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かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

光明皇后は、ダン族とガド族の血を引いている

2020-07-25 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

[English]

2020年7月25日(土)

光明山は光明皇后の参り墓である。

山頂は墓であり、上ることはできないので遥拝の山から山頂に眠る御霊に手を合わせことになります。

その遥拝の場所から光明皇后に手を合わすせますが、その先にはユダヤの12部族でも大王の北、あるいは頭上を守護する任務であり、勇敢な戦闘集団でもあり蛇をシンボルにあしらっているダン族の墓である段ヶ峰に方角はピタリと合っています。

そして、王様の南を警護し、幕屋の設営など王様のお世話をする任務のガド族の墓である千ヶ峰の三点で基本形である2:1:√3に近い直角三角形を描くポイントに、光明皇后の墓は造営されています。

見事です!

光明皇后は、ダン族とガド族の血を引いていることを告げています。


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空海様と身延山

2019-09-10 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2019年9月10日(火)

先日の山梨への旅の最後は、身延山でした。

身延山に日蓮が道場を開き眠りについたのも、空海様の墓を意識してのことと私には思えます。

霊峰千ヶ峰から空海様の墓までと、身延山までの距離は、凡そ320㎞と同距離にあり二等辺三角形を描きます。

千ヶ峰の秘密と、空海様の墓の秘密も、全て日蓮も知っていたと言うことです。

 

 

 


                                                                                                              


 

 

 

           


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ポツンと一軒家から重要なメッセージ! 空海様の墓は山口県の望海山である!!

2019-08-20 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2019年8月20日(火)

18日(日)の夕方の番組で「ポツンと一軒家」を見ていて、「これはメッセージだ!」とすぐさまその地をメモしました。

そしてそこから教えられたことは、山岳宗教の山、修験道の山として千二百数十年前に開かれ、現在は法華経の聖地として、人々を惹き付けてやまない霊山・七面山の存在でした。

私は今まで一切、七面山のことは知りませんでしたから、ネット情報を得て地理院地図にポイントを印しました。

そしてその意味が解るのにさほど時間はかかりませんでした。

「思い出せ、思い出せ!」と、不思議な物語の始めからの出来事を思い返していました。

不思議な話は、遠い昔に夢見した情景が忘れられずに、たどり着いた場所が兵庫県の中央部に位置する、「千ヶ峰」の南に位置する「神光寺」でした。

かごめかごめの唄の幕開けは、千ヶ峰でした。

その千ヶ峰の山頂に「南無妙法蓮華経」の石碑があって、誰もいない山頂で一人その石碑に腰掛けて、長く山々を見つめていたことも思い出しました。

書くことは沢山ありすぎて・・、ありすぎて・・、ですので、ここでは結論です! 

千ヶ峰山頂から空海様のお墓である山口県にある真魚の山(望海山)まで319㎞ですが、七面山麓にある羽衣白糸の滝までも319㎞と同距離の位置にあります。

白糸の滝の前にも「南無妙法蓮華経」の石碑があるようですが、白糸の滝は、間違いなく空海様が造っていますね。

奈良時代、役行者が葛城山から祈り見つめた聖山が千ヶ峰でした。


図形ではほぼ綺麗な二等辺三角形を描く場所の七面山を聖山として修験道の人達が登り祀るようにしたのは、空海であり円仁であり、そして日蓮とその弟子たちに引き継がれたと私には聞こえてきます。

下の写真は、9年前に一人で千ヶ峰に行った時の写真です。

その時の私の正直な思いは、大事な山に人工的なものを立てて無礼な!、自然の景観を台無しにしている・・と。

その思いは今も変わりません。

自然の情景を壊してまでやれば、必ず調和を乱します。 

押しつけはダメです!

想いは自然と共にあるのですから・・。


下の写真は、羽衣白糸の滝のネット上からの情報です。

滝の前に南無妙法蓮華経」の石碑が見えます。


空海さまは幼少の頃、「真魚」と呼ばれていました。

それで・・なのか、 イエスを魚で表現していたからでしょうか。 

んん~~ん いえいえ両方の意味を持たせて魚のコンタ―ラインで造られていますね。

それで空海様のお墓を「真魚の山」と私はよんでいます。地図上では「望海山」となっていますよ。

先日の岡山へのツアーで遥照山両面薬師へ行かれた方々が、伽藍と二仏が刻まれた石を見られましたが、その石の前で手を合わせた先が、みごとに空海様のお墓でした。


三郎岳にも日蓮大菩薩の石佛がありましたが・・、何!? 三郎って誰!??

 


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武部さんが神河町猪篠で大亀を発見!!

2019-07-27 05:05:05 | 神河町にあるメノラーの地上絵

2019年7月27日(土)

神河町猪篠内藤さんと大首君は今、炎天下で農作業に勤しんでいま~す。

そこの現場へと武部さんと行きましたが、車を停めたところで「岩がある!」と武部さん。

な~~~んとその石、亀石でした。

可愛いカメさんです。  大ウミガメほどの大きさです。

な~~んとその亀さんの甲羅が向いている方向は、現在は在りませんが以前お寺が在ったと言う場所を教えています。

そして、頭はなんと! コンパスグラスで90度。

この方向にはその昔、沢山のお寺が在り、現在はそれらを一つにして祀っているという千ヶ峰の南麓にある神光寺があります

これは、凄いカメさんです。 大切にしなければなりません。

 

 

 


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後醍醐天皇と桓武天皇の亡霊が動き出して、再び地下神殿の場所を教えた

2018-10-25 04:50:27 | かごめかごめの真実とは

2018年10月25日(木)

 歴代の天皇の中でも、思い半ばでこの世を去った第50代桓武天皇と第96代後醍醐天皇浮かんできます。

後醍醐天皇陵は、奈良県吉野にありますが、桓武天皇の墓は定かでないようです。

でも私には、桓武天皇の墓は京都府にある高雄山(428.4m)だと教えます。

現在の神護寺の上になります。

空海さまが長安から帰って太宰府庁に隣接する観世音寺にいて、公に京の都に最初に入った場所が高雄山寺でした。

どうしてか・・!? これを考えれば答えは当然至極なのです。

そこには、和気清麻呂の墓もありますし、桓武天皇も眠っていますから、当然としてこの2人に指導された空海さまが、2人の御霊の供養をしたわけです。

この国の大王たちは、この世で最後の務めとして、亡骸をどこに置くかによって連綿と続く王家の人達が眠るお墓や陵墓でこの国の歴史を教えていました。

高雄山のお墓の場所にも行かされました。

最近、武部さんがしきりに吉水神社のことを書かれていますが実は、台風で荒れ狂う宗像大社へ行って不思議なことが始まった2010年8月11日から数日後の8月16日、千ヶ峰の麓に居られる有名な女性霊能者のところへと連れて行かれました。

そこで、「今日は後醍醐天皇の命日です。ほらっ、目の前に後醍醐天皇が居られます・・」と、まあ不思議なドラマがあったりして、それからほどなくして、私が信頼する友人の実家が吉野だということで連れて行かれたのが吉水神社でした。

そこでまた、後醍醐天皇の存在を知ることになり、ほどなくして綾部の大本教本部に突然連れて行かれたり、笠置山に連れて行かれたりして・・。

もう何が起きているのか、どこかの世界に引き込まれたのか、ドギマギする日々が加速していきました。

その後、「隠岐の島へ行って一番高い大満寺山へ登れ! 昔は摩尼山と呼ばれていた」と言うことで、大急ぎで隠岐の島へと行ったりして、ここでも後醍醐天皇をより強くしることになったりしました。

もうどこまでも不思議な世界にどっぷりと浸かってしまた8年間です。

もちろん吉野の後醍醐天皇陵にも行かされました。

そして、桓武天皇の墓と後醍醐天皇陵の二点から、二等辺三角形を描くポイントが、「とうりゃんせ」の唄の舞台であり、地下神殿の在処だと教えられて居ます。

なにも分からない状態から、「穴を掘れ!」と言われて穴掘りを開始した場所が、どのような祀り場所であるのかの根拠を時間をかけて教えられているようです。

実は、隠岐の島の大満寺山と後醍醐天皇陵の二点を結ぶラインに、この地下神殿の場所は見事に位置しています。 

そして最近、武部さんがしきりに後醍醐天皇に関する吉野と隠岐の島のことをブログで書かれておられるので、

後醍醐天皇陵と桓武天皇の墓とを見つめて浮かび上がるのが、イエス王家の人達を祀る、岡山にある天神山です。

天神山と言えば、その山を守るように配置されていた日蓮宗不受不施派弾圧の歴史の謎も教えらえましたね。

天神山~熊山遺跡~京都御所~東京の御所~から、日月神示が下された千葉県の麻賀多神社までは見事に一直線であることも浮かび上がりました。。

そしてそこから、麻賀多神社が向いている方角に、本当に岩山を「日と月」に造り上げた山を発見し、その日月の山(岐阜県)へも行かされました。

そして、後醍醐天皇陵と日月の山と、イエス・キリストの墓が綺麗な2:1:√3にほぼ近い綺麗な三角形を描くようになっているなど、関係性がある場所場所を教えられました。

後醍醐天皇陵と桓武天皇の墓は、大事な大事なベンチマーク的な意味を秘めていることを教えられます。 重要な二点です!

 

 そして今回、不思議な図形を描かされました。もうこれは、どう見ても簡易式の住居となるテントに見えてしまいます。

古代ユダヤの王たちの住まいである幕屋、ユダヤの秘宝アークを安置する幕屋の図案を描いています。

そしてその場所の位置こそが地下神殿であることを古代ユダヤの大王の血を引き継ぐ桓武天皇とご後醍醐天皇が教えています。

後醍醐天皇と桓武天皇の亡霊が動き出したようです。

 

   

 

武部さん、綺麗なセーマンが現れましたよ。

・・それにしても、綺麗な図形ですねぇ。


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先人達は、熟慮を重ねたうえで陵墓や神社やお寺を設計し、埋田神社もその中でも特に重要なことを教えていました

2017-10-11 08:31:31 | かごめかごめの真実とは

2017年10月11日(水)

 神河町中村にある埋田神社の祭りは勇壮でした。

その埋田神社がある場所は、見事に設計されたポイントに造られていました。

魏志倭人伝に記されている邪馬壹(台)国は、政治政体が纏向(奈良)で、国事国体が栗(神河町)でした。

ですから、女王卑弥呼が住んでいたところは、現在の神河町でした。

卑弥呼は、248年11月17日、大国主命=イエス・キリストの命日に自らの手で造営した婀月山の陵墓に岩戸隠れしました。

その陵墓から出雲大社までの距離と伊勢神宮内宮までの距離は、ほぼ193㎞と同距離の場所に築造されています。

また、その場所は、笠形山~砥峰 千ヶ峰~雪彦山の山頂点を結んだ交点に設けられています。

そして・・、卑弥呼の陵墓である婀月山と笠形山とまでの同距離の地点に埋田神社があります。

そしてそして、なんと神様に備える榊の原型である東のメノラーと卑弥呼の陵墓を結んだライン上に埋田神社があり、法楽寺、春日神社が見事にそのライン上に造営されています。

この聖なる地域の中でも埋田神社には歴史的にも特別な意味が託されています

実は、1000人の御霊に手を合わすように見事な設計がなされていました。

特に、地元の中村の方々には知っておいていただきたいことがあります。

いつの日かその時が来るのを今から心待ちにしている私です。

 

 


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不思議な物語の始まりでした

2017-09-18 07:07:07 | かごめかごめの真実とは

2017年9月18日(月)

 2010年9月23日秋分の日に初めて生野の姫宮神社へと行って、宮司さんと会って

私  ・・  「この上の山の名前は何と言う山ですか」

宮司さん・・「ゼッポウと言います」

私  ・・  「どんな字を書くんですか」

宮司さん・・「絶対のゼツにミネ(峯)と書きます」

・・・ 私には 「絶対的王様のお墓」と瞬間聞こえました。 峯 峰 ミネ・・とは ヘブライ語でお墓のことなんですね。

そして姫宮神社を後にして、生野峠と越えて南へ車を走らせて、そのことを不思議な女性Mさんに電話で報告をしながら話をしていて、

「空海さまが・・」と言ったとたんに、目に飛び込んで来たのが、七宝寺さんの入り口にある空海様の立像だったという不思議なお話のスタートだったのでした。

・・・

実はこの前日、千ヶ峰の東麓で白龍を祀る、とある団体の御月見際に呼ばれて、Mさんと私とあと2人の男性計4人で私の運転でドライブしているとき、

私の後ろに座っていたMさんが知人に電話して、

Mさん ・・ 「今ね、御月見際の帰りでね、ウエモリさんと一緒なんだけど・・」

 ここで初めて謎の女性、筒井翼さんが電話の向こうから登場するのでした。

筒井さん・・「上森さんの後ろに、をもった方が見えるわ」

Mさん ・・「それって、天皇?」

筒井さん・・「わかんない・・」

Mさん ・・「いったい誰よ?」

筒井さん・・「上森さん、左目に異常はないか聞いてください・・」

私  ・・ 「どうもありませんが・・」

筒井さん・・「左目に注意するように言ってください・・」

そして

Mさん ・・「翼さんがね、綺麗な声で唄を歌う御姫さまが祀られている神社があるはずだから探して行きなさい。行けばあなたを誰かが待っています・・と言ってるわ」

・・

まぁ~短く書けばこのような会話がありましたねぇ。

そしてその翌日の秋分の日に朝早くからまだ暗いうちに家を出て、淡路島の北に位置する始めていく岩屋神社を探して行きました。

しかもそれは、朝日が顔を出す前に行って、日の出を拝むというのが条件でした。

でも・・、あいにく天気は悪く、雲で朝日を見ることができませんでしたが、一瞬雲の間から薄日が差し、私の目には龍が顔をだしたように見えました。

これは本当に不思議な不思議な物語の始まりでした。

そこからカーナビにセットした生野の姫宮神社まで車を走らせました。

秋分の日の出来事でした。


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神河町に初めて降り立った日は、2010年9月23日 秋分の日でした

2017-09-17 07:07:07 | かごめかごめの真実とは

2017年9月17日(日)

 熊本生まれの私が、兵庫県の中央に位置する神河町に初めて降り立った場所は、七宝寺入り口にある空海さまの立像の前でした。

それは、2010年9月23日(木・祝) 秋分の日の出来事でした

そのことをブログに記録としてのこしていましたので、ここに紹介いたします。

・・・

2010年9月23日(木・祝)002_2004_2

 一人で朝6時に淡路島にある岩屋神社にたどり着く。

「岩屋神社から朝日を拝んでください!」と、千ヶ峰の秘密を知っているYさんにそっと耳打ちされていましたので気になって行きました。

神社に着くと数人の男性が同じように朝日が出るのを待っている様子でしたが、雨雲が立ち込めているのであきらめて帰って行きました。

が、私には薄っすらと明りが見えて、ひょっとしたら太陽が瞬間でも顔を見せてくれるのではとの期待があり、その明りの方を観ていると、どうでしょう。 一瞬、厚い雨雲が晴れるかのように明るくなった瞬間、龍の顔が現れました。 

いえ、そのように観えたのかもしれません。 雲が龍の顔に・・・。今でもその感動は覚えています。ほどなくして小雨がぱらつきだしましたが・・(んん・・、行ってしまえ!)という感じで、きれいな声で唄う御姫様を祀っている神社であろう姫宮神社へ行くことにしました。

この日の日本列島は、満月で秋分だと言うのに、全国的に雨と雷で荒れた天候となった模様ですが、夕方からは回復して満月が観れたようでした。

小雨に煙る生野の姫宮神社へ参拝し、それから生野城跡に造られた「びわ丸健康公園」へ行って、公園建設中に偶然発見されたという坑道の入り口の前に立っていました。

そしてそこでピンクの物体を取り出し、手を会わせて私は祈っていました。それからまた

、もう一度参拝をして生野を後にしようと姫宮神社の本殿前まで行くと、車が後から側道を上がって来ましたので、その男性に話しかけると、なんとこの神社の宮司さんと言うことです。・・で、私は宮司さんに聴きました。

私   :「この山は何と言う山ですか?」

宮司さん:「ゼッポウと言います。またはゼッポウのミネとも言います」

私    :「どんな字を書くんですか」

宮司さん::「絶対の絶に峰です」

私  :「ゼッポウ!ですか」  

・・・

私には瞬間同時にピン!と来るものがありました。絶対の王のミウネ(お墓)で、絶峰だ!と聞こえたのです。  間違いなく 絶対の王がこの山には祀られていると・・・、私には確信的な響きに聞こえました。

その興奮も冷めやらぬうちの帰途中、車からMさんにその日の出来事を話していて、「空海様が・・」と話したその瞬間に私の目の前に空海様の顔が飛び込んできました。 もう、ビックリ!で、心臓が飛び出しそうな瞬間でした。 ・・で、あわてて車をその場に止めて、空海様の立像を眺め、

私  :「びっくりしましたぁ! 空海様がぁ・・」

Mさん:「そう!! 空海様所縁のお寺さんかもしれないから七宝寺さんに行ってきてよ」

私  :「分かりましたぁ・・。行ってみます」

・・・と言うことで、矢印の方へ車を走らせると・・、お寺さんに行き着きました。

その正面には・・、なんとも可愛らしい亀さんが・・・、 そして七福神様達がその亀の上に。

096 094 087 086 088 104 107 109 043 046 039 038 036 035 034 030 033 026 025 020 019 018 016 008 006


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あなたに会えてよかった

2016-06-27 17:05:21 | かごめかごめの真実とは

2016年6月28日(火)

 ツアーの集合場所は新大阪駅の千成びょうたんの前でした。

私には、「千成」と「ひょうたん」が妙に懐かしく思いました。

この物語の最初のころに、千ヶ峰の霊能者の女性Iさんが空中から突然「千成」と書かれたコインが出てきて・・、と言われて、その写真を「上森さん、持っててください」と言われ、

又、その方と大王岬に行くとき、京都で待ち合わせ場所に指定されたところが豊国神社で、その神社は豊臣秀吉を祀る神社で、そこも千成びょうたんがありました。

そこから豊臣秀吉の財宝が隠されている大王岬のとある島を見つけに行ったりしたことなど思い出します。 その島を大きな大きな龍神がとぐろを巻いて守っていると、謎の女性、筒井翼さんのことなども思い出しました。

最初のころ「千成」は、トセーで、取り出せ!祀れ! という二つの意味があるヘブル語だと教えられ、空中から「千成」のコインが出現したという出来事は、目に見えない世界からのメッセージだと私は受け止めました。

それからどんどん不思議な世界へと誘われていきました。

このようなことで、朝から何か起きる予感がしていました。

矢野さんが予約していた昼食会場の名が「鶴喜そば」で、折鶴の庭もあったりして・・と。

最澄さまがお生まれになった生源寺の隣にある大将軍神社で、「金龍が現れて空に登っていきました」とHさん。

「エエ~~、そうですかぁ!」と、私。 そこの神社には精霊や小人や龍神も住み着いていても不思議でないような、滋賀県指定自然記念物の見事なスダジイの存在には圧倒されました。

推定1300年と書かれていても疑わないような気もしました。

そこから、勢いよく水が流れる溝と瀟洒な塀を見ながら日吉大社へと、大勢の御一行様が上がって行かれました。

その日吉大社で、境内の大きな案内看板が目に入りました。

そこで藤田さんが、「アゲハチョウが・・、アゲハチョウが飛んでる」と声を上げて居られるので、アゲハチョウを見ると・・・。

なんと、そのアゲハチョウは、看板に描かれた2ヶ所の建物にタッチアンドゴーでサインをくれたので、その場所を見ると・・、宇佐宮と白山宮でした。

境内はあまりにも広すぎて時間もないので、アゲハチョウさんは、この二か所だけは行ってほしいと言ったようで、私はその2ヶ所だけに行くことにしました。

その宮へ行くと、2人の姫神が祀られていましたね。私には、初代女王卑弥呼と二代女王神功皇后とを祀っていると聞こえてきましたが・・。

神仏習合の信仰を表す「合掌鳥居」とも呼ばれる独特の形の山王鳥居。

    

 

 私はアゲハチョウさんが教えた 白山宮 宇佐宮 2ヶ所の宮だけを注視しました。 

皆さんが境内を見歩いてバスにもどると、雨がポツポツと降りだしてきました。

でも大きく崩れる天気ではなさそうでした。 今日は一日晴れの気配だったので傘は持って行っていませんでした。

そしてそこから45分ほどかかって山頂の第一駐車場に着くと同時に猛烈な雨。

最澄さま達お出迎えの皆様方が、こらえきれずに大勢さまが大粒の涙を流されたようでした。

そこで武部さん、「この雨はすぐに止みますよ」と、スマホの天気情報を見せてくれましたが、本当に山頂だけに雨が降ったようでした。

本当に武部さんが言ったように雨はすぐに上がって、一切ホコリが立たないように、丁寧にもう一度打ち水されたようでした。

雨が上がるのを待った数分のバスの中で、あることを私は話しました。 それは・・、空海さまと最澄さまの溝ができていた重大なことがらだったと思っています。

1200年ぶりの再会を果たすためには、最澄さまにそのことを伝える必要が空海さまにはありました。 

最澄さまもやっと空海さまに教えてもらったのでした。 その瞬間、 雨は嘘のように上がりました。 

このことは、亀さんが詳しく教えてくれるでしょう。・・でも100%教えてもらえるかは定かではありませんが・・。

 

バスの近くまで大勢のお出迎えの方々が、来られたようでした。

ビックリ仰天の様相でまたまたHさんが私に伝えてくれました。

「もう大勢の方々が来ておられますよ、大勢の方々が・・見える見える・・沢山の方々が・・」と。

最澄さまの御命日に、空海さまからすすんで1200年ぶりに比叡山で再会を果たされたようです。

根本中堂で最澄さまの心を汲み取られた空海さまは、私に胸の内を語られたようでした。

京都駅で皆様とお別れした後、少しだけ喉を潤すこととなりました。

その席には間違いなく空海さまが居られるのを強烈に感じていた私でした。

祈念撮影をとお願いした店員さんが、「いいですかぁ」とカメラを構えた後ろに大きな一文字が目に飛び込んできました。

6月26日 最澄さまのご命日でした。

6月24日 は、弟の命日。「良かったな~空海さまの弟子にしてもらったんだな」と、弟に言ったことがある私です。

6月24日には、私が関西に出てきてから、よ~くお世話になった照子おばさんが亡くなられ、

前日25日には御通夜に行ってた私でした。

「告別式には出れませんが・・」と言って、おばさんと最後の別れをした私でした。

いろいろな思い・・。

でも強く感じたのは、やはり空海さまでした。

1200年ぶりに・・・。   空海さまも・・・   最澄さまも・・・

 あなたに会えてよかった   と、自然と肩を抱き寄せあって居られたました。

 


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4月9日 一名の空きは埋まりました

2016-04-01 11:22:58 | かごめかごめの真実とは

1名の空きが出ましたが、すぐに埋まりました。

 

今回は兵庫県中央に位置する千ヶ峰の真南に位置する場所ですが、千ヶ峰の本当の意味もここに来てやっと分かりました。

和泉葛城山に祀られていた高龗(たかおかみ)神社が向いている方角はなんと、千ヶ峰を向けて造られていました。

千ヶ峰・・・この名の意味するところは・・、魏志倭人伝に記載されている部分のことを証明しているようです。

高龗は全てをご存じでした!

    

・・・

宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)倉稲魂 様が居られる聖地へと私がご案内します。

時は、4月9日(土)です!

神様は間違いなくあなたをお待ちのようです!

東のメノラーと法楽寺さんと卑弥呼さまの陵墓は見事に一直線に並んでいます。

帰りに卑弥呼さまの陵墓も眺めることができることでしょう。

次の四冊目の本に出てくる重要な場所です。

 

   

 


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予告

2016-02-19 11:38:59 | かごめかごめの真実とは

2016年2月19日(金)

今、第四冊目の出版にあたり、どうしてどのような経緯で世に伏せられていた重大なことを教えられていったのかを思い起こしています。

そこには、いろいろな人が登場して私にメッセージをくれていることが分かります。

そしてそのメッセージに素直にしたがって、重要な神社や寺や山に行っているのが分かります。

そのようにして、三本の十字架ができたりして、地下神殿がある重要な場所を教えられました。

最初は宗像大社からのスタートでしたが、次が兵庫県の中央部に位置する岩座神(いさりがみ)にある五霊神社、神光寺でした。

そこから一気に物語の扉は開かれたようです。  

その二つの神社と、東のメノラーが見える場所にあり、卑弥呼さまが眠る陵墓を教える法楽寺を日帰りでご案内したいと思います。

途中、卑弥呼様の陵墓も眺めることができます。

時は、4月9日(土)の予定です。

マイクロバスで行きたいと思います。

集合場所は神河町の寺前駅で、帰りは生野の駅で解散の予定です。

詳しいことは来週中には公表できると思います。  

・・でも、公表と同時にノアの箱バスの席は埋まってしまいそうですぅ。

    

不思議な金龍

この不思議物語でカメラのシャッターを切った1番目の映像に不思議な光が写っていました。  五霊神社にて・・。

法楽寺には卑弥呼の彫り物が・・

 テラファイトが7月に完成し、翌月56歳と7ヶ月の日に宗像大社へ行って高尾先生と会うことになりました。

それから物語の扉は一気に開かれていきました。  ギギギギィ~~~~と。

2010. 8.11   宗像大社

        16   天魂の大神、八幡神社、白龍神社、千ヶ峰 

        20   五霊神社、神光寺

                           21   仁和寺

                           24   三田市・ピラミッド型の山

      9. 4   吉野神社、吉水神社

         5   玉置神社

        11   東京・築地本願寺

        15   Tの字 (千ヶ峰~伊勢神宮内宮、高砂神社~籠神社)

        17   小さな十字架 (段ヶ峰~)・・千ヶ峰と段ヶ峰の中間:生野

        20   六甲白山神社、再度山大龍寺 (亀石)

        22   千ヶ峰・・・お月見祭

        23   淡路島・岩屋神社・・・日の出を拝む、生野

        26   高砂神社、元伊勢籠神社、真名井神社、元伊勢内宮

     10. 2   再度山大龍寺、神呪寺

        11   春日・兵主神社、いそ部神社、春日神社

        12   夢をみる (昭和天皇の宴席に招待される)

               13   剣山

        14   飛鳥・鳴門伽耶神社

        15   夢の中の地名(カムシロ)を発見

        23   広島県・帝釈峡 (火の首 瑠璃山薬師堂、神龍湖)

        27   博多・イエスの方舟 シオンの山

        28   大きな十字架 (宮島・弥山~大王崎、虚空蔵山~船通山)

                     交点:上島

     11. 5   小さな十字架の交点に人の顔(ハトホル)発見

                          6   2つの三角形で臼 (大王崎~石川県・白山~千ヶ峰

                    千ヶ峰~広島県・上島・古法皇山~隠岐の島)

         7   六甲白山神社、生野

        13   豊国神社、磯辺神社(穂落とし神社を知る)、大王崎灯台、小莚

        19   熱田神宮 

        20   淡路島・洲本市・由良町・成ヶ島、いざなぎ神宮、エトワール生石

        22   丹波市山南町岩屋・鹿鳴館山南店、ハトホルの山(岩屋山)・・

 


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空海様は、卑弥呼さんの陵墓も巨大なメノラーの地上絵の存在も全てご存じでした

2015-11-27 15:51:51 | かごめかごめの真実とは

2015年11月27日(金)

神河町には人類的世界遺産の巨大なメノラーの地上絵が一対、山を使って造形されていました。

そしてその東西のメノラーと卑弥呼さんの陵墓の位置関係と、それらを結ぶライン上に見事に神社やお寺が建設されています。

又、卑弥呼さんの陵墓の位置は、龍(玄武)の地上絵がある段ヶ峰を頂点として、雪彦山と千ヶ峰を結ぶ二等辺三角形の底辺の真ん中に位置しています。

もう全てが綿密に計算されつくされています。

そして空海様は、その大事な法楽寺さんや最明寺さんの山に、八十八体の石佛に願いを込めて守護させていました。

空海様は、卑弥呼さんの陵墓も巨大なメノラーの地上絵の存在も全てご存じでした。

もちろん、イエス・キリストの墓の存在も全てご存じでした。

兵庫県神崎郡神河町そのものが人類的世界遺産の町です!

 

   

 卑弥呼の陵墓と東のメノラーのライン上には、法楽寺があります。

      

 

卑弥呼さんの陵墓と西のメノラーのライン上には最明寺さんがあります。

    

 

 


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久しぶりに急に睡魔に襲われて・・!

2015-09-21 17:52:28 | かごめかごめの真実とは

2015年9月21日(月)

事務所に12時頃に来て、いろいろとやらねばならない仕事を静かに休日の間にやろうと思いきや、

急に睡魔が襲ってきたので、サマーベッドを開いて横になると・・、1時間半ほど意識を失ったように寝ていました。

いつものパターンで、それからPCの国土地理院地図を開いて、勝手にマーキングし出したようで、 そこから浮かび上がった霊ライン上に二つの寺院を教えられました。

一つは、河内長野の延命寺。  真言宗のお寺です。

もう一つが、兵庫県の日本海側にある安泰寺でした。 こちらのお寺は曹洞宗です。

どうも空海様が教えているようです。  「大事なポイントだから早く言ってくれ!」と言われているようです。

特に安泰寺は、千ヶ峰トライアングルの中心である淡路島由良町にある成ヶ島から

加古川市志方町にあるイエスの公的陵墓の山頂点を通り、本当のイエス・キリストの墓を通った霊ライン上にピタリと位置しています。

このことから、道元禅師も、この国の成り立ちと初代大王イエス・キリストの墓の位置を知っていて、そこから日夜、祈っていたことでしょう。

せっかくですから、安泰寺さんで禅を組む時、方位磁石で175°の方角に向かって禅を組んでいただけたらという身勝手な私の思いがいつか届きますようにと・・・。

 

 

 


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空海様の生誕地へ

2015-08-17 15:38:25 | かごめかごめの真実とは

2015年8月17日(月)

  5年前の8月16日は、千ヶ峰の霊能者の家へと連れていかれましたが、

昨日16日は、空海様がお生まれになったと言われる、徳島の星谷へと行きました。

(その前日15日のことは、モーセの直系の武部さんが詳しく書いていますので読んでください

前日の夜からお世話になった民宿明日香さんの玄関前にも空海様の像があって、何やら不思議な因縁を感じた私でしたが、

16日朝から空海さまに見送られて、地元の一の宮へと御参りしてから、星谷へと車を走らせました。

そこで教えられたものとは・・。

  

現地までは細い山道で、ヒヤヒヤドキドキの道のりでした。・・・が・・!!

     

 

空海様のお像の後ろに不動明王が岩に刻まれていますが、どうみてもその姿は空海様にしか私には見えません。 

空海様自作に思えて仕方ありません。

   

いつもそうですが・・、武部さんは見つけましたねぇ。

「凄いものがあります! 来てください、上へ」と後をついて行ったところには・・!!

  

私には見えました!

この情景そのものが梵字のマ(マウ)を表現していて、マは吾我を意味し大黒天を表すことから、

 我、大黒天なり! と空海様は言っておられますね。

そして・・、空海様の名前は、「マオ」と実母が付けられたそうですから、子供のシェを発音すれば、

マオシェ・・となって、モーシェ   ・・で、 「我、モーセなり、我、イエス・キリストなり」と。

実のお母さんは、偉大な人物の名前を空海様に授けられたと・・いえいえ、空海様がその名前を選んでこの世に出現されたということでしょう。

 

 

それを今に語るように・・・

     

 空海様はこのような情景が見えるところでお生まれになり、1歳7ヶ月ほどで善通寺の佐伯家へと養子に出されたと私に告げられます。

・・・

空海様について神様は私に次のようなことを教えてくれます。

 774年7月16日 徳島県勝浦町の星の岩屋で生まれた。

そして1歳7ヶ月の頃、香川県の善通寺の佐伯家へと養子に行った。

実母が「マオ」とカタカナで名を付け、佐伯家が「真魚」と名付けた。

父母は、秦氏の血統である。

現在の暦で、835年4月22日(旧暦3月21日) 入定。

入定して15日目にそこを抜け出し、36日もの間、生野、神河へと行って帰って再び元の座に座り、

心臓が止ったのは 835年7月31日でした。 享年61歳

身長163cm。 血液型はO型である・・と。

まだまだ・・教えられていますが、これ以上はここでは書けません。 ご了承を・・。


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邪馬壹国 保存その1

2014-11-22 10:26:10 | 邪馬壹国


                   
                   かごめかごめの真実とは

 

 

邪馬壹国は兵庫、京都、大阪、奈良、にまたがる国だった!

魏志倭人伝に記載されている情報をもとに境界国をなぞると、邪馬壹国(しゃもいっこく)は丹後半島を含む兵庫県但馬、丹後、丹波地方から摂津、大和へとつながった国土であり、行政府の首都が纒向(奈良)であり、女王卑弥呼が住む聖地は、兵庫県の中央に位置する、播磨風土記で表記される埴岡の里、現在の兵庫県神崎郡神河町と朝来市生野町にまたがる地域で、居城は栗である。

邪馬壹国の女王卑弥呼が居た埴岡の里(兵庫県生野、神河町)・栗への朝見ルートは、高句麗、現在の中国遼寧省鞍山市の道教の故郷、千山から神の故郷、蓬莱()を経由して朝鮮半島に沿いながら現在の釜山あたりから対馬、壱岐、を経由して呼子(佐賀県)に宝船を呼び込みます。ここまでは神で来ますが、お一人の神様は、神を呼子に降ろして定期航路を帰ります。降ろされた神は、陸路、吉 岡 そして津まで宝物を運んで行きます。 津からは神が物部氏の船に乗せられて関門海峡を下して宇佐八幡の神様にご挨拶して、それから瀬戸内へ入り、中国山脈のって山の大門まで20日を要して到着します。ここからさらに10日かかってたどり着く所がの神えびす様の総本社がある西宮です。ここで検品を済ませ、三つの御竜車に物を乗せて、塚を通り、三田、篠山、春日を経て知山に着き、粟鹿を通って南下し、シオン(聖地)と呼ばれていたイヤ(生野)へとやってきて最終地点である(神河町)へとたどり着きますが、ここが女王卑弥呼の居城でした。西宮からここまで陸路1ヶ月を要した。

女王卑弥呼への朝見ルートは地名に福の一文字が残る、福の神のルートである。

そして卑弥呼のお墓は、779mの山頂にあった。

 邪馬壹国の国土図と呼子(佐賀県)からの女王卑弥呼の居城までの道程図

  

 

高句麗にあった千山から、千ヶ峰の麓の卑弥呼の居城への上陸地点までの海路図

 

 

女王卑弥呼の居城が、埴岡の里の栗である証。

 グーグルマップの3Dで、旧約聖書にある生命の樹(カバラ)の法則に則り発見された、八幡山を中心に半径10km内に山を使って造形された壮大な地上絵群との位置関係図

 

1・・八幡山(カゴメ紋の中心点)  2・・卑弥呼の墓 3・・男性シンボル              4・・女性シンボル  5・・鳥  6・・鳥  7・・亀  8・・奴婢  9・・大亀

10・・龍(玄武) 11・・

A ・・絶峯御林(イエス・キリストを祀った地下神殿)

B ・・古城山御林(モーゼを祀った地下神殿)

C ・・生野に残る古地図の二つの御林と、卑弥呼の墓を教える三角形が交わった点

D、E、F ・・ 人工的ポイントの山

12 13 ・・メノラー(神の木)

14 ・・ ひょうたん

・・・

1 八幡山

                     


2 卑弥呼の墓 (婀月山)

           
 

3 男性シンボル



4 女性シンボル

   

 6 鳥(鶴) ・ 9 大亀 

 

10 龍(玄武)

 

12  メノラー(神の木)   12,13 一対のメノラー

  

13  メノラー(神の木)  2014年8月27日 空撮に成功

14 ひょうたん

 勾玉

 

 


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