2024年6月18日(火)
聖地巡礼ツアーは、募集人員に達しました。
・・ので、現在はキャンセル待ちの状態です。
本当に有り難うございます。感謝申し上げます。
2024年6月18日(火)
聖地巡礼ツアーは、募集人員に達しました。
・・ので、現在はキャンセル待ちの状態です。
本当に有り難うございます。感謝申し上げます。
2023年5月18日(木)
8月26日(土)~27日(日)一泊二日の聖地巡礼ツアーです。
空海様のお墓の清掃です。
募集人員は15名です。
27日は、私が『健康について』自論を語りたいと思います。
私も69歳になった今、人生や健康について喋っても聞く耳を持ってくれる人が居れば話しても良いのではと思っています。
2022年11月2日(水)
空海さまの真魚の山へ行くのには、マイクロバス2台で行きましたが、翌日には大型バスでの出発でした。
バスの中でマイクを握る私を何者かが使って、しゃべっているように時々思う私でした。
よくもまぁ~しゃべり続けるなぁと、気持ちよさそうにコックリこっくりと寝るのを我慢して・・寝ている人達にも聞こえるように何者かが話していました。
そして旅の最後、広島駅に着く前に、「無念の御霊が二人・・」と話しましたが、もう一人、孝謙天皇も無念の御霊だったように思う私です。
でも、孝謙天皇も皆さんと共に旅をされて、大変喜ばれたのではと思います。
お墓参りを終えて山からマイクロバスが待つ場所まで帰って着たとき、空を見上げると真っ青な空に、雲が浮かんでいて、大平山公園にもう一度トイレに行った時にもその雲は、それぞれの形を見る人に見せてくれたようです。
最初は、「あれは千羽鶴ですよ」「千羽鶴から龍に変わっていきますよ」と、長谷川さんだったかなぁ・・、教えてくれましたが、誰か大平山公園で撮られ写真には、渦巻き状の雲の中心に、人か龍の顔が写っていました。 凄い写真でした。
大西さんが、昨日メールで送ってくれた写真には、望海山から徳山の方を写した写真で、そこにはUFOが映っていました・・と。これは、大西さんだけに見せてくれたのかもしれません。
矢野さんは、バスの中で「年内にはまとめて・・」とコミットメントしていましたが、一枚一枚丁寧に書き上げています。
下の孝謙・称徳天皇の墓の位置情報も凄い情報です!
上下の写真は、大西さん撮影 カラスは神様のレンズですから、間違いなく皆さんを一人一人見ていたことでしょう。
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ブログをUPして数時間(9:30)で空席は0になりました。これからはキャンセル待ちとなります。
お申込みの皆様に感謝申し上げます。 有難うございました。
今からその日を楽しみにしています。
2022年9月1日(木)
当初はマイクロバス1台の予定で計画して、今週の月曜日に旅行代金も決まらないうち取りあえずは日程だけを急いで発表しましたが、数時間で定員オーバーになり、その日にキャンセル待ち状態になりましたので、マイクロバス2台にして、さすがに翌日もマイクロバス2台で旅をすることはできませんので、翌日は大型バスで巡ることになりました。
当初のツアーの予算は6万円~6万五千円程と思っていましたが、多くの皆さまのご協力が得られそうですので、代金は5万円に決定しました。
本当の歴史を知ることで、そして心ある人達の行動で地域おこしの大きな流れの先がけになるのであれば、これほど嬉しいことはありません。
参加される皆さんもそうだと私は思います。
それにしても・・、東京、京都、大阪から行かれる方々は、新山口までの旅費や前泊または後泊などの金額を考えると、頭が下がる思いです。
地元山口の方々が、「美味しい弁当屋さんがあります」と言われますで、当日のお弁当も用意していただくこととなりました。
あと空席は、5,6名ほどのようです。
それにしても・・、皆さんの思いは熱いですね。 感謝です!
2022年8月16日(火)
いつ空海さまのお墓が山口にあることを教えてもらったのか・・。
日記替わりに書き綴っているブログに2017年1月9日(月)の朝に教えられたと書いていますね。
そして次の日に初めて、かわいい魚のコンターラインが見える地理院地図をブログに掲載しました。
そしてそこには、「誰が高野から移し替えたんだろう」という疑問が浮かび上がります。
その答えを導くにはやはり空海コードでした。
当然として高野山の弘法大師廟と真魚の山(望海山)とを結んで、二等辺三角形を描くポイントに遥照山両面薬師という意味ありげな寺院名が地理院地図に浮かび上がりました。
2017年2月24日付けで武部さんが、火(ホ)と「ニワ」と鍋釜 に
に「円仁」しか僕には考えられない。と書き込んだ。
私が「円仁」という名前を聞いたのは、この時が初めてだった。
この石を見つけたのは中原椿さんでした。
2019年9月2日(月)
空海様の墓と岩井廃寺塔跡と熊野本宮大社は直角三角形を描きます。
又、岩井廃寺塔跡と熊野本宮大社を結んだライン上に、古代の大王や賢人たちのお墓の場所をおしえる重要な寺院である広渡廃寺跡もあります。
熊野本宮大社は、1889年(明治22年)の大洪水で流されるまでは熊野川の中州にあったということですから、こちらのポイントで結べば、ケプラー三角形を描きます。
そして、その三角形の重心となる場所に岡山県玉野市の臥竜山があります。
玉野市一帯は磐座がたくさん在り、その中でも臥竜山山頂の巨岩は霊岩として崇められてきたようです。
熊野から、鳥取岩井から、そして臥竜山から空海様の御霊に多くの人達が手を合わせたのでしょう。
いえいえ・・空海様が今でも真魚の山である望海山からそれぞれの場所へと思いを届け続けているのでしょう。
空海様とその仲間たちの素晴らしいハーモニーは今も続いているようです。
2019年8月20日(火)
18日(日)の夕方の番組で「ポツンと一軒家」を見ていて、「これはメッセージだ!」とすぐさまその地をメモしました。
そしてそこから教えられたことは、山岳宗教の山、修験道の山として千二百数十年前に開かれ、現在は法華経の聖地として、人々を惹き付けてやまない霊山・七面山の存在でした。
私は今まで一切、七面山のことは知りませんでしたから、ネット情報を得て地理院地図にポイントを印しました。
そしてその意味が解るのにさほど時間はかかりませんでした。
「思い出せ、思い出せ!」と、不思議な物語の始めからの出来事を思い返していました。
不思議な話は、遠い昔に夢見した情景が忘れられずに、たどり着いた場所が兵庫県の中央部に位置する、「千ヶ峰」の南に位置する「神光寺」でした。
その千ヶ峰の山頂に「南無妙法蓮華経」の石碑があって、誰もいない山頂で一人その石碑に腰掛けて、長く山々を見つめていたことも思い出しました。
書くことは沢山ありすぎて・・、ありすぎて・・、ですので、ここでは結論です!
千ヶ峰山頂から空海様のお墓である山口県にある真魚の山(望海山)まで319㎞ですが、七面山麓にある羽衣白糸の滝までも319㎞と同距離の位置にあります。
白糸の滝の前にも「南無妙法蓮華経」の石碑があるようですが、白糸の滝は、間違いなく空海様が造っていますね。
奈良時代、役行者が葛城山から祈り見つめた聖山が千ヶ峰でした。
図形ではほぼ綺麗な二等辺三角形を描く場所の七面山を聖山として修験道の人達が登り祀るようにしたのは、空海であり円仁であり、そして日蓮とその弟子たちに引き継がれたと私には聞こえてきます。
下の写真は、9年前に一人で千ヶ峰に行った時の写真です。
その時の私の正直な思いは、大事な山に人工的なものを立てて無礼な!、自然の景観を台無しにしている・・と。
その思いは今も変わりません。
自然の情景を壊してまでやれば、必ず調和を乱します。
押しつけはダメです!
想いは自然と共にあるのですから・・。
下の写真は、羽衣白糸の滝のネット上からの情報です。
滝の前に「南無妙法蓮華経」の石碑が見えます。
空海さまは幼少の頃、「真魚」と呼ばれていました。
それで・・なのか、 イエスを魚で表現していたからでしょうか。
んん~~ん いえいえ両方の意味を持たせて魚のコンタ―ラインで造られていますね。
それで空海様のお墓を「真魚の山」と私はよんでいます。地図上では「望海山」となっていますよ。
先日の岡山へのツアーで遥照山両面薬師へ行かれた方々が、伽藍と二仏が刻まれた石を見られましたが、その石の前で手を合わせた先が、みごとに空海様のお墓でした。
三郎岳にも日蓮大菩薩の石佛がありましたが・・、何!? 三郎って誰!??
2019年2月26(火)
法隆寺の基本計画と建物の配置には唖然とさせられます。
山口にある空海様のお墓(望海山)、アブラハムの父、テラ(日本名、天照大神)の墓(神野山)を東西の基本ラインとして、そのラインから北方向に、
西円堂が蘇我入鹿(=聖徳太子)の墓(松尾寺の補陀落山)
金堂は第五十代桓武天皇の墓(京都高雄山428.4m)
夢殿は藤原鎌足のお墓(鎌足公古廟から移し替えられた交野山の北方向にある場所)
建物の方角には1度の狂いもありません。 見事です!
そして、モーセの墓、モーセの御霊を移し替えた場所、イエス・キリストの墓、卑弥呼の墓、マリアの墓・・
それに、聖徳太子を祀る広隆寺へも手を合わせるようになっています。
上御堂は広隆寺に手を合わす設計になっていて、上御堂と広隆寺とマリアの墓は見ごとに直角三角形を描きます。
どれを取っても見事です。
又、この法隆寺の位置決めは、ここから磁北方向にある京都府の675m地点を基準ポイントとして位置出ししていることも分かりました。
それと・・創建当初の若草伽藍の位置と方角が教えるものも又、イエス・キリストの墓を三角法でズバリ教えていました。
我が国の礎を築かれた偉大な現人神のお墓を全て、現在の形になる法隆寺を設計建築した人達は知っていたということです。
空海様も間違いなく知っていた人物の一人だったということです。
法隆寺が教えている情報は、尊いものであります。
どの場所でどこを向いて祈ると誰に手を合わすようになっているかを知ることで、必ず心が豊かになることでしょう。
もう意図的に隠すために論争させ続ける邪馬台国論争も意味をなしません。
政治政体が奈良巻向で、国事国体は播磨国風土記に記された「埴丘の里」、現在の兵庫県神崎郡神河町の栗でした。
卑弥呼はイエスの直系であるがゆえに7.80年続いた戦乱を終息させるために共立された女王でした。
このような全ての事実を第五十代桓武天皇達は知っていたわけですし、二葉葵を紋章とする人たちも、三つ葉葵の徳川家の方々もハートの形の意味を知っています。
幕末までは、間違いなく先祖供養はされています。
このまま知って知らぬふりをし続ける怖さを関係者は理解しているのかどうなのか・・。
神の世界にも限度があるようです。
3月9日、歴史の真実が分かるように残してくれた行基さんのお墓へと手を合わせに行ってから、法隆寺です。
そして、蘇我入鹿さんに手を合わせに行きます。
真魚の山(空海様のお墓)は、どこを向いてるのかなぁ~と思っていましたが、ピッタリと法隆寺を向いていましたねぇ。
それにしても・・、可愛いですねぇ。 どうやって造るんでしょうかねぇ。
2019年1月4日(金)
3日夕方6時10分頃熊本で震度6弱の地震が発生しました。
私の故郷、葦北も震度3とのTV速報。
昨年いろいろあった山崩れや噴火、台風や豪雨などは、すべて私に大事な神々の山の存在を教えていました。
そのような目でこの地震を地理院地図を開いてみると、またまたビックリです。
震源地に三郎という地域があり、イエス・キリストの墓と結んだライン上に三郎島がありました。
それで、「三郎島」で地理院地図で検索をかけるとブルーの旗が対馬にも三郎島があることを教えてくれました。
三郎島の北近くには、以前から気になっている「神ノ山」があります。
んん~~んこれらの地点を結ぶと、2:1:√3に近い綺麗な直角三角形を描きます。
そしてその三角形の重心に山口県にある空海様の墓である、可愛い魚のコンターラインの真魚の山があります。
この地震のメッセージは、番頭の三郎が言っている、真魚の山は空海様の墓であり、空海様がイエス・キリストの墓こそ、「神の山」であると言っています。
いつまででも「何の根拠があって・・」とか「あほな!」と言っていたら、ますます災害が大きく増大するばかりです。
早く神々の山を認め崇め祀ることです!
遅れることあらば、取り返しのつかない状態を招きます。
正月早々、強烈なメッセージが発せられました。
対馬の神ノ山の横には、悪代山とは・・、善と悪が対峙している構図ですね。
2018年12月19日(水)
岩上神社とイエスの陵墓と卑弥呼の墓と「妙見山の魚」の4点は一直線に並んでいます。
そして、イエスの陵墓と「妙見山の魚」と「威徳森の魚」との三点は直角二等辺三角形に近い位置関係にあります。
又、岩上神社と妙見山の魚と威徳森の魚の三点を結んだ三角形は、イエスの陵墓と威徳森の魚とを結んだラインでシンメトリーになっています。
あまりにも見事です。
これらが偶然に起こり得る確率とはどのようなものなのでしょうか。
威徳森の魚も、妙見山の魚も、イエスの陵墓と規則性のあるポイントに位置しています。
このことは、人為的な証拠と言えます。
イエス・キリストのことを二匹の魚で表現しますが、このことを表現しているようでなりません。
(上・下の写真は、月刊ムーの公式ウェブより)
空海様の墓である山口県の真魚の山の魚も規則性のある重要なポイントにありましたねぇ。
2018年12月1日(土)
モーセ終焉の地もそこそこに、そこから三次市の弘法山へと向かいました。
弘法山は高野山から空海様の亡骸を移し替えた山口にある魚のコンターラインの真魚の山(空海様の墓)までと、イエスの陵墓やイエスの四男の第四代懿徳天皇の墓を教える威徳森の中にある魚の山まで同距離で綺麗な二等辺三角形を描きます。
やっと行くことができました。
山への入り口の麓には、素敵な喫茶店「あみん」がありますからカーナビにセットし、
ここから道は一つですから迷うことなく、歩くことなく山頂まで行けます。
山頂には大事な磐座も存在していました。
そしてその磐座はイエスの陵墓を見事に教えていました。 感動しました!
空海さまの祠は、藤棚のところをちょっと下りた場所にあります。
そしてその祠は、大神山神社本社を見つめ見守っています。
展望台からは、360度の雄大なパノラマをぜひ見ていただきたいものです。
そうすればこの場所がいかに大事な場所であるかが分かります。
この場所は、太古からの天体観測所であり、星の位置や太陽の位置から時間も知ることができたと推測できます。
実は、長野県松本市に弘法山古墳があります。
実に不思議ですが、京都の東寺の五重塔から弘法山までの距離と弘法山古墳までの距離は、244.4㎞と同距離です。
そして、奈良県宇陀市に伊那佐山がありますが、ここから弘法山までの距離と弘法山古墳までの距離は、264㎞と同距離です。
弘法山は、太古から天体観測所であり「時」を知る重要な山でした。
伊那佐山も東寺も、太古から都に「時」を知らせる重要な役割を担っていました。
弘法山こども天文台が山頂にあることも大変喜ばしいことです。
太古から弘法山は重要にして重大な山でした。
笑顔がとても素敵です!
広島県三次市甲奴町本郷にある弘法山から真魚の山(空海様の墓)までの距離と、
香寺町中村山中にある魚までの距離は、凡そ149㎞と同距離にあります。
偶然でしょうか。
秦河勝のお墓である赤穂の生島から弘法山と高野山の弘法大師廟までの距離は、共に凡そ 123㎞と同距離です。