の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

榎社

2010年11月05日 02時38分58秒 | 近畿(大阪、兵庫)
■社殿■
(18th February 2009)



★榎社★ 大阪府大阪市東住吉区北田辺1-9-20

・祭は龍王大。

・現在地に樹齢八百有余年数える榎の大木が在り、この地の人人がこの樹を體として社殿が建てられた。

・當社は行基菩薩に由來の有る桑津墓地内にあるという形態をとる。


■鳥居■
(18th February 2009)



■體の覆い屋(背後から)■
(18th February 2009)



((コメント))

2009年2月18日

 地図に載っていたので行ってみた。墓地の中にあるという風変わりなところであった。個人的には社というイメージがわかないところであった。雰囲氣は、稻荷に近いかもしれない。龍王と稻荷がほぼ同體であるからであろう。

甲斐奈社

2010年11月05日 02時36分04秒 | 中部(新潟、長野、山梨)
■隨門■
(9th June 2008)



★甲斐奈社★ 山梨県笛吹市一宮町橋立字北畑84

・延喜式内社、甲斐國甲斐郡、甲斐奈社、論社。

・舊社格は村社。

・甲斐國總社。

・祭は國常立命、皇靈尊、伊弉諾尊、伊弉册尊。その上に甲斐國總社のため、甲斐國式内式外大小の祇を勧請している。

・祖明、林部宮、橋立明などと呼ばれた。

・恒例事や大事の際には奉幣使や宣命使が派遣され、當社から國中の諸社に對して幣帛がわかたれたという。

・江戸前期までは祭禮の日に笛吹川東の主がすべて當社に參集し、樂を奏し、五穀豐穰の祈禱をしたと傳わる。


■拜殿■
(9th June 2008)



■本殿■
(9th June 2008)
 


■舞台■
(9th June 2008)



■末社眞貞社■
(9th June 2008)
 


■末社明社■
(9th June 2008)
 


((コメント))

2008年6月9日

 無事、山梨の一ノ宮町に着くも淺間社が発見できず、コンビニに車を停めて地図を再見しようとしたときに、甲斐國一之宮の文字が見えるも社の社名が違い「甲斐奈」となっていた。が、わからないのでとりあえず攻めてみたら甲斐國總社の甲斐奈社であった。

 ところで、目的地である淺間神社は近いはずであるのに、場所がわからず、實はあせっていたら犬の散歩のじいさんが境内にやってきたんで訊ねた。「すいません、淺間社はどの辺りにあるんでしょうか?」と。彼は氣安く教えてくださった。「そこの道をもう少し行けば、大きな鳥居が見えるから」と。

 おかげで、無事に淺間社にもいけた。感謝です。

今宮社

2010年11月05日 02時29分53秒 | 関東(埼玉、東京、神奈川)
■龍木■
(16th May 2009)



★今宮社★ 埼玉県秩父市中町16-10

・祭は伊邪那岐大、伊邪奈美大、宮中八、須佐之男、八大龍王、天滿天。

・舊今宮坊、八大社、八大權現社。

・今宮社としては天文四年(1535)、京都今宮社より、須佐之男命を勧請し、創建。

・大寶年間(701-704)、役小角が佛混淆の考えに基づいて『八大宮』を建立したと稱している。

・明治元年(1868)、明治政府の佛分離令により修験道は廃止、今宮坊も解体。

・八大龍王宮を稱す。


■境内入り口■
(16th May 2009)



■龍木■
(16th May 2009)


 埼玉縣天然記念物

・樹齢千年を越える大欅。


■鳥居■
(16th May 2009)



■社殿■
(16th May 2009)



■清龍瀧■
(16th May 2009)


・武甲山伏流水が沸き出ている秩父最古の泉。
・龍様が住むと信じられている。


((コメント))

2009年5月16日

 秩父社の次は聞いた事の無い八大龍王宮を名乗る今宮社へといってみた。なんとなく、行く前から、なんとなく胡散臭い氣を感じていた、というか、基本的に「今宮」という名稱が嫌いなだけなのだが、前身は寺院だったそうなのでさもありなん、と。まあ、古寺ではあるらしい。まあ、私としては、ちょっと氣分が惡くなる系統の雰囲氣の境内であったといえる。パワースポットで知られるらしいが、どうだかな。

止止呂支比賣命社

2010年11月05日 01時52分54秒 | 近畿(大阪、兵庫)
■木■
(1st April 2009)



★止止呂支比賣命社★ 大阪府大阪市住吉区沢之町1-10-4

・延喜式内社、攝津國住吉郡、止杼侶支比賣命社。

・祭は素盞嗚尊と稻田姫尊。

・創建由緒等不詳。

・社名のトドロキとは昔、境内にあった橋の名前という。

・明治五年(1872)、住吉社家の世襲廃止とともに住吉大社攝社四社が獨立。止止呂支比賣命社の他に、生根社、大依羅社、山坂社が獨立。

・住吉大社の攝社の時代、住吉の奥の院と稱された。

・承久三年(1221年) 後鳥羽上皇が、当社境内松林内に行宮を置いた。以降、若松宮あるいは若松社と言われる。


■社號標■
(1st April 2009)



■鳥居と拜殿■
(1st April 2009)



■拜殿、幣殿、本殿■
(1st April 2009)



■攝社霰松原荒(天水分豐浦命社)■
(1st April 2009)


・延喜式内社、攝津國住吉郡、天水分豐浦命社。
・明治四十年(1907)七月三十日、安立町より合祀す。
・祭は天水分、奥津彦、奥津姫。大國主命、事代主命を配祀。


■天水分豐浦命社社號標石■
(1st April 2009)


 大阪市指定文化財

 元文元年(1736)九月、儒学者竝河誠所の考證に基づき、所在が紛れていた式内社に比定された社二十社に設置された標石のうち、市内に所在する四基の一つ。


■後鳥羽天皇行宮址碑■
(1st April 2009)



((コメント))

2009年4月1日

 明治の初めまで住吉の大依羅社や生根社、田邊の山坂社とともに住吉大社の攝社となっていたそうで住吉大社の社家の世襲が解かれた頃に四社が獨立することになったという。それまでは、住吉大社の奥の院と稱されていたらしい。しかし、なぜ、住吉大社社家の世襲が解かれたのだろう。津守家の系譜は古代から續く名家であり、非常に貴重であるのに。飛騨一の宮水無社も同じ目にあったようであるが、今の宮司さんは舊社家の藤江さんに戻られているが、住吉は眞弓さんがされている。優秀な方であるが、複雑である。

 止止呂支比賣命社は祭に素盞嗚と稻田姫の夫婦を祀っておられるが、縁結びなんかを賣りにしたらよいように思うのだが、それは淺慮過ぎるかな。さてさて、境内には承久三年(1221)に後鳥羽上皇(天皇と書かれているが1198年に退位されて太上天皇になられている)が行宮を置いたそうだが、これは、承久の乱によるものなのであろうか。少し興味深いところである。

 ちなみに、境内には一本、そこそこの木があったのであるが、全體に感じる氣はイマイチであり、名前倒れに思われるものであった。 

大職冠鎌足社

2010年11月05日 01時47分28秒 | 近畿(奈良)
■石段、拜殿■
(7th May 2008)



★大職冠鎌足社★ 奈良県大和郡山市城の台町

・祭藤原鎌足。

・豐臣秀長が、多武峯の談山社を、大和郡山城の鎭守として天正十六年(1588)四月三日に遷したという。その、二年後、兄豐臣秀吉により、談山社は元の多武峯へ戻された。その後、社殿の柱の礎石の下から鏡一面が出土したので、これを靈として祀ったといわれている。

・寶暦五年(1755)城主柳澤信鴻が現在地へ移転したと傳える。


■鳥居■
(7th May 2008)



■拜殿■
(7th May 2008)



■本殿■
(7th May 2008)



((コメント))

2008年5月7日

 田舎の細い道を抜けて、到着。一瞬見落とした。グローブをはめてボール遊びしていた少年が「鎌足社だよ」といって、家に入っていったのを覚えている。小さなところで、私には、これといって何も感じる所がない社であった。