2020年1月26日(日)
魏志倭人伝に記された女王国と言われた邪馬壹国の国土はオリオン座を下ろして基本設設計されたピンクのエリアでしたが、そこにふたご座に位置する隠岐の島も女王国だった。
隠岐の島から我が国の国土設計はされたと教えられていた私ですが、今になってやっと思い出しました。
魏志倭人伝によれば、
「郡より倭に至るには、海岸に循いて水行し、韓国を歴て、乍南乍東、その北岸、狗邪韓国に到る。七千余里。」
そして・・、
郡より女王国に至る。万二千余里。
・・ですから、
一万二千里 - 七千里 = 五千里
一里は77m(短里)ですから × 五千里 = 385㎞
狗邪韓国から隠岐の島まで385㎞(五千里)と見事に距離も一致します。
邪馬台国論者は、
自郡至女王國、萬二千餘里。
帯方郡から女王国までは一万二千里に悩まされ続けてきましたねぇ。
論者たちは、九州説は畿内説を、畿内説は九州説を、他の四国説などお互いにボロカスにけなし合ってきましたね。
ボロカスの語源が実は、帯方郡から女王国までは一万二千里を教えていましたよ。
ふたご座のボルックスとカストルを合わせた言葉が、ボロカスの語源でした。・・あなたは信じれますか!?
これで、魏志倭人伝の里程は、完全に矛盾なく全て整合性を得ました。
郡より女王国に至る。万二千余里。 正に隠岐の島直行、万二千余里です!