の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

白山社

2010年11月05日 03時32分47秒 | 近畿(大阪、兵庫)
■拜殿■
(18th October 2010)
 


★白山社★ 大阪府守口市大日町2-31-1

・祭は伊弉諾尊、伊弉冉尊、菊理姫命、經津主命、天兒屋根命、武甕槌命。

・舊六番村、三番村、四番村の氏。

・享和元年(1801)の「河内名所図会」によれば、元々、現在地より西北に約三百メートル離れた位置にあり、現在、その地には「藤之森」の石碑が建てられている。


■社號標、參道■
(18th October 2010)
 


■參道、二の鳥居■
(18th October 2010)
 


■拜殿■
(18th October 2010)



■本殿覆い屋■
(18th October 2010)
 


■末社白山稻荷■
(18th October 2010)




((コメント))

2010年10月18日

 近くに仕事に来るので、時間のあるときに立ち寄った。秋祭りの關係で、氏子の方方が境内に多く見られた。社に關しては、小綺麗で大切にされていることが傳わってくるところであり、木木もあり、惡くはない。公園であれば、案外落ち着きやすいところであると思う。ただ、社としては、まあ、氣になるほどではないといえる。

月讀社

2010年11月05日 03時18分31秒 | 近畿(滋賀、京都)
■社殿■
(22nd May 2010)



★月讀社★ 京都府亀岡市千代川町小川一丁目6番1号

・祭は月讀命。天御中主命、稻倉魂、猿田彦命、建御名方命を配祀。

・延喜式内名大社小川月社が洪水で衰亡した時に勧請されたという説と、また川向こうなのでこちらに分祀されたという説がある。


((コメント))

2010年5月22日

 名大社小川月社、そして、丹波國一之宮出雲大宮へ行く道中にある月讀社。前者の小川月社に關係があるらしいがその由緒ははっきりしていないようだ。だが、おそらくは分祀であろう。

 境内は小さく、小さな社殿があるだけで、何も感じる所はなかった。小学生くらいの子達がここに集まって、ゲームをしていたので、遊び場になっていることがわかる。せっかくなら、集まって、ゲームなどせずに、みんなで一つの遊びをすればいいのに。 

走田社

2010年11月05日 03時09分45秒 | 近畿(滋賀、京都)
■境内■
(22nd May 2010)
 


★走田社★ 京都府亀岡市余部町走田1

・延喜式内社、丹波國桑田郡、走田社。

・舊社格は社。

・祭は彦火火出見命、豐玉姫命、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊。

・創祀年代不詳であるが、社傳によると、和銅四年(711)の勧請という。

・社号「走田」の由來については當社に奉納されていた絵馬から、毎夜、馬が抜け出して馳せ、その足跡が溝となり、川となって田を潤したからという。

・中世における記録は殘っていない。

・江戸時代に入って、龜山藩松平家の支配地の安町村、余部村、河原町村、新家村、穴川村の氏として厚い尊崇を受けた。


■鳥居、社號標■
(22nd May 2010)
 


■參道■
(22nd May 2010)
 


■中門、本殿■
(22nd May 2010)
 


■本殿■
(22nd May 2010)
 


■末社經津主社■
(22nd May 2010)


・祭は經津主命。


■末社大國主社■
(22nd May 2010)


・祭は大國主命。


■末社辨財天社■
(22nd May 2010)


・祭は玉依姫命。


■末社長吉稻荷社■
(22nd May 2010)
 


■末社百大夫社■
(22nd May 2010)


・祭は猿田彦命。


((コメント))

2010年5月22日

 園部から亀岡に戻り、まず行ったのが走田社。思うところがあったので行ってみたのである。川の流れと田圃に囲まれたのどかなところであるが、杜に入るとなかなか境内は広く、靜かにひんやりと時間が止まったかのような空間が広がっていた。本殿付近は特にしさを感じた。地形的な面からも、大和の村屋坐彌冨都比賣社と通じるものがあり、水と豐穣のと言う印象が強い。

飛騨國一之宮水無社

2010年11月05日 02時50分36秒 | 中部(静岡、愛知、岐阜)
■鳥居と社號標■
(22nd June 2008)



★飛騨國一之宮水無神社★ 岐阜県高山市一之宮町一之宮5323

・延喜式内社、飛騨國大野郡、水無社。

・舊社格は國幣小社。

・祭は御歳大。大己貴命、武天皇、應天皇、天火明命、三穗津姫命、照光姫命、降姫命、須沼比女命、大歳大、天照皇大、豐受姫大、少彦命、天熊大人命、大八椅命を配祀。大八椅命は尾張連斐陀國造祖。

・創立年代不詳。

・遠く古代に飛騨地方を統一した國造の始祖が、國土經営の支柱として祀ってきた國魂と考えられる。

・飛騨國式内八社の首座となり、總社も兼帶した。

・古代には祭を何と確定的意識もなくただ「水無の」とされていたと思われる。延喜式名帳にも祭は記されていない。(諸社で祀るの名を決めたのは後世のことであろうと思われる。)

・仁天皇六十五年(377)、飛騨國両面宿儺追討の勅命を受けた難波根子武振熊(和珥臣の先祖)が先帝應天皇の尊靈を籬をたてて祈ったという祭祀跡の八社のうちの一つとしての傳承がある。水無八幡と称され、飛騨八幡八社の首座とされた。

・平安時代には、主は祇官より任命され、祇伯家の支配下にあったという。

・戰國期、十二家ある祝の一つであった山下國綱、松倉城主三木自綱と婚を通じ武威を誇ったが、豐臣秀吉の先鋒として入ってきた金森長近に破れ、討死し、水無社も大打撃を受けた。

・後に大庄屋市右衛門は國綱の嫡子を自らの子として金森家に申し立て、一宮職山下家を再興した。家臣の職森家と二家が以降社家となり、千光寺が別當職を勤めた。

・山藩主となった金森長近は、慶長十二年(1607)、社殿造営を計り、再興に勤めた。その後、歴代山藩主の尊崇篤かった。

・安永二年(1773)、飛騨一円を巻き込む農民一揆大原騒動が起き、當社がその大集会場になった廉で、職山下和泉、森伊勢が磔刑となり、退転を余儀なくされた。

・山下、森家に代わり信州より梶原伊豆守家熊が招かれ、両部道を改め、阿彌陀堂、鐘堂、仁王門を撤去し社殿の大改修を行った。また、從來の祝、社人、社司などと稱した職名を宮司(大宮司)制に改めた。

・王政復古の下の廃藩置縣により初代山縣知事となった梅村速水は、富田稻太を司総督として國中の社の調査を命じ、明治政府発布の佛判然令(明治元年)に基づき、佛分離を進め社内にある佛像を撤去させ、佛教關係の古文書等多くを燒却し、史籍を失う。

・明治五年(1872)、太政官布告をもち世襲主、社家(毛利、藤枝、藤江)を廃し、山崎弓雄を權宮司、市村成章を禰宜に任じ、以降、戰後の社制度改正まで官選の宮司が任命された。

・島崎藤村の父島崎正樹宮司が明治七年(1874)から三年間在職している。

・戰時中、熱田宮の疎開があり、名古屋より水無社へ御動座となっていた。

・現在、宮司は社家であった三家の一つ藤枝家の當主藤枝和泉氏がされている。


■大杉■
(22nd June 2008)


 岐阜縣天然記念物


■絵馬殿(舊拜殿)■
(22nd June 2008)

 

 高山市指定文化財

・慶長十二年(1607)、山城主金森長近造営。
・安永七年(1778)、大原騒動の後、信州より迎えた主梶原家熊、両部道を唯一道に改め、從來の佛像、佛具はもとより社殿の多くを取り壊したが、この社殿のみ取り壊しを免れた。
・明治三年(1870)、山縣知事宮原積は入母屋造りの從來の社殿を神明造りに改め、この建物を建替用として取り壊したのを氏子が自分たちの大切な拜殿として保管した。
・明治十二年(1879)、氏子は保管中の拜殿再興を願い出、元の位置に復元した。
・戰後、大造営により、この場所に移った。


■ネジの木■
(22nd June 2008)
 

・この大檜を橋の木材として差し出すように時の代官が命じ、伐ることが決まったその夜に、意で一夜にしてねじまがったと復命し、以後、當社の檜を伐る事はなくなったという。


■馬■
(22nd June 2008)


 高山市指定美術工芸品(文化財)

・目が刳り貫かれたようになっているが、鞍掛馬と記されているらしい。
・史實はともあれ、傳説の左甚五郎の作と傳えられている。


■境内■
(22nd June 2008)
 


■手水舎■
(22nd June 2008)



■門■
(22nd June 2008)



■拜殿■
(22nd June 2008)
 


■本殿■
(22nd June 2008)

 


((コメント))

2008年6月22日

 島村藤村の父が宮司をしていた飛騨一宮水無社。小雨が降り續いていた。社名は、一般に「みなし」社と續むそうだが、「みずなし」という説もあるという。もっと、人里離れた鬱蒼とした山の麓の森の中に、寂しく鎭座していることを想像して行ったのであるが、國道の近くで駅もすぐのところにあり、やや拍子抜けではある。小雨の中、舊拜殿であった絵馬殿、境内の古い木木、馬、その他を色色見ながら門の元へ行った。そこからは先に入れない。境内は 静寂に包まれ、ひんやりとした氣が傳わってくるようであった。だが、ものすごく強い氣ということはない。ただ、昔、人人がこの社を深く信仰していた事は傳わるものではある。

 しばらく、ぶらぶらとしてから社務所にお守りなどを買いに行った。宮司さんだけがおられたようだが、この宮司さん、顔をじっと見てから、話しかけてこられた。何か感じたのかね。しばらく、話をした後、奥の部屋からペットボトルを持ってきて、「せっかくだから、そこの水を汲んでいきなさい。これ、洗ってるから大丈夫。遠くからも水を汲みに來る人がいるくらいだから。あなたも飲んでみるといい。」 と。禮を言って、水を汲んで帰らせてもらうことにした。

榎社

2010年11月05日 02時38分58秒 | 近畿(大阪、兵庫)
■社殿■
(18th February 2009)



★榎社★ 大阪府大阪市東住吉区北田辺1-9-20

・祭は龍王大。

・現在地に樹齢八百有余年数える榎の大木が在り、この地の人人がこの樹を體として社殿が建てられた。

・當社は行基菩薩に由來の有る桑津墓地内にあるという形態をとる。


■鳥居■
(18th February 2009)



■體の覆い屋(背後から)■
(18th February 2009)



((コメント))

2009年2月18日

 地図に載っていたので行ってみた。墓地の中にあるという風変わりなところであった。個人的には社というイメージがわかないところであった。雰囲氣は、稻荷に近いかもしれない。龍王と稻荷がほぼ同體であるからであろう。