私の体験からいうと、頭の中の声を静かにさせるとあとは勝手に進む。
世界を俯瞰した視点に持っていこうとか、ジャッジを無くそうとか、感覚を研ぎ澄ませようとか、我を引っ込めようとか、何か引き寄せようとか手放そうとか、そんなことは意識したり、勉強したり、頑張ったりも不要。
勝手にそうなる。
本当にこれ(頭の声を黙らせること)しかやってない、瞑想もワークもやってない私の体感で、そう思う。
ちなみに頭の声を静めるのは
「え?それって自分の考えじゃないの?」 (最初に聞いてびっくり!!)
→「なら、聞こえたら『ふうん』って他人と思って聞こう」
→「今しか感じない体感に集中すれば、その『ふうん』も減るんだ?ならそれもやろう」
→「ホントに静かになっていくわ、オモロ」
→「なんか最近、何を見ても聞いても『…………』って感じで、湧きだす正義感とかなくてテンション下がったというか?」
→「気づいたらもー何日も平和で穏やかだわ。何も悩まないし、思い出さないし、不安とか怒りとか感じないし」
→「今日って何か考えたっけ?一日何も考えてない気がする、ははは😅 」
→「それより、寒さとか水の冷たさとか、感動した時の全身の痺れとか、味覚とか、前より強く感じるんだけど」
こういうことは「そうしよう、そうなろう」と思ったわけじゃなくて勝手にそうなった。
直観を受け取ろう!シャーマンみたいになろう!シンクロニシティを起こそう!とか気合を入れているわけでもなくて、「必要なら必要な時に来るんじゃない?そんなものが頻繁に必要なほど複雑な生活もしてないし」という感じ😅
(何かシビアなビジネスをしているとか、煩雑な人間関係に揉まれているとか、そういう方が現実生活にもっとドラマチックな変化があるかもしれないけど、私は実生活が地味で単純なので)
このくらいのテンションで、決して一生懸命、必死になったわけじゃないんだけど、それが逆に向いていたんだろうか?
今まで取り組んだ活動?勉強?仕事?趣味?の中で、いちばん楽しくて難解ではないと思った。