと、民家の枯れた木にいた。横向きで木を叩いている。そのうちもう一羽飛んで来た。幹をくるっと回っては枝を移る。コゲラのようだ。さらに歩いて、崖っぷちの公園まで来た時、アオゲラだろう、鳴く声が聞こえた。ケラの声はもう聞き分けられるようになった。公園の椎の大木にいる。そのうち近くの枯木に移ったので、よく見えるようになった。もう一羽がやってきて、今朝はここでも2羽になった。

ケラの鳴き声を何とか表すと「キョ、キョ、キョ」でもあるが、「ケケケケ」でいいかと思う。書き表わすと笑い声のようでもある。啄木鳥が笑う鳥に思えてきた。今日は4羽の啄木鳥を見たことになる。帰りにも同じ鳥なのだろうが、欅で「ケケケケ」とよく鳴いていた。

●興禅寺の菩提樹に手を伸ばして花をよく見ると、ミモザが枯れたような花は実に変わりつつあった。葉柄の根元から葉と花の茎が出て、花の下には一枚の細長い丸い葉がついている。デザインされたような小さな葉と実である。持ち帰った葉っぱは押し花にした。実はその辺において乾燥させる。
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6月12日(水)

2024-06-12 08:06:26 | 日記
晴れ
紫陽花は青ばかりなり木下闇  正子
古寺のあじさいか細く青き花  正子

●生協の配達で青梅が届いた。今年の梅は出来が悪いと聞いていたが、その通りで、疵や傷みがあるのが、10個ばかり見つかった。よく洗って笊にあげ、蔕(ヘタ)をつまようじでとった。バットに布巾を敷いて水気をとり、疵ものは、傷んだところを取って別に冷凍して、きれいなのは1kgずつビニール袋にいれ冷凍庫に。これで氷砂糖など準備ができたら漬ける。去年の梅は。春先、梅ジュースが欲しくなった時のために1㎏は冷凍庫に入れたままにして、年が明けてから梅シロップを作った。今年は梅が悪いので、夏に飲むのだけに。

●散歩コースは、楽なように、なるべく平坦な道を選ぶ。この町は丘の上まで家が建って、たとえ選んだとしてもずいぶん坂を上り下りする。今朝も一番平坦な道を選んで丘の上の方の興禅寺まで往復した。いつもの崖っぷちの公園までもどったとき、鳥のめずらしい鳴き声を聞いた。大きな声でなので、聞きそびれることはないが、しばらく聞いていた。もしかしたら、ケラかもしれないと直感した。姿を探して、鳴き声のする大木を見あげていると、枝に姿が見えた。そして急に飛んだ。飛ぶ姿を見て、ケラであることを確信した。さほど離れていない大木の枝に止まったので羽の色を見ることができた。枝を移り、ただ鳴いている。しばらく鳴いてすぐそばの小学校の校庭の木に止まった。そしてすぐまた、校庭の一番端の桜の木に止まった。この町にはケラがいる。これで三度目の目撃だ。
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6月11日(火)

2024-06-11 11:35:37 | 日記
晴れ

●『人は成熟するにつれて(常に)若くなる』(Mit der Reife wird man immer jünger)(ヘルマン・ヘッセ著/岡田朝雄訳)は老いと死についての詩とエッセイの本。夕べ読んだ詩「八月の終わり」とエッセイ「秋の体験」は、ヘッセ75歳の時の執筆。今の自分に添っていると思えた。突然、ジョン・レノンの「イマジン」の言葉のない曲だけが耳底に響いた感じだった。

 八月の終わり
もうあきらめていた夏が
もう一度力をとりもどした
夏は、しだいに短くなる日に濃縮されたように輝き
雲ひとつない空に灼熱の太陽を誇らかに示す

そのように人間もその努力の終わりに
失望してすでに身を引いたのに
突然もう一度大波に身をゆだねて
命の残りを賭けて跳躍してみることがあろう

恋に身をやつすにせよ
遅まきの仕事を始めるにせよ
彼の行為と欲望の中に終末についての
秋のように澄んだ深い自覚が響きわたる

「秋のように澄んだ深い自覚が響きわたる」は言い得てる。「恋に身をやつすにせよ/遅まきの仕事を始めるにせよ」は友人たちにこのケースのどちらを選ぶか聞いて表情を見てみたいもの。

「秋の体験」は生まれ故郷のシュヴァーベンの同級生オットー・ハルトマンとの再会と、そのほどない死のエピソードが味わい深い。ヘッセは貧しい時もあり、ズボンの裾の擦り切れを肩身せまく思う日もあったようだ。そんな清貧のヘッセの写真はスマートだと思うが、本人の身になればそうではないようだ。ヘッセもオットーも幸福を目的にしなかった、とある。私も「幸福」とか「楽しさ」を人生の目的としたことはない(つまり、幸福になりたいとか、楽しく過ごしたいとか、願うことはない)ので、これはヘッセと同じ感覚かもしれない。また、ヘッセは賢明な言葉として「目立たず生きるものはよく生きる」(オクタビアヌス)を人生のモットーにしたというが、実際は、オットーもヘッセも、オットーは弁護士や故郷の市長に、ヘッセは知るとおり著名になった。そのせいでナチスにも目をつけられた。
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6月10日(月)

2024-06-10 07:38:03 | 日記
雨のち曇り
菩提樹の散華に古き興禅寺 正子
石仏に蛍袋に雨あがり    正子
梔子の香や三日月の円あおし 正子

●昨日四国が梅雨入り。朝起きた時は雨が降っていたが、9時ごろには上がった。隣町の高田八幡宮まで歩いて出かけた。90段の石段はうっそうとした木々の下で雨で十分に濡れていた。一度は一息ついて境内まで上ると意外と小さい社だった。ひとり拝んでいる人がいた。境内は周囲が囲われて行き止まりかと思ったが、左には道が、右には石段があった。境内から右手を見るとうっそうとした杜が見える。石段を下りていくと興禅寺に行きつく。五十メートルほどもない。八幡宮に来るのに石段を上る必要はなかった。興禅寺からならすぐだった。興禅寺も八幡宮も丘の頂上あたりにある。

興禅寺で芭蕉の句碑を見た。寺の掃除をしている女性が、句碑に覆いかぶさっている蠟梅の枝を鋏で切りはらってくれたので、句碑の字がかなり読めた。芭蕉の句「清瀧や奈三耳塵那起夏廼月 翁(清瀧や波に塵なき夏の月 翁)」があり、その下方に46名の俳句が彫ってある。俳号の横にタカタとか、ツナシマとか、カナ川とか地名が書いてある。おそらく句会の連中が自分たちの句碑を建てることになり、芭蕉の句と自分たちの句を彫り興禅寺の山門脇に建てた経緯なのだろうと想像できた。建てた年代は読めなかった。句碑の石は趣がある。寺の女性は芭蕉の句というが、書いていることはわからないと言って、句碑の石の良さをしきりに誉めた。女性が別の帰り道を教えてくれたが、その道を行くと、どのあたりにいるのかわからなくなった。スマホに「ここはどこ?」と聞いて、今いるところの地図を出してもらい、確認しながら帰った。

●「清瀧や波に塵なき夏の月」の句は芭蕉が嵯峨野の落柿舎で亡くなる年の夏に作った句と言われる。この句は大坂の園女亭での発句「白菊の目に立てて見る塵もなし」の「塵なし」に類想があると言う理由で、亡くなる3日前に大坂の病床で「清瀧や波に散りこむ青松葉」と改案されたとされる。芭蕉の俳句の推敲の経緯を知る句としてよく取り上げられる。興禅寺のは初案の句で、なぜ初案を選んだかはわからないが、初案の句のほうがいいと言う人がいるのは確かだ。
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6月9日(日)

2024-06-09 20:16:16 | 日記
曇り、夕方小雨
蛍火に風のゆらぎのきりもなく  正子
蛍火の森の暗さをまだ越えず   正子
杣径の落葉にともる蛍の火    正子

●6月月例ネット句会開催
投句
28.蛍火の十ほど飛べる蛍狩       正子
29.菖蒲田の水のめぐりを飛ぶ蛍     正子
30.暮れ兼ぬる空を蛍の生(あ)れて飛ぶ 正子

●今朝も隣町の興禅寺へ行って、芭蕉の句碑と菩提樹の花をよく見た。菩提樹の葉っぱ2枚と花をひとつもらった。菩提樹の散華がおびただしい。寺を出てあたりを歩いた。この町一帯が丘になって涼しい風が、一望できる下の街から吹いてくる。たくさん道があり、帰る道に迷うが、どこからでも下れば街道に出れる見当はつく。無事帰宅。

●夕方句美子がめずらしくスーツで来た。秋にK国に出張になったという。大丈夫かなあと思っている割に、カレンダーにも書き込んでいる割に、先週そのことを聞いたのにすっかり忘れていた。もう準備は始めたという。その国の公用語が一言も話せないのでは困るからと言って、スペイン語の勉強をはじめたとも言う。政情は大丈夫かなあ、と思う。これまでK国は名前を知るだけの国。私は、この春にたまたまK国のノーベル賞作家の小説を読んでファンになったところ。
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6月8日(土)

2024-06-08 21:47:42 | 日記
晴れ
幾たびも夕日車窓に蛍見に   正子
広やかに夕空あわし蛍見に   正子
ほうたるの火のすれ違う水の上 正子

●朝顔の蔓がまだのびていないのに、小さい蕾がついている。自由な投句箱の選とコメントを早朝に済ませ、午前中にミシンを出して裁縫をした。久しぶりにミシンを使う。すいすい縫っていたら、どうも縫えていない。下糸がないようなのだ。ボビンケースを取り出してみると、ボビンが入っていない。こんな事これまで一度もなかった。なんとしたことか。

●午後花冠7月号の雑詠の選をする。6月末には入稿したい。投句が無い人の句を月例ネット句会の投句から集める。なんとか16人全員の句を揃えたい。花冠が出来上がって届いたとき、自分の句がないとどれほど淋しい思いをするか。投句を休もうとするときは思わないが、それでは遅いのだ。

●今日から16日まで四季の森公園で「蛍の夕べ」がある。四季の森には4日に友人と蛍狩に来たばかりだが、また蛍を見たくなったので、6時過ぎの電車でひとりで出かけた。夜、里山に一人で出かけるのはとてもじゃないが怖くて来れないが、今日は幼児や低学年の子供を連れた家族連れが大勢来て,道も夜店でもあるかのように込んでいる。園内には、菖蒲田、葦原など蛍がたくさん飛ぶところがある。葦原をそぞろ歩いて一周した。足元に気をつけながら歩いたが、歩きながら蛍を見るというのがいい。奥の方には蛙が鳴いている。ほうほうと飛ぶ蛍の光はイメージにある光より弱い。確かに儚い。消えた光はどこへ行ったのかと目を凝らせば、またほうと火が見える。帰り、東の空に三日月が上がった。月の円が青く見えている。くちなしの花が匂っている。8時前なのに道が見える。8時9分の電車で帰った。家には明かりをつけて出かけていたので誰もいない家に帰った感じがしなかった。
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6月7日(金)

2024-06-07 07:07:05 | 日記
曇り

●最近句集を送ってくださった方が、「髙橋正子の俳句日記」のブログに行き当たったと丁寧にも葉書を下さった。花冠は主にネットで活動しているので、表紙にアドレスを書いてある最新号「花冠2月号」と合同句集『泉』を今日お送りした。願いは、花冠の俳句を一人でも多くの方に読んでもらいたいため。

●去年2月から今日までのデジカメの写真をパソコンで編集。スマホとデジカメと両方にあるので、写真はなるべくデジカメで撮るようにする。スマホの写真はパソコンに送って編集の予定。写真を写真店で印刷してもらうか、思案中。








これはロマンスの話ではなく、ヘッセが模範的と思っている老人ニーナ。薪で煤がこびりついた薬缶にコーヒーの粉を入れて沸かし、黒いコーヒーを客人に飲ませる。暖炉の火に唾を吐く。猫と暮らし、膝に滑り込む猫を抱く。骨ばった彫りの深い顔に皺がより、手に箱を持てば、手が震える。背の高い立ち姿は幽霊のよう。目は確かに何かを見る。帰ろうとすると1時間はもっといるように言うような人。決して清潔とは言えない老人の暮らしに、人生の意味を見ている。こう読むとデューラーの描いたリアルすぎるほどの晩年の母の画。ゴッホのドローイングの「悲しみ」の女性。その画を見ていると、だんだん画が自分に引き付けられて、美しいと思うようになる。そんな詩とエッセイだった。
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