俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

8月31日(土) 二百十日

2024-08-31 08:47:53 | 日記
曇り、雨は降ったり、止んだり、線状降水帯が小田原辺りにある

秋澄んで山々近く寄り来る     正子
かりんの実林檎ほどなり熟れはじめ 正子
つゆ草の露ためている花の青    正子

●白いダリアの花のようなキノコを路側帯の萱のなかに二本見つける。毒キノコに違いないが、秋になっている。

●パウル・ツェランを知ったのは、4月に図書館から借りた『ドイツの詩を読む』(野村修著)だった。そこに「死のフーガ」が読み解かれていた。これはフランクルの『夜と霧』を思い起させる詩である。今手元に『人と思想 ツェラーン』(森治著/清水書院)があって、読んでいる途中だが、ホロコーストと広島・長崎の原爆を経験した20世紀において、この詩人の詩を読まずには済ませられない気になるが、解説無しでは私にはわからない。ツェランのユダヤ人として経験せざるを得なかった歴史的背景が、あまりにも複雑で、また、多民族が入り混じり国が動く東欧の状況も日本人の私にはなかなかわかりづらい。多くの言語を習得していることから高い言語感覚を持っているとも思える。彼の詩が難解である別な原因として、彼が難解な状況を生きたと言うことにあるのだろうと思う。

また別の本の『パウル・ツェラン詩集』(飯吉光夫・編訳/小沢書店)の「詩論・解説」の章にペーター・ゾンティという人がツェランのある詩について解説した訳が載っている。これが興味深い。

ツェランの最晩年の詩集『雪の区域』のなかの題名はないが、仮に「エデンの園」と名付けられる詩がある。この詩には原稿の段階で(1967年12月22/23日)と日付が書き込まれている。この12月22日/23日が大事だというのだ。つまり、この詩が出来た現場の解説がある。ツェランがベルリンにやって来て、エデンという名前のホテルに宿泊し、クリスマス近い夜に書いた詩ということ。エデンと言うホテルは、うっそうと大木が立つベルリン動物園の近くにあったということ。ホテルの食事にはクリスマスの雰囲気のあるものが当然あったということ。この現場から詩人は実際を通して詩を紡ぎ出した。

ドイツへ家族旅行をした際、5年生だった息子がベルリンに行きたいというので、他へ行く予定を止めて、フランクフルトから小さい飛行機でベルリンへ行った。ベルリンの壁は前年に壊されてはいたが、まだ一部が残っていたし、それを見には行った。壁から向こうに立つ東の質実な、いや、貧しそうなアパート群も見た。それからベルリン動物園に行ったが、これがツェランの詩にある通りの印象だった。動物園は大木でうっそうとして、ライオンに陽があっていないのでは、と思うほどだった。動物園前の広場の空は今にも降りそうで高く広かった。あまりにも寂しく人さらいでもいそうな感じだったのは、広場に警察と書かれた小さい車両が数台いて、5マルク(当時はユーロではなくマルク)のピザを晩ご飯にする人の列があって、子どもがポーランド人を見て「ポーリッシュ」と卑しんで言うのを聞いたりしたからだ。ベルリンはそういうところだった。

ベルリンのこの情景を思い出し、難しいと言われながらも、ひとつずつ糸をほぐしていけば、意外にも親しい詩であることが感じられた。わかるわからないに拘わらず、読んだ方がよい詩だと思った。ヘッセやリルケよりずっとわれわれにより密接な世代の詩人と言えるのだろう。
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