石鎚山
★雪嶺の座りし空のまだ余る 正子
四国の屋根、山岳信仰の山として知られる霊峰石鎚山。雪に覆われ、より美しく崇高な姿となる山容に、畏敬の念を抱きます。その雪嶺の上、冴えわたる冬空の視野の広やかさに、心も澄みわたります。(藤田洋子)
○今日の俳句
音立てて山の日差しの落葉踏む/藤田洋子
「山の日差しの落葉」がいい。山の落葉にあかるく日があたり、そこを歩くとほっこりとした落葉の音がする。
○東海道五十三次を歩く(平塚宿~大磯宿)
16日の午後を信之先生が一人旅に出かけ、宿場の写真をいただく。
平塚宿
宿場本陣銀杏黄葉の振りしきる 信之
大磯宿
海が近くにあるらし冬の空立てて 信之
▼平塚宿京方見附之跡
旅人の宿泊の少なかった平塚では、日暮れにはまだ間があって通り過ぎようとするのを、「大磯へは、あの高麗山を越えなければ行けません。これから越えるのは大変です。」と言葉巧みに無理やり宿泊させたという話が残っています。平塚の名は、「吾妻鏡」に「範隆寺平塚」「黒部宮平塚」とあるのを初見とし、宿の形成は鎌倉期にさかのぼる。
▼大磯宿南組問屋場跡
大磯宿は、神奈川・保土ケ谷・藤沢・平塚・小田原などと並んで最初に設置された宿場の一つで、江戸から八番目の宿場、日本橋からの距離は65・8㎞でした。
南側の海と北側の山に挟まれた細長い町並みで、宿場としてはどちらかといえば、寂れた宿場の一つであったようです。その主な理由は、江戸からの旅人は翌日の箱根越えに備え小田原にまで足を伸ばしてしまい、又、箱根を下ってきた人は、酒匂川の渡しを前に、その疲れを休めるために小田原に宿泊してしまうことが多かったからだと言われています。
▼大磯海岸の入り日
大磯ビーチは、日本での海水浴場発祥の地として知られている。
★雪嶺の座りし空のまだ余る 正子
四国の屋根、山岳信仰の山として知られる霊峰石鎚山。雪に覆われ、より美しく崇高な姿となる山容に、畏敬の念を抱きます。その雪嶺の上、冴えわたる冬空の視野の広やかさに、心も澄みわたります。(藤田洋子)
○今日の俳句
音立てて山の日差しの落葉踏む/藤田洋子
「山の日差しの落葉」がいい。山の落葉にあかるく日があたり、そこを歩くとほっこりとした落葉の音がする。
○東海道五十三次を歩く(平塚宿~大磯宿)
16日の午後を信之先生が一人旅に出かけ、宿場の写真をいただく。
平塚宿
宿場本陣銀杏黄葉の振りしきる 信之
大磯宿
海が近くにあるらし冬の空立てて 信之
▼平塚宿京方見附之跡
旅人の宿泊の少なかった平塚では、日暮れにはまだ間があって通り過ぎようとするのを、「大磯へは、あの高麗山を越えなければ行けません。これから越えるのは大変です。」と言葉巧みに無理やり宿泊させたという話が残っています。平塚の名は、「吾妻鏡」に「範隆寺平塚」「黒部宮平塚」とあるのを初見とし、宿の形成は鎌倉期にさかのぼる。
▼大磯宿南組問屋場跡
大磯宿は、神奈川・保土ケ谷・藤沢・平塚・小田原などと並んで最初に設置された宿場の一つで、江戸から八番目の宿場、日本橋からの距離は65・8㎞でした。
南側の海と北側の山に挟まれた細長い町並みで、宿場としてはどちらかといえば、寂れた宿場の一つであったようです。その主な理由は、江戸からの旅人は翌日の箱根越えに備え小田原にまで足を伸ばしてしまい、又、箱根を下ってきた人は、酒匂川の渡しを前に、その疲れを休めるために小田原に宿泊してしまうことが多かったからだと言われています。
▼大磯海岸の入り日
大磯ビーチは、日本での海水浴場発祥の地として知られている。
★雪嶺の座りし空のまだ余る 正子
四国の屋根、山岳信仰の山として知られる霊峰石鎚山。雪に覆われ、より美しく崇高な姿となる山容に、畏敬の念を抱きます。その雪嶺の上、冴えわたる冬空の視野の広やかさに、心も澄みわたります。
東海道五十三次の俳句、写真、エッセイ楽しませていただきありがとうございます。