2021年1月7日(木)
Kさん、新年おめでとうございます。
そして、歴史の真実を世にだして世界平和を実現しょうと活動している『世界市民ファーストの会』に新年早々、ご寄付もいただきありがとうございます。
感謝いたします。
さてKさんからの「どうして投馬国の首長と副官の墓が邪馬壹国のオリオン座の中にあるんですか?」と言う質問ですが、私も今その謎解きに時間を費やしたいと思うのですが、なかなか時間がとれません。
でもこのことは、真剣に考えなくてはならないことです。
先ずは、大国主命=イエス・キリストが備前の穂波で最後の時をむかえ、二日後に事前にオリオン座のベテルギウスに造営されていたお墓に埋葬されてから三年後に倭国大乱に突入します。
そして倭国大乱は、7,80年もの長きに渡って戦場と化します。
その混乱を終息させるために、イエス・キリストの血を引く卑弥呼が四方に位置する豪族たちによって『女王として共立』されました。
下の図がそれを表す位置関係です。
馬の山古墳群 丹後半島古墳群 剣山・鳶ヶ巣古墳群 伊勢松阪宝塚古墳群と人々が暮らしたエリアを知ることができます。
これらは、イエスがこの国に現れる以前から栄えていたエリアだと私は思っています。
そしてそのエリアは、モーセの二回目の国造りのエリアだと思っています。
一回目はそれより東、中部、東海以北だと思っています。
モーセの国造りの後をイエスが引き継いだと思っています。
丹後王国 出雲王国は正にモーセの二回目の国造りのエリアです。
モーセの国に迎えられたイエス。
そしてイエスの時代には、良き時代であったこの国土も、イエス亡き後は覇権争いと化し、それを修復するためにイエスの血を受け継ぐ『卑弥呼』が力を有する豪族たちによって『女王』として『共立』された経緯がありました。
でも、長く続いた倭国大乱の間に、世界中からイエスのもとに集った人々は、朝鮮半島へと渡り、アジアの西端中東へと元の故郷へと帰還します。
これが現代になかなか解決をみないパレスチナ問題の根源です。
そしてさらにヨーロッパへと帰還した人達が興し巨大化した『キリスト教』集団です。
この国が卑弥呼を女王として安定して発展すた良き時代、もうヨーロッパの方では、それ以上に巨大化したキリスト教集団が絶大な力で世界を飲み込もうとしていました。
女王卑弥呼の役割は、最初から国事国体で、すなわちイエスの墓守で、卑弥呼の居城は『栗』。
卑弥呼を女王として担ぎ上げた豪族たちが政治政体をつかさどり、その首都は粟殿(奈良県桜井市)でした。
そしてもともと、この計画案は、投馬国の首長たちの主導のもと馬の山で草案されたようです。
剣山を崇める狗奴国の豪族たちは、最初から静観していたというより、邪馬壹国という国造りの草案に消極的だったようです。
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んん~~ん、話は長くなってしまいます。 後日まとめましょう。
卑弥呼がイエス・キリストの御霊を祀るほど、イエスを神と崇める宗教集団との摩擦が生じだし、政治政体が危うくなったと言うことでしょう。
それで、イエスの命日の日を選んで卑弥呼が、コヤネや粟殿の政治家どもの前で自ら岩戸隠れをしたということです。
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今コロナで一番死者を出し苦しんでいる国は、どのような国ですか!?
コロナを鎮めるには、卑弥呼の御霊を鎮めることです。
んん~~ん、話は長くなってしまいますので、ここらで・・。