の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

上杉社 / 上杉神社

2013年10月21日 01時11分00秒 | 北海道、東北(青森、秋田、山形)
■拜殿■
(14th June 2008)



★上杉社★ 山形県米沢市丸の内1-4-13

・舊社格は別格官幣社。

・祭は上杉謙信。

・天正六年(1578)、春日山城内で急逝した上杉謙信の遺骸は、春日山城内の不識庵に鎭祭されたが、二代目景勝が米澤に移封され、不識庵も米澤城内に移し廟堂となる。

・明治四年(1871)、上杉齋憲は廟堂を改め、十代治憲(鷹山公)を合祀し、翌明治五年(1872)、上杉社と改稱した。

・明治三十五年(1902)、別格官幣社へ昇敍時に、鷹山公を二の丸世子御殿蹟に攝社松岬社として別に祀ることになった。


■參道■
(14th June 2008)

 

■二の鳥居■
(14th June 2008)



■三の鳥居■
(14th June 2008)
 


■中門■
(14th June 2008)
 


■拜殿■
(14th June 2008)
 


■幣殿、本殿■
(14th June 2008)
 


■境内社春日社■
(14th June 2008)

 

・元元、千年ほど前に越後守であった藤原遠成が、上越の春日山頂に春日大社を分靈したのに始まるという。
・上杉景勝の會津、米澤への移封により、遷座。
・上杉家の名君鷹山公の誓詞奉納が知られる。
・大正八年(1919)の火事で類燒被害を受けるも、昭和五十六年(1981)、市民の淨財により再建。


■攝社松岬社■
(14th June 2008)
<一の鳥居>

<參道、二の鳥居>

<拜殿>

<拜殿、本殿>


・舊社格は縣社。
・祭は、上杉鷹山、上杉景勝、直江兼續、細井平洲、竹俣當綱、莅戸善政。


((コメント))

2008年6月14日

 上杉家の米澤城蹟に鎭座。會津の太守が上杉であったときは、その宰相であった直江山城守兼續の居城であったところである。

 天氣が良く、日光がまぶしい。觀光客もたくさんいた。社は氣がまったくなく、分靈というか、上杉謙信の供養塔を格化したようなもんだろうというのが自分の感想である。


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