○8日夜9時前帰宅。
○花冠12月号を本日発送。ネットをされない方に、来年度会費納入の振り込み用紙を同封する。
○昨日、全国俳誌協会に加入するよう案内をいただいたので、加入。年会費6千円も昨日振り込んだ。会長は軸主宰の秋尾敏氏。この協会は、結構古い。俳句コンテストも主催している。編集のコンテストのようなのもある。
○6日に、久しぶりに福山の生家へ。新横浜から福山まで東海道新幹線、山陽新幹線で3時間24分。福山駅からバスで50分の田舎。谷を越えてゆく道と、反対に平地を走り鞆の浦から山を越えてゆく道とある。奇岩の上に観音様を祀っている岬があって、入り江があり、その入り江の谷となった小さな農村。
8日に横浜の自宅帰ったが、そのために始発から乗ったバスは、福山駅に着くまで、私以外は、一人お客を乗せただけ。それも終点から5つ目の停留所で。その人も3つ停留所を過ぎて降りたので、終点に着いたときは私一人。25キロ走るのに、運賃は二人分で千円ほどだろう。これでは、経営は成り立たないだろうが、のどかでいいバスだ。
そこで、のんびりと、停留所の名前がアナウンスされるのを聞いていた。どれも子どものころから聞いている名前だが、料金表示板に書かれる漢字の名前が妙によそよそしい。
私の生まれた村は、能登原村。谷の奥から、上条、別の谷の奥が鞆路(ともうじ)、その二つの谷からの道が合うところが下条(ここに生家がある)、小学校があって、次が立河内(たてごうち)(ここから海がある)、白浜、桜、小桜。これが村の全てだった。白浜、桜は、大学に入るために村を離れるまで、ずっと耳から聞いていた音そのもののだった。いわゆる「白浜」のイメージも「桜」のイメージも全く持っていなかったのが不思議だ。それよりも、そこに住む人たちや、家の形、畑や田圃の色や形、坂や川、海や漁船、それに烏や雀といったごちゃごちゃしたものが、小ごとのイメージである。白浜は、今思えば、遠浅の綺麗な砂浜があって、学校の水泳訓練もあった。桜は、桜があったわけではないだろうが、ちょっと見知らぬ村のような雰囲気があった。以上が小さな私の生まれた村。