■鳥居■
(13th June 2008)
★海南刀切社★ 千葉県館山市見物
・舊社格は村社。
・祭は刀切大明。
・縣道の北側海岸寄りにあるのが海南刀切社、南側山中にあるのが舩越鉈切社で、かってはひとつの社として信仰され、濱田の舩越鉈切社を上ノ宮、見物の海南刀切社を下ノ宮と呼んでいた。
・『房總志料』によれば、海南刀切社の祭手斧鑿明が勝地を求めるために使を遣わしたところ、刀切の靈地を愛したこの使は岩窟に隱れて復命せず、舩越鉈切社の祭になったという。また『安房志』は「古昔この、上國より船に乘じてこの海濱に來たり、手斧を以て巨岩を鑿開して道を通ず。ゆえに一にして舩越、海南の二名ありといふ」と記す。實のところ、二社の祭を別とする說、同一とする說があり、その關係は必ずしも判然としていない。
・本殿裏には二つに割れたような巨岩があるが、が船に乘ってきたとき、濱に上陸してから手斧で巨岩を切り開いて路を通したのだとも、人人を苦しめる大蛇が災をおこさないように、が鉈で岩を切り、大蛇の住む紫ノ池の水を抜いたときのものだとも傳えられている。
■社號標■
(13th June 2008)
■拜殿■
(13th June 2008)
■拜殿の優秀な彫刻■
(13th Jun 2008)
■拜殿の背後にある磐座■
(13th June 2008)
■狛犬■
(13th June 2008)
天保十年(1839)、楠見村の石工田原長左衞門が彫った狛犬。
((コメント))
2008年6月13日
こちらは、鉈切社と比較すると何も感じなかった。というか、スカスカに近い狀態。鉈切社が分斷されたために出來た社というので、まあ、の社のあった部分が鉈切のほうだったんでしょう。
裏手にある巨岩。磐座と思うが、見た目はかなり立派である。ただ、惜しむらくは、あまりエネルギーを感じないということであった。
(13th June 2008)
★海南刀切社★ 千葉県館山市見物
・舊社格は村社。
・祭は刀切大明。
・縣道の北側海岸寄りにあるのが海南刀切社、南側山中にあるのが舩越鉈切社で、かってはひとつの社として信仰され、濱田の舩越鉈切社を上ノ宮、見物の海南刀切社を下ノ宮と呼んでいた。
・『房總志料』によれば、海南刀切社の祭手斧鑿明が勝地を求めるために使を遣わしたところ、刀切の靈地を愛したこの使は岩窟に隱れて復命せず、舩越鉈切社の祭になったという。また『安房志』は「古昔この、上國より船に乘じてこの海濱に來たり、手斧を以て巨岩を鑿開して道を通ず。ゆえに一にして舩越、海南の二名ありといふ」と記す。實のところ、二社の祭を別とする說、同一とする說があり、その關係は必ずしも判然としていない。
・本殿裏には二つに割れたような巨岩があるが、が船に乘ってきたとき、濱に上陸してから手斧で巨岩を切り開いて路を通したのだとも、人人を苦しめる大蛇が災をおこさないように、が鉈で岩を切り、大蛇の住む紫ノ池の水を抜いたときのものだとも傳えられている。
■社號標■
(13th June 2008)
■拜殿■
(13th June 2008)
■拜殿の優秀な彫刻■
(13th Jun 2008)
■拜殿の背後にある磐座■
(13th June 2008)
■狛犬■
(13th June 2008)
天保十年(1839)、楠見村の石工田原長左衞門が彫った狛犬。
((コメント))
2008年6月13日
こちらは、鉈切社と比較すると何も感じなかった。というか、スカスカに近い狀態。鉈切社が分斷されたために出來た社というので、まあ、の社のあった部分が鉈切のほうだったんでしょう。
裏手にある巨岩。磐座と思うが、見た目はかなり立派である。ただ、惜しむらくは、あまりエネルギーを感じないということであった。