★たっぷりと雲湧く台風過ぎしより 正子
台風が過ぎれば空気が入れ替わり、空は青く澄んで、晴れ渡ります。一方、台風がもたらした風雨により、大量の雨水が山野も覆って、やがて雲となり、空へと還ってゆきます。雲湧く様や、風の流れも感じられて、爽やかな心地をいただきました。(津本けい)
○今日の俳句
草に落つ青どんぐりの音軽き/津本けい
風で落ちる青どんぐりであろうか。落ちるときに、草に軽く音を立てる。「軽い音」がよい。秋が深まれば「コツッという確かな音に変わる。(高橋正子)
●夕方句美子がカシスのケーキをケーキ教室で作ったからと、持参。飾りのホワイトチョコと食べると酸っぱさが緩和。
新里芋と青蜜柑を今年はじめて買う。里芋は千葉産で、ねっとり気味。だし汁多め里芋煮にしたがそれはそれで美味しい。青蜜柑は今台風が通過中の宮崎産。酸っぱさが足りないが美味しい方。
野の花は野に咲け松虫草の丈 正子
花びらが欠けて松虫草は野に 正子
夕顔を植え忘れし夏思いおり 正子
○生活する花たち/高橋正子
①唐糸草
唐糸草確かに秋が来ておりぬ 正子
向島百花園を訪ねたのは九月八日。晴れであった。百花はあるけれど、どれもたくさん咲いているわけではない。桔梗は花が一つ残り、なでしこは2,3本あったのが、すっかり枯れていた。偶然にも。れんげしょうまが一本、唐糸草がもう終わりかけて、やっとその色と形が残る程度のが二つあった。唐糸草は初めて見たが、山野草の部類に入る。えのころ草の穂よりも少し大きいが、紅色の雄しべが日に透けると大変美しいということである。ちょっと粋な長い紅色の雄しべは雨に濡れると、猫が雨に濡れたようになるそうだ。撮ってきた写真を見ながら「唐糸」はいかにも江戸好みらしいと思う。終わりかけの花のみすぼらしさの中にも、きれいな紅色が想像できるから不思議だ。大いにその名前「唐糸」のお蔭であろう。園内にいる間は、なんと花に勢いのないこと、と思っていたが、写真を見ると、一つの情緒がある。文人好みの庭に造られたせいでもあろう。虫の声を聞く会、月見の会も催されるようだから、暮らしの中の花として、少しを植えて楽しむのもささやかながら、都会人のよい楽しみであろう。
②韮の花
いつ見ても韮の花に蝶せせり 正子
九月一日、二百十日を狙って台風十二号が横浜にも接近しつつある。東からの湿った風で、昨日から非常に蒸し暑い。雨が降る前にと思って、十時すぎカメラをもって5丁目あたりの花を探しに出かけた。昨日、ある家によく咲いていた酔芙蓉も今日は、ちっとも咲いていない。かわりに隣の家の酔芙蓉が咲いていた。花は全く一期一会。歩いていると、なんらかの花に偶然に出会う。一日が言えないし、一時間が言えない。台風の接近を知らせる雲が空を覆って、歩くと暑い。今日は、韮の花がちょうど盛り。韮の花には小さな蝶がいつもせせり寄って蜜を吸っている。
生家の庭先の畑の端に石組みに沿って一列に韮が植えてあった。韮は冬から春がおいしかった。味噌汁に入れるのに、「ちょっと、韮を刈ってきて。」と言われることもあった。春を過ぎると葉が硬くなる。韮の花は、二学期がはじまるころに咲く。韮の花と言えば、「二学期が始まる暑さ」と、体に染みている。二学期が始まると、運動会の練習が始まる。日暮れがだんだん淋しくなり、昼間は汗をかいた簡単服(簡単なワンピース)では涼しすぎるようになる。韮の花が咲くと、九月特有の暑さを思い出す。
③芙蓉
雲が来て風のそよげる花芙蓉 正子
秋めいてきた。きのう、色づき始めたむらさきしきぶの向こうにピンクの芙蓉が咲いているのは知っていた。今朝、それを写しにゆくと、頭をタオルで包んだ男の人がカメラを覗いている。その傍に草取りをしている女の人がいて、「おはようございます。花を撮らせてください。」と頼んで芙蓉を撮らせてもらった。
ご夫婦で趣味が写真のようだ。朝八時過ぎでまだ陰っているので、芙蓉を撮るとフラッシュが焚かれた。奥さんが、「今フラッシュが焚かれましたよ。」という。そのあと、ご指南があった。花を撮るときは、フラッシュは焚かないほうがいい。近くで撮りすぎるとピンぼけになる。オートをはずしなさい。カメラを覗いているご主人は、ちょっとカメラを見せてごらん、と。しかし、カメラもいろいろでよくわからんなあ、と。この芙蓉の花がいいですよと、奥さんが指す。言われるとおりにその花を撮って家で落ち着いて見てみると、はっきりとして、幾分情緒に欠けているように思うが、写真家好みになっている。家の錆びたトタンの壁までくっきりと写っている。芙蓉はそんなところにも似合う。
松山の郊外に一時住んでいたときは、玄関に芙蓉があり、花に隠れて水道があった。そこでは、盥で洗濯をしたが、花の傍で水をいっぱい使って洗濯をすると、気分もさわやかだった。
◇生活する花たち「葛の花①・葛の花②・木槿(むくげ)」(横浜日吉本町)
台風が過ぎれば空気が入れ替わり、空は青く澄んで、晴れ渡ります。一方、台風がもたらした風雨により、大量の雨水が山野も覆って、やがて雲となり、空へと還ってゆきます。雲湧く様や、風の流れも感じられて、爽やかな心地をいただきました。(津本けい)
○今日の俳句
草に落つ青どんぐりの音軽き/津本けい
風で落ちる青どんぐりであろうか。落ちるときに、草に軽く音を立てる。「軽い音」がよい。秋が深まれば「コツッという確かな音に変わる。(高橋正子)
●夕方句美子がカシスのケーキをケーキ教室で作ったからと、持参。飾りのホワイトチョコと食べると酸っぱさが緩和。
新里芋と青蜜柑を今年はじめて買う。里芋は千葉産で、ねっとり気味。だし汁多め里芋煮にしたがそれはそれで美味しい。青蜜柑は今台風が通過中の宮崎産。酸っぱさが足りないが美味しい方。
野の花は野に咲け松虫草の丈 正子
花びらが欠けて松虫草は野に 正子
夕顔を植え忘れし夏思いおり 正子
○生活する花たち/高橋正子
①唐糸草
唐糸草確かに秋が来ておりぬ 正子
向島百花園を訪ねたのは九月八日。晴れであった。百花はあるけれど、どれもたくさん咲いているわけではない。桔梗は花が一つ残り、なでしこは2,3本あったのが、すっかり枯れていた。偶然にも。れんげしょうまが一本、唐糸草がもう終わりかけて、やっとその色と形が残る程度のが二つあった。唐糸草は初めて見たが、山野草の部類に入る。えのころ草の穂よりも少し大きいが、紅色の雄しべが日に透けると大変美しいということである。ちょっと粋な長い紅色の雄しべは雨に濡れると、猫が雨に濡れたようになるそうだ。撮ってきた写真を見ながら「唐糸」はいかにも江戸好みらしいと思う。終わりかけの花のみすぼらしさの中にも、きれいな紅色が想像できるから不思議だ。大いにその名前「唐糸」のお蔭であろう。園内にいる間は、なんと花に勢いのないこと、と思っていたが、写真を見ると、一つの情緒がある。文人好みの庭に造られたせいでもあろう。虫の声を聞く会、月見の会も催されるようだから、暮らしの中の花として、少しを植えて楽しむのもささやかながら、都会人のよい楽しみであろう。
②韮の花
いつ見ても韮の花に蝶せせり 正子
九月一日、二百十日を狙って台風十二号が横浜にも接近しつつある。東からの湿った風で、昨日から非常に蒸し暑い。雨が降る前にと思って、十時すぎカメラをもって5丁目あたりの花を探しに出かけた。昨日、ある家によく咲いていた酔芙蓉も今日は、ちっとも咲いていない。かわりに隣の家の酔芙蓉が咲いていた。花は全く一期一会。歩いていると、なんらかの花に偶然に出会う。一日が言えないし、一時間が言えない。台風の接近を知らせる雲が空を覆って、歩くと暑い。今日は、韮の花がちょうど盛り。韮の花には小さな蝶がいつもせせり寄って蜜を吸っている。
生家の庭先の畑の端に石組みに沿って一列に韮が植えてあった。韮は冬から春がおいしかった。味噌汁に入れるのに、「ちょっと、韮を刈ってきて。」と言われることもあった。春を過ぎると葉が硬くなる。韮の花は、二学期がはじまるころに咲く。韮の花と言えば、「二学期が始まる暑さ」と、体に染みている。二学期が始まると、運動会の練習が始まる。日暮れがだんだん淋しくなり、昼間は汗をかいた簡単服(簡単なワンピース)では涼しすぎるようになる。韮の花が咲くと、九月特有の暑さを思い出す。
③芙蓉
雲が来て風のそよげる花芙蓉 正子
秋めいてきた。きのう、色づき始めたむらさきしきぶの向こうにピンクの芙蓉が咲いているのは知っていた。今朝、それを写しにゆくと、頭をタオルで包んだ男の人がカメラを覗いている。その傍に草取りをしている女の人がいて、「おはようございます。花を撮らせてください。」と頼んで芙蓉を撮らせてもらった。
ご夫婦で趣味が写真のようだ。朝八時過ぎでまだ陰っているので、芙蓉を撮るとフラッシュが焚かれた。奥さんが、「今フラッシュが焚かれましたよ。」という。そのあと、ご指南があった。花を撮るときは、フラッシュは焚かないほうがいい。近くで撮りすぎるとピンぼけになる。オートをはずしなさい。カメラを覗いているご主人は、ちょっとカメラを見せてごらん、と。しかし、カメラもいろいろでよくわからんなあ、と。この芙蓉の花がいいですよと、奥さんが指す。言われるとおりにその花を撮って家で落ち着いて見てみると、はっきりとして、幾分情緒に欠けているように思うが、写真家好みになっている。家の錆びたトタンの壁までくっきりと写っている。芙蓉はそんなところにも似合う。
松山の郊外に一時住んでいたときは、玄関に芙蓉があり、花に隠れて水道があった。そこでは、盥で洗濯をしたが、花の傍で水をいっぱい使って洗濯をすると、気分もさわやかだった。
◇生活する花たち「葛の花①・葛の花②・木槿(むくげ)」(横浜日吉本町)