2019年2月26(火)
法隆寺の基本計画と建物の配置には唖然とさせられます。
山口にある空海様のお墓(望海山)、アブラハムの父、テラ(日本名、天照大神)の墓(神野山)を東西の基本ラインとして、そのラインから北方向に、
西円堂が蘇我入鹿(=聖徳太子)の墓(松尾寺の補陀落山)
金堂は第五十代桓武天皇の墓(京都高雄山428.4m)
夢殿は藤原鎌足のお墓(鎌足公古廟から移し替えられた交野山の北方向にある場所)
建物の方角には1度の狂いもありません。 見事です!
そして、モーセの墓、モーセの御霊を移し替えた場所、イエス・キリストの墓、卑弥呼の墓、マリアの墓・・
それに、聖徳太子を祀る広隆寺へも手を合わせるようになっています。
上御堂は広隆寺に手を合わす設計になっていて、上御堂と広隆寺とマリアの墓は見ごとに直角三角形を描きます。
どれを取っても見事です。
又、この法隆寺の位置決めは、ここから磁北方向にある京都府の675m地点を基準ポイントとして位置出ししていることも分かりました。
それと・・創建当初の若草伽藍の位置と方角が教えるものも又、イエス・キリストの墓を三角法でズバリ教えていました。
我が国の礎を築かれた偉大な現人神のお墓を全て、現在の形になる法隆寺を設計建築した人達は知っていたということです。
空海様も間違いなく知っていた人物の一人だったということです。
法隆寺が教えている情報は、尊いものであります。
どの場所でどこを向いて祈ると誰に手を合わすようになっているかを知ることで、必ず心が豊かになることでしょう。
もう意図的に隠すために論争させ続ける邪馬台国論争も意味をなしません。
政治政体が奈良巻向で、国事国体は播磨国風土記に記された「埴丘の里」、現在の兵庫県神崎郡神河町の栗でした。
卑弥呼はイエスの直系であるがゆえに7.80年続いた戦乱を終息させるために共立された女王でした。
このような全ての事実を第五十代桓武天皇達は知っていたわけですし、二葉葵を紋章とする人たちも、三つ葉葵の徳川家の方々もハートの形の意味を知っています。
幕末までは、間違いなく先祖供養はされています。
このまま知って知らぬふりをし続ける怖さを関係者は理解しているのかどうなのか・・。
神の世界にも限度があるようです。
3月9日、歴史の真実が分かるように残してくれた行基さんのお墓へと手を合わせに行ってから、法隆寺です。
そして、蘇我入鹿さんに手を合わせに行きます。
真魚の山(空海様のお墓)は、どこを向いてるのかなぁ~と思っていましたが、ピッタリと法隆寺を向いていましたねぇ。
それにしても・・、可愛いですねぇ。 どうやって造るんでしょうかねぇ。