俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

6月18日(火)

2024-06-18 06:15:20 | 日記
雨 
  大雨警報
梅雨入り(ついり)ともならぬ大雨道が照り 正子
青葉雨われを歩かせ濡れもさせ       正子
青葉雨若く死したるシューベルト      正子
    
●今日は定期受診の日。帰りは待ってもバスが来ないので、本降りの雨の中を歩いて帰った。先月、毎日8000歩歩くように医者から勧められて28日間2日間を除いてほぼ実践した。平均すると一日8600歩。検査数値が改善。運動不足が一番いけないのだと分かる。

●昨日、図書館にヘッセの本を返却。手元に簡単なメモしかないが、面白かったところを書き残す。ヘッセの『人は成熟するにつれて若くなる』は「老いと死」に関するエッセイと詩の本。この本の「ニーナとの再会」のページが面白い。

冬の間数か月間街に暮らしたヘッセが第二の故郷ティスーンに帰って、女友達のニーナに再会する話。おそらく初夏のこと。本文を「」で引用しながら述べると、ニーナは、村の一番辺鄙な丘の村にひとりで暮らしている。ニーナを訪ねるには、夏はシクラメン、冬はクリスマスローズが咲く「難儀な道」を越えなければいけない。ニーナは1927年に生まれの78歳で、「新時代の洗礼をまだ受けていない」。ヘッセは50歳。ヘッセがニーナに会う理由ははっきりしている。ヘッセの目には彼女は模範的老人なのだ。「教会の塀のそばでいつも嗅ぎ煙草を嗅いでいる毅然たる老人の姿の模範なのだ。年齢、痛風、貧困、孤独にしたたかに冗談をとばし、世間にとりいるような馬鹿なまねはしない。卑屈になったりせず、世間など屁とも思わず、最期のときまで、医者や牧師の世話になるつもりのない、という毅然たる老人」の模範。彼女は「石と冷気と煤とコーヒーの匂いと生木の燃える煙の匂いの中にいて、炉に少しばかりの火を燃やす煙のために涙目で、鋭い怜悧な悲しげな」眼をしている。

< ここに出て来る「嗅ぎ煙草」のことはよく知らなかったが、調べると、貴族の間で流行したようで、鼻腔に耳かきほどの煙草の砕いたものを擦り付けてその匂いを嗅いだということだ。ムーミンに出て来る「スナフキン」は嗅ぎ煙草を吸う人という意味とのこと。 スエーデンで始まったらしい。>

ニーナは私にも魅力的だ。彼女の年齢にほぼ同じ私も、彼女ほど腹が座っていないことをよく知った。一時期、世の中をひどく疎ましく思ったとき、「山姥、あれはいいのじゃないか」と思ったことがある。そんなことを思いだした。それから、ひどい雨なので、シューベルトを聞いた。シューベルトを聞く自分は、テスィーンの老女ニーナのように性根が入っていない証拠、と自省しつつ。


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