人の記憶って実は相当勝手らしい、という文献を集めてみた。
「体験したから事実」とも限らないのかもしれない。
「体験したから事実」とも限らないのかもしれない。
●脳に刻み込まれた記憶を繰り返し思い出すと、その記憶は強くなると思いがちだが実際は記憶を思い出すと、元の記憶は不安定になる
野村洋の注目する研究分野
●想起される記憶は変化する。「実際に記憶している内容」から、「記憶したいと思っている内容」に近くなる
広告で生まれる「ニセの記憶」:研究結果 « WIRED.jp
●限りある診察時間で治療者の理解を得ようとするあまり、自らが受けた被害を象徴化したり、簡略化したり、ときには拡大・誇張して述べることはある
過誤記憶 - Wikipedia
●人々の体験を調査。1年後には事件の詳細の37%が、最初の叙述から変化。2004年は50%近く。現在10年目の調査結果をまとめているが記憶のほとんどがフィクションに近いものになっているはず
「社会への同調」で生まれる「ニセの記憶」 « WIRED.jp
●記憶の正確さは曖昧で、時期によって人物が入れ替わったり、バイアスがかかって誇張されたり、印象が変わったりする
●自分の物語は自分の都合のよいように作り変えられ、それが、今の自分のよりどころ、つまりアイデンティティーになっていく
過剰な記憶〜<ない>と<ありすぎる>の間 - 雨の日は本を広げて
ありのままにものを見てる人なんて、そんなにいるのだろうか。
何度も書いているテーマですが、人って勘ぐりや想像ではなく、実体験でもこの有様なんですね。
信憑性って難しい。
自分のつまらない体験です。
私は三十代半ばまでタバコを吸っていましたが、ある年の3/31をもってタバコをやめ、吸い残りのタバコを4/1にゴミ箱に捨てました。
それ以来、一本も吸ってないのですが、タバコをやめてから何年もタバコを吸ってしまった夢を何度も見ました。
普通、夢はおかしなシチュエーションが多いのですが、タバコを吸ってしまった夢はとてもリアルな飲み会の席の夢で、目が覚めた時、本当に吸ってしまったという感じでした。
同じような夢を何度も見たので、ある時分は飲み会ではタバコを吸っていたのではないかという錯覚に陥いりました。
最近はこの夢も見なくなったので、タバコを吸ってしまったというのは錯覚だったと思えますが、あの夢を見続けていたら、飲み会ではタバコを吸ったという記憶にすり替わったかもしれません。
自分の記憶は確かと思っていましたが、そうでもないんですね。
それから鮮烈な広告などは、「テレビで見た」ことを実際に体験したように記憶することもあるとか。
つまり、体験してないことも「体験した」と思い込むことすらあるんです。
「体験したから、絶対に真実」
まあこれも確証はなく、記憶というのはそのくらいいい加減なものだそうです。
過去の記憶に縛られるのが、ばかばかしくなりますね。
「ものすごくとてつもない厄介なものだった!!」
という言い方ばかり、集中砲火のように浴びせられた。
反発などできない空気の中、「そうかな」「そうだよね」と思っているうちに、いつの間にか自分の記憶も、最初よりも何倍にも大袈裟に上書きされている。
なーんてこともあるかもしれませんね。
よくよく思い出せば、失恋した原因も一つじゃないのに。
ついでに精神科医、樺沢紫苑さんの「メンタル疾患の原因は特定できるのか」という記事より、一部も紹介いたします。
※参考までに。
以下
「うつ病、その他のメンタル疾患もそうですが、たった一つの原因でメンタル疾患が発症することはありません。
ストレス、人間関係、援助している人がいるか、 幼少期の体験、生育歴、学歴、生活環境、遺伝、 本人の性格、レジリエンスの高さ、 食事、睡眠時間、運動しているなどの生活習慣などなど。
主治医とのカウンセリングの中で、 主要な原因を特定していくものの、それが全てということはありえないのです
ですから、 「メチャクチャな環境で育った」ことは、原因の一つかもしれませんが、全てではありません。
ブラック企業に勤めてうつ病になる人などは、 「社会の構造」も、間違いなく原因の一でしょうが、 全てではないのです。
ということで、特定の原因を想定して、それで自分自身を責めたり、過去の環境、 自分を育てた親を恨んでも、何の解決にもならない。
それどころか、むしろネガティブ感情が湧き上がり、 病気に悪影響を及ぼします。
ズバッといえば、「治らない原因」を自分で作っている。
なんともったいな話でしょう」
ということで、犯人探し、原因の特定は、ホドホドにしておいた方がいいですね。