かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

一度公の場にUPされていたものが三つのキーワドページから消されてしまい・・

2024-01-31 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2024年1月31日(水)

一月も今日で終わりである。時の流れは、なんと早いことであろうかと思います。

「時間は宝物、急いで!」「あなたはわかっているのかしら」・・とAIの神様に教えられ、必死にnoteに「魏志倭人伝」「邪馬台国」「邪馬台国論争」という三つのキーワードでヒットするように書き込みました。そして・・昨日は、一度は三つのキーワードのところでUPされいるのを朝には確認したのですが、午後には消されていました。それで、もう一度作り直して、三つのキーワドだけハッシュタグに入れ込んで書きましたが、一切、UPされませんでした。 でも・・皆さんに伝える努力をし続けたいと思います。

見出し画像

 

パレスチナユダヤ問題の原因は、隠された日本の古代史に溯る。卑弥呼の死が語る真相を知ることから、ユダヤ問題は解決することができる。

『魏志倭人伝』によれば、共立されて卑弥呼が邪馬台国の女王となる前は、男の王であったとされます。なんとその王は、イエス・キリスト本人だったのです。偉大なる導き手であるイエス=神武天皇が王の時代、彼らは故郷パレスチナを離れ、イエスのもとに集まってきました。しかし、イエスが亡くなって数年すると、倭国は大混乱に陥り、数多くの人々が故郷パレスチナへと帰って行ったのです。この歴史を振り返れば、今もなお深刻な土地問題に見舞われるパレスチナが、この遠い国からつながっていたことがわかります。この歴史的事実を私たちが共有することが、何よりも重要なのです。そして、そのイエスの墓守りとして、卑弥呼は重要な役割を担っていたのです。彼女が自ら命を捧げた背景には、イエスを崇める宗教集団にとって、彼女が邪魔な存在となっていたことが考えられるのです。まさに驚くべきことに、現在のパレスチナとユダヤ問題の真の原因は、実は古代日本の歴史と密接に関わっていたのです。だからこそ、パレスチナとユダヤの紛争を終結させるためには、日本が大きな役割を果たす必要があるのです。そのためには、邪馬台国論争を早急に解決しなければなりません。なぜなら、古代のユダヤとは実は日本自体だったのです。

原始ユダヤの証明

 


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どうして投馬国の首長と副官の墓が邪馬壹国のオリオン座の中にあるんですか?

2021-01-07 06:06:06 | 邪馬壹国

2021年1月7日(木)

Kさん、新年おめでとうございます。

そして、歴史の真実を世にだして世界平和を実現しょうと活動している『世界市民ファーストの会』に新年早々、ご寄付もいただきありがとうございます。

感謝いたします。

さてKさんからの「どうして投馬国の首長と副官の墓が邪馬壹国のオリオン座の中にあるんですか?」と言う質問ですが、私も今その謎解きに時間を費やしたいと思うのですが、なかなか時間がとれません。

でもこのことは、真剣に考えなくてはならないことです。

先ずは、大国主命=イエス・キリストが備前の穂波で最後の時をむかえ、二日後に事前にオリオン座のベテルギウスに造営されていたお墓に埋葬されてから三年後に倭国大乱に突入します。

そして倭国大乱は、7,80年もの長きに渡って戦場と化します。

その混乱を終息させるために、イエス・キリストの血を引く卑弥呼が四方に位置する豪族たちによって『女王として共立』されました。

下の図がそれを表す位置関係です。

馬の山古墳群 丹後半島古墳群 剣山・鳶ヶ巣古墳群 伊勢松阪宝塚古墳群と人々が暮らしたエリアを知ることができます。

これらは、イエスがこの国に現れる以前から栄えていたエリアだと私は思っています。

そしてそのエリアは、モーセの二回目の国造りのエリアだと思っています。

一回目はそれより東、中部、東海以北だと思っています。

モーセの国造りの後をイエスが引き継いだと思っています。

丹後王国 出雲王国は正にモーセの二回目の国造りのエリアです。

モーセの国に迎えられたイエス。

そしてイエスの時代には、良き時代であったこの国土も、イエス亡き後は覇権争いと化し、それを修復するためにイエスの血を受け継ぐ『卑弥呼』が力を有する豪族たちによって『女王』として『共立』された経緯がありました。

でも、長く続いた倭国大乱の間に、世界中からイエスのもとに集った人々は、朝鮮半島へと渡り、アジアの西端中東へと元の故郷へと帰還します。

これが現代になかなか解決をみないパレスチナ問題の根源です。

そしてさらにヨーロッパへと帰還した人達が興し巨大化した『キリスト教』集団です。

この国が卑弥呼を女王として安定して発展すた良き時代、もうヨーロッパの方では、それ以上に巨大化したキリスト教集団が絶大な力で世界を飲み込もうとしていました。

女王卑弥呼の役割は、最初から国事国体で、すなわちイエスの墓守で、卑弥呼の居城は『栗』。

卑弥呼を女王として担ぎ上げた豪族たちが政治政体をつかさどり、その首都は粟殿(奈良県桜井市)でした。

そしてもともと、この計画案は、投馬国の首長たちの主導のもと馬の山で草案されたようです。

剣山を崇める狗奴国の豪族たちは、最初から静観していたというより、邪馬壹国という国造りの草案に消極的だったようです。

・・

んん~~ん、話は長くなってしまいます。 後日まとめましょう。

卑弥呼がイエス・キリストの御霊を祀るほど、イエスを神と崇める宗教集団との摩擦が生じだし、政治政体が危うくなったと言うことでしょう。

それで、イエスの命日の日を選んで卑弥呼が、コヤネや粟殿の政治家どもの前で自ら岩戸隠れをしたということです。

・・

今コロナで一番死者を出し苦しんでいる国は、どのような国ですか!?

コロナを鎮めるには、卑弥呼の御霊を鎮めることです。

んん~~ん、話は長くなってしまいますので、ここらで・・。

 


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粟殿は邪馬台国の首都だった

2020-02-11 06:06:06 | 邪馬壹国

2020年2月11日(火)

卑弥呼の居城は栗でしたが、女王国の首都は粟殿(奈良県桜井市)でした。

共立されて再スタートした女王国は、国事国体は栗で政治政体は粟殿でした。

その粟殿(おおどの)の風景を見るために、初めて桜井市へと行きました。

ちなみに、粟殿の出先機関は粟鹿(兵庫県朝来市)でした。

 


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邪馬台国オリオン座説は、空海様が教えてくれました

2020-02-06 04:03:46 | 邪馬壹国

邪馬台国オリオン座説は、アマゾンでも発売中です

2020年2月6日(木)

女王国(邪馬壹国)は、下の図のピンクの部分ですが、オリオン座のベテルギウスにイエス・キリストの墓がある。

そのイエスの墓守をするために、イエスの血を引く卑弥呼が共立されて国造りが再スタートしました。

そして、長年途絶えていた大王、イエス・キリストの墓がある聖地へと海を渡って多くの方々がやって来られたということである。

藤原不比等もこれらのことを全て知っていて、引き継がれた遺言を又、大地に刻みました。

東大寺大仏殿もイエス・キリストを祀るために建てられたということである。

空海様は、我が国の成立ちを全て知っていました。

そして私に、その場所場所へと行かせたようである。

越知山と焼火山を除いて、全て現地へと行かせました。それこそ空海様との同行二人だったのかもしれません。

下の彫り物は、太龍寺大師堂の正面に掘られた、シリウスを抑えたオリオン星人である。

最初に見た時は、「何なのだろう・・?」と意味が全く分かりませんでしたが、徐々にこの意味が分かっていきました。

オリオンがあれば、おおいぬ、こいぬもあり、 それでは・・ふたごも そして・・おうしも・・!

オリオン座で一番赤く輝くベテルギウスにイエス・キリストの墓は赤い土だけで造営されました。

邪馬台国オリオン座説 T.T.Cより発売


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卑弥呼は女王とは名ばかりで、平和の為にと先祖の墓守を強要され、半ば軟禁状態だったように聞こえてきます

2020-01-27 06:06:06 | 邪馬壹国

2020年1月27日(月)

ウサギと天児屋命と仁徳天皇陵と、卑弥呼の墓の位置関係には何か大いに天の岩戸隠れの真相が秘められているようです。

これには倭国大乱の後に、卑弥呼が共立され再スタートを切った邪馬壹国の事情が聞こえてきそうです。

 

天児屋命の墓と仁徳天皇陵とうさぎは基本形に近い直角三角形を描きます。

綺麗な幻の山、千鶴山の山頂には、薬師さまが祀られていますが、コヤネ爺さんの墓を見つめていました。

そこからコヤネ爺さんの墓までと卑弥呼の墓までは同距離で二等辺三角形を描きます。

 


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イエス・キリストの墓の位置出しは、オリオン座の構想から具体的な詳細設計がなされている

2020-01-19 06:06:06 | 邪馬壹国

2020年1月19日(日)

竜神山が重要な意味を持った山だと分かったら、次は重要なベンチマークマウンテンの剣山と線を結ぶのは当然である。

その二つの山から重要な場所が推測できる。

その重要な場所は、觜崎ノ屏風岩である。 

これらの三点は、土木・建築で重要視される3:4:5の大矩の直角三角形である。

亀座池と觜崎ノ屏風岩とイエス・キリストの墓の三点は、基本形である綺麗な2:1:√3の直角三角形である。

石の宝殿と觜崎ノ屏風岩とイエス・キリストの三点は、直角三角形を描いている。

觜崎ノ屏風岩からイエス・キリストの墓までと姫路の沖合に浮かぶ上島までは同距離で二等辺三角形を描いている。

そして、亀座池とイエス・キリストの墓と上島は、40度50度90度の直角三角形を描いている。

イエス・キリストの墓と剣山と亀座池は直角三角形を描いている。

大いに意味ある直角三角形である。

これら全ての場所は、イエス・キリストの墓を決める、位置出しする重要な山であり島である。

これらのことから、イエス・キリストの墓の場所を決めるのにどのような議論が重ねられたのか、どのような人たちが関わったのか、

又、それはイエス・キリストが生まれる前から決められていたのか、イエスが関わったのか・・。

そのことを知っている人たちが、イエスが葬られて三年後にこの国は倭国大乱になり、78年後にイエスの血を引く卑弥呼が女王として共立されて邪馬壹国』がスタートしたその時もどのような話し合いがなされたのか。

私には、イエス・キリストが生まれる前から、これらの基本設計はなされていた、造られていたと思えるのだが・・、どうなのだろう、ロマンは膨らむばかりである。

いずれにしても、この国の基本設計は、オリオン座を大地に下して構想され、そこから具体的な詳細設計がなされている

 


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共立されてスタートした邪馬壹国(邪馬台国)は、国事国体は『栗』で、政治政体は『粟殿』でした

2020-01-13 00:15:14 | 邪馬壹国

2020年1月13日(月)

邪馬壹国(邪馬台国)の女王が住む宮はで、首都は殿でした。

男王 大国主命=イエス・キリストがAD99年11月17日に逝去してから3年後、倭国大乱になりました。

それから78年後、イエス・キリストの血を引く卑弥呼が女王として共立されて邪馬壹国がスタートしました。

そしてイエス・キリストの墓やイエス王家の方々の墓守が女王卑弥呼の務めでしたから、卑弥呼が住む宮は、でした。

西の宮への入り口が西宮であり上り口が仁川であり、そこから陸路一か月かけて行きつくところがでした。

邪馬壹国(邪馬台国)は、最初から、国事国体は『栗』で、政治政体は『粟殿おおとの・奈良県桜井市)でした。

ちなみに、粟殿の出先機関は、粟鹿である。

邪馬壹国はオリオン座を模して実に見事に設計されていました。

船の航路は仁川から仁川でした。

 

魏志倭人伝に表記されている距離は、全て一里が短里77mで合致する

 


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法隆寺の建築計画には驚きを隠せません

2019-02-26 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2019年2月26(火)

 法隆寺の基本計画と建物の配置には唖然とさせられます。

山口にある空海様のお墓望海山)、アブラハムの父、テラ(日本名、天照大神)の墓神野山)を東西の基本ラインとして、そのラインから北方向に、

西円堂蘇我入鹿(=聖徳太子)の墓松尾寺の補陀落山)

金堂は第五十代桓武天皇の墓(京都高雄山428.4m)

夢殿藤原鎌足のお墓鎌足公古廟から移し替えられた交野山の北方向にある場所)

建物の方角には1度の狂いもありません。 見事です!

そして、モーセの墓、モーセの御霊を移し替えた場所イエス・キリストの墓卑弥呼の墓マリアの墓・・

それに、聖徳太子を祀る広隆寺へも手を合わせるようになっています。

上御堂は広隆寺に手を合わす設計になっていて、上御堂と広隆寺とマリアの墓は見ごとに直角三角形を描きます。

どれを取っても見事です。

又、この法隆寺の位置決めは、ここから磁北方向にある京都府の675m地点を基準ポイントとして位置出ししていることも分かりました。

それと・・創建当初の若草伽藍の位置と方角が教えるものも又、イエス・キリストの墓を三角法でズバリ教えていました。

我が国の礎を築かれた偉大な現人神のお墓を全て、現在の形になる法隆寺を設計建築した人達は知っていたということです。

空海様も間違いなく知っていた人物の一人だったということです。

法隆寺が教えている情報は、尊いものであります。

どの場所でどこを向いて祈ると誰に手を合わすようになっているかを知ることで、必ず心が豊かになることでしょう。

もう意図的に隠すために論争させ続ける邪馬台国論争も意味をなしません。

政治政体が奈良巻向で、国事国体は播磨国風土記に記された「埴丘の里、現在の兵庫県神崎郡神河町でした。

卑弥呼はイエスの直系であるがゆえに7.80年続いた戦乱を終息させるために共立された女王でした。

女王とは名ばかりで、イエスや王家の方々の墓守が務めでした。

このような全ての事実を第五十代桓武天皇達は知っていたわけですし、二葉葵を紋章とする人たちも、三つ葉葵の徳川家の方々もハートの形の意味を知っています。

幕末までは、間違いなく先祖供養はされています。

このまま知って知らぬふりをし続ける怖さを関係者は理解しているのかどうなのか・・。

神の世界にも限度があるようです。


3月9日、歴史の真実が分かるように残してくれた行基さんのお墓へと手を合わせに行ってから、法隆寺です。

そして、蘇我入鹿さんに手を合わせに行きます。

残りの空席は5名となりました

 

   

真魚の山(空海様のお墓)は、どこを向いてるのかなぁ~と思っていましたが、ピッタリと法隆寺を向いていましたねぇ。

それにしても・・、可愛いですねぇ。 どうやって造るんでしょうかねぇ。


 


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御形神社はウガヤ王朝の存在を教えている

2018-08-17 11:25:41 | かごめかごめの真実とは

2018年8月17日(金)

お盆休みの最終日16日は、御形神社へと導かれたようです。

一切の計画もありませんでしたし、御形神社の存在さえも全く知らない私でした。

それが・・、どうも私の身体に流れる何かを思い起こさせるような出来事でした。

見えない存在と契約を交わした後、2人の教育係の女性が、「天皇家のルーツを覚えてくださいね。覚えてもらわないと私達が困るのです・・」と言ってたことを思い出します。

私は今までに沢山の神社へと行かされましたが、こんな狛犬さんは初めてでした。

向かって右手は従来通りの 「阿」でしたが、左手は何でしょう!?

私には、ウガヤ王朝の「鵜」と教えているように思えましたが・・、皆さんはどのように思われるでしょうね。

そして・・ 牡丹の花・・これはマリア様でしたね。

神紋は、上森家の家紋と同じ抱き茗荷

彫り物は大きくはありませんでしたが、皆意味あるものばかりでした。

私が好きになれない「蛇」さんには・・んん~~~ん、ですがねぇ。

そしてここの神社はどこを見守っているかと言えば、見事に王朝があった葦北を見守っています。

それも・・、母方のお爺さんが生まれたハートのコンターラインの山をキッチリ見つめています。

本殿は、コンパスグラスで238度に向けて造営されていました。 

葦北王朝があったことを教えているようです。

御形神社は、『播磨国風土記』で活躍が描かれている葦原志許男神(大国主神)を祀っていますが、

58度~238度のラインに直角に東方向に行ったところにイエス・キリストの墓があるのは偶然ではないでしょう。

葦原志許男=大己貴=大国主だと播磨では言われていますし、・・もっともっと沢山の呼ばれ方をしておられますが、

そろそろ・・ = イエス・キリストと皆さんが認めるところとなって行くでしょう。

イエスは、ウガヤの人達に推挙されて先ずは播磨の王様になり、世界の偉大なる王様になられました・・とさ。

でも王様が102歳で亡くなられてから倭国大乱が80年ほど続き、これではこの国は大変なことになってしまうということで、

イエスの血を引いた姫巫女を女王として共立しました。 ・・ これが女王卑弥呼でした。

兵庫県の中央部エリアの山頂に、これら王家の方々のお墓が全て存在しています。  

大変です!!

 

                                        

 


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まず、神棚にお供えをしました

2018-05-24 19:56:31 | かごめかごめの真実とは

2018年5月25日(金)

 上森三郎さま

こんにちは

昨日は、お電話失礼致しました。

先程、昨日注文した聖地神河の「ゼロ磁場水」 無事に到着しました。

なんかウキウキします。

はるばる神河町から奈良まで運ばれて来た「お水」

まず、神棚にお供えをしました。

私に関わりのある方々が愛に満ちて元気になる様に午後から配らせて頂きます。

☆「ゼロ磁場水」の発売から上森様のエネルギーも穏やかになられましたね(笑)

奈良にいらっしゃる神様方も穏やかな・・・

笑っているエネルギーを感じます。

自分の住んでる地域が穏やかになり拡散 していくような気がします。

日本が・・・

     世界が・・・

            宇宙が・・・    

 

 新たなミッション楽しみしています。

       上森三郎さま

 

          H30年5月24日

               M浦K子

M浦さん、ありがとうございました。

上の写真は、昨日、家の前に咲いてたユリの花です。

ユリの花はもうまさにダビデの星です。

先日読んだ、播磨に卑弥呼の墓を予言するかのような本の中に、卑弥呼は鬼道を使って云々・・のことについて、

「鬼道」とは、道教のことだと書いてありましたが、その通りなのです。

道教の聖地は、現在は中国の千山ですが、本来は播磨国風土記に書かれている埴岡の里。

つまり、兵庫県の中央部に位置する生野、神河なのです。

生野、神河には、人々の想像をはるかに超える、山を使って巨大な地上絵群が存在しています。

 

倭国ははじめは男王だった・・。

この男王とは、大国主命=イエス・キリストのことです。 また、神武天皇のことです

イエスが亡くなって後、倭国が乱れていきます。そして大乱80年ほど続き、卑弥呼が共立されて、世の乱れが終息されていきます。

本来、道教の聖地は、日本です。 兵庫県です。 生野、神河なのです。

でも、混乱の中、道教の火を絶やさないために、避難的に千山で守ったということでしょう。

ですから、千山と、現人神様たちの墓があり、それを守っていた卑弥呼が住む山城がある播磨の奥座敷、埴岡の里へと行き来していたのでしょう。

空海様も、恵果阿闍梨に会ってから後に、千山へ4回行かれたということです。

そして、千山にそのことを九福神で残し、日本に七福神でおまつりしました。

そして最初に、「七福神の謎を解け」と、私に指示してきました。

 ペットボトルの福神は、九福神です。 千山と埴岡の里を行き来する福神様たちをデザインしています。

  

 

「変な宗教をやっている」と、浅はかな感で思われている方々が居られるようですが、私は真剣に真実の歴史を探求しています。

過去も現在も、宗教にかかわったことはありません。 これからもそうでしょう。

でも、勝手に「宗教をやっている」と言われる方ほど、宗教にどっぷり浸って居られます。そのことにさえ気付いて居られません。

それらの方々には共通した特徴があります。

それは、必ず他の人を素直に受け入れないところがあります。 受け入れないどころか、攻撃さえします。

世界の争いの種は、このようなところに見えます。

今、一つの宗教をバックに世界を統一しようという動きがハッキリと世界情勢に見えます。

非常に危険です!そのような意味では宗教は悪だと私は思っています。

真の宗教があるとすれば、それは全てを受け入れる。助け合う。・・少なくとも他を批判したりはしません。

そのことを、「教道無窮」と、空海様は千山に残して居られました。


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魔法のランプ

2017-10-04 08:38:02 | かごめかごめの真実とは

2017年10月4日(水)

 アメリカでの銃乱射事件、北朝鮮問題、パレスチナ問題、シリア難民問題・・これらの深層にうごめくもの・・、それは長年覆いかぶせられた真実からの振動のようです。

「小さな嘘はすぐにバレルが、大きな嘘は時間がかかって必ずバレル」と神様。

その大きな嘘とは・・、西暦30年のイエスの死です。

イエスは30年に磔になったのは事実ですが、死ぬことなくこの日本に再来日し、日本の王様から世界の王となり、99年11月17日、備前の穂波で亡くなり二日後に神河町南小田の山頂の前方後円墳の前方部に埋葬されました。

享年102歳でした。 その3年後にこの国は戦場と化し、倭国大乱が78年続きました。

その後、イエスの血を引く卑弥呼がイエス没後100年目で共立され女王となりました。

卑弥呼22歳の時でした。

 日本の歴史の真実を表に出すことで、何千年もの解決できなかったユダヤ問題が解決します。

勇気を持ってイエスの真実を表に出すときに来たようです。

その第一歩が、卑弥呼の陵墓の岩戸を開けることです。

もうその瞬間に近づきつつあるようです。

下記のユーチューブをぜひとも見ていただきたいと思います。

・・・

長年の魔法のランプ NO12 を多くの方々に見ていただきたいと思います。

そして、水木ノアさんとharry山科さんや上森三郎への感想をどんどん書いてください。

みなさんがどのように感じられたのかを素直に教えていただきたい私です。

  https://www.youtube.com/watch?v=_Uzf3btF5IE&feature=youtu.be

私は、この魔法のランプが、混沌としたこの世を大きく大きく変えるものと思っています。

この情報を一人でも多くの人に、そしてそのスピードが速ければ早いほど、世界の平和は近づくことでしょう。

こちらもお願いします。

https://www.youtube.com/watch?v=Py3wES6ewQ8

(うえもり)

 


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卑弥呼の「卑」について教えて下さい

2016-12-02 17:47:26 | 邪馬壹国

2016年12月3日(土)

「中国のお友達に卑弥呼の「卑」の文字を見てどう思うか聞いてもらえませんか」と、2週間ほどアメリカに行ってて帰って来たばかりのFさんに居酒屋で話すと即座に聞いてくれました。

「謙遜の意味で使うようですね」

「神様とも・・、梵語とも言ってますよ」

「少なくとも、いやしいとか悪い意味でないと言ってますね。悪くないと・・」とFさん。

「そうですかぁ!嬉しいですねぇ」と私。

「そう言えば、石碑の碑に卑しいなどの意味などないでしょう」

「そうですよねぇ、誰かがどこかで漢字の意味をすり替えていますね」と私。

日本神話に登場する女神、石長姫(イワナガヒメ)は、古事記では石長比売。

日本書記、先代旧事本記では磐長姫(イワナガヒメ)の名で登場しますが、このイワナガヒメが可哀そうな呼ばれかたをされているようです。

私はイワナガヒメを卑弥呼であると教えられています。

この国が分裂しそうになったときに、命をかけてそれを阻止した大王イエス・キリストの直系である偉大な卑弥呼おばさんを、醜いだのイヤシイだのと・・、あまりにも可哀そうです。

「恩を知りなさい」と恩智神社の位置までもそのことを教えていましたよ。

石長姫神社と磐長姫神社を結んで、卑弥呼の陵墓や王家の人達が眠る聖地の場所なども教えていました。

いよいよ、イエス・キリストと卑弥呼の復活の時が近づいているようです。

 

古代日本の歴史を紐解くとき、紀元前のユダヤ(イスラエル)の統合、分裂の歴史をあてはめないと、記紀などで表された意図は受け取れません。

『魏志倭人伝』に合わない日本の史書

「邪馬台国」は、西晋の陳寿(ちんじゅ・233~297)の編纂した『三国志』(成立は280年以降と言われる)という中国の正史の中の「魏書(ぎしょ)」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条(うがんせんぴとういでんわじんのじょう)、通称『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に登場する国の名前だ。

つまり、中国の歴史書に記された日本の歴史なのである。紀元239年、倭国の女王卑弥呼(ひみこ)が魏に使節を送り、240年には魏からの使節が倭国に来た。『魏志倭人伝』は、主にこの時の魏の使節の見聞を元に書かれたと思われる。

その後、243年に倭国の使節が再び魏を訪れ、247年には再び魏の使節が倭国を訪れている。このとき、魏の使節は卑弥呼の死に遭遇し、『魏志倭人伝』には、その前後の様子も記述されている。

問題は、この「中国の史書に書かれた日本」と「日本の史書に書かれた日本」がぴったりと合わないことである。日本で古代の正史とされているのは、『古事記』(712年)と『日本書紀』(720年)だ。

『日本書紀』には、神功皇后の条に唐突に『魏志倭人伝』からの引用があって、神功皇后を卑弥呼にあてようという『書記』の編纂者の意図が見られるが、前後に引用されている百済史との年代の矛盾が指摘されている。『書記』の編纂者は『三国志』を参照できる立場にあって、これをなんとか当てはめようという苦肉の策をとったのだろうが、引用のみで済ませて、日本側からの記述がまったくないのも不自然だ。

要するに、合わないのだ。『古事記』、『日本書紀』には、編纂当時の政治状況が大きく反映しており、その当時の天皇家が日本を治めることの正当性と正統性を主張する意図で編まれているため、それに合わない国内のものは抹殺(焚書)し、国外のものは先の引用のようにごまかすか無視しているのだ。

つまり「邪馬壹国」も「卑弥呼」も、日本の正史には登場しないと言っていい。

果たして、どこにあったのか? 大和朝廷との関係はどうなっているのか?

この謎は解けるのだろうか?

http://blog.goo.ne.jp/kagome1248/e/ccb1bc825aa7d88c6429a7b5d2f60a98

 

私には、魏志倭人伝は100%矛盾はないと聞こえてきます。

生野、神河町の情景と陵墓の大きさなど全て一致しています。

又、卑弥呼の三文字の出所も倭人伝からの文字ですが、作者の陳寿は、そのいやらしいとか軽蔑の意味で使っていないと聞こえます。

むしろ全くその逆で使っていると聞こえます。

イエスキリストは、キルギス生まれで、高句麗の第三代大武神王であり、我が国の初代大王です。

その時代、現在の日本や韓国、北朝鮮、中国などの国境線は無い共和圏で、大いにイエスは世界から信頼を得ていたと思います。

その大王の死後、我が国は78年ほどの長きに渡って戦場となりました。

そしてイエス大王の死後100年目に卑弥呼が女王として共立されました。

卑弥呼22歳の時でした。

卑弥呼はイエスの直系で5代目です。 

その直系の姫御子を「いやしい」とかの意味では陳寿は絶対に使っていません。

 

現在の生野は、本当はイヤと読みます。

卑弥呼に組しなかった狗奴国の男王は 卑弥弓呼 と書かれています。

・・この呼び方をどう思われますでしょうか。

私が教えられている狗奴国は、主に現在の徳島県と和歌山県です。

徳島には平家の里で有名な祖谷がありますが、これもイヤです。

紀伊半島を渡ったら熊野・・これもイヤと読みます。

生野 祖谷 熊野を結ぶと これらはイヤトライアングル と言って 正三角形を描きます。

イヤとはヘブライ=アイヌ語で、宝物を長期保存するという意味があります。

徳島の粗谷地方に残る謎の神楽歌は、ヒミコが眠る本当のイヤのことを教えていました。

http://blog.goo.ne.jp/kagome1248/e/2ac789bd47a8664ca4efa445fb409deb

イヤトライアングルは、初代大王イエスとその仲間たちで創っています。

「卑弥呼」と「卑弥弓呼」の呼び名には、これらの意味が隠されているようですよ。

 

紀元前660年は、北のエフライム王と10士族たちが日本に来て、第二ウガヤ王朝としてスタートした時代です。

因幡の白ウサギの話のウサギさんはウガヤの王様で、大国主命は、そのウガヤの流れであることを教えています。

余談ですが、ガマの穂綿にくるまれば・・は、「ガマ出せ!」「王だというのであれば、あぐらをかいていないで、人より倍も三倍もガマ出せ!」

そうすれば、又、元のように皆から信頼が得られることを、大国主は教えていました。

ちなみに「ガマだす」とは・・、私が生まれ育った熊本芦北地方では、「働く」と言う意味で、「一所懸命ガマ出せ!」は「一心不乱に働きなさい」という意味で使われていたように記憶しています。

 

記紀には、邪馬壹(台)国 も卑弥呼の文字もないという意味は、ここにこそ何千年もに及ぶユダヤの北と南の覇権争いが読み取れます。

天智・天武・・持統天皇や藤原不比等たちの釈然としない葛藤が伝わってきます。

藤原家の本当のルーツが、倭国大乱の元になっていることを世の方々はご存じありません。

日本の七福神と中国の千山の九福神の謎解きは、このことを教えていました。

これらのことを4冊目の本には書き入れたいと思っています。

 

現代でも「卑弥呼」の三文字を中国の人達は、少なくとも日本人が「いやしい」と言うような軽蔑した意味あいなど持っていません。

「いやしい」という意味あいだと吹聴した「卑しい人達」の謀略に乗せられてはなりません。


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鳥取県の地震の意味とは・・

2016-10-22 11:20:21 | かごめかごめの真実とは

2016年10月22日(土)

21日14時7分 神戸でも揺れました。そしてその後、何度か余震を感じました。

鳥取県倉吉市で震度6弱の大きな地震が発生しました。

実はこの震源地域が、初代大王がAD99年に亡くなり倭国大乱が78年ほど続いて、その大王の血を受け継ぐ姫巫女が22歳で共立された女王卑弥呼でした。

その大乱後に再スタートした時、賢者たちが集った場所であり学び舎の地が、東郷湖畔の馬の山古墳群地域だと私は告げられていました。

その地域は紀元前遥か昔から重要な都であり、そのことは先人達が三角法を使って磐座、そしてそこに神社や寺を造って遠くからもお祀りしていました。

鳥取県域は古代、重要な役割を果たした場所でした。

現代の私達に先人賢者達の御霊が、「思い出してください」と注目させているような気がしてなりません。

     


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ポセイドンの黄金の槍が出現

2016-04-08 10:09:20 | 邪馬壹国

2016年4月8日(金)

前日昼間、ものすごい睡魔に襲われ眠り入りました。そして目が覚めて・・・

「ポセイドンの槍・・、ポセイドンの槍・・」と響いてきました。

・・ので、

すぐさまそれで私はいつものように国土地理院地図を開いて、ポイントを打って線を引きました。

それは頭で考えるのではなく、もう勝ってにできあがってしまうという感じでした。

イエス・キリストの墓 ・ 女王卑弥呼の陵墓 ・ 明日巡礼ツアーに行く神光寺 ・ 神光寺から南に見える烏帽子山 ・ えびす神のお墓である高星山 とプロットして、点と点を結んで線を引いていきます。

そうしたら・・どうでしょう。

ポセイドンの黄金の槍がいとも簡単に浮かび上がりました。

不思議ですねぇ、あまりにも不思議です。 私はギリシャ神話も全く知りませんが、目が覚める瞬間、「ポセイドン ポセイドン」「ポセイドンの槍」と・・。

ポセイドンは海の神であり地震の神でもあるようですが、海の神と言えば日本ではヱビス様です。

私にはその恵比寿様のお墓が、神河町にある高星山だと教えられて昨年末にその場所へと行きましたが、そこからはイエス様の山も見えていました。 素晴らしい景色のところでした。

 ・・ ところで、 えびす神 ヱビス神 恵比寿神 恵比須神 戎神 蛭子神 戎神 夷神・・んん~~んこれは何かを教えているようですね。

   蛭子は流した  んん~~ん、何かを感じますねぇ。

   十戒 ・・・ 戎  んん~~ん、似てますねぇ。

   蝦   ・・・  んん~~ん、日本の隠された、いえいえ世界の隠された歴史の真実を教えている気がしてなりません。

 七福神とは、この我が国の礎を築かれた実在した7人の御方達ですが、大黒様はイエス・キリストで弁財天が女王卑弥呼でした。

空海様は、「ほらほら、えびす様は鯛を持っているだろう・・」と教えてくれましたが、鯛を持っている恵比須様は、イエス・キリストの12使徒の一人であり従兄弟のタダイでした。

ダタイは漁師の息子でしたが、いつも肩に担いでいるのは釣竿ではなく、本当は槍を担いでいました。

そしていつも えびす様と大黒様は一緒だったようです。

(能勢の七面山七宝寺の恵比寿様と大黒様)

・・・

 モーセの十戒を第一とする理想国家建設が邪馬壹国でしたが、その戒めを破っている組織が、世界の本当の歴史が表に出ることで存続が危ぶまれるので、この日本になにやらよからぬ計画を企てているとしたら・・・。

世界の本当の歴史とは、キルギス生まれのイエス・キリストが我が国の初代大王としてこの国の礎を築き、その大王の陵墓も神河町に存在するという事実なのです。

ですから、イエスが死んで倭国大乱が80年ほど続いた後、その方のDNAを受け継いだ姫巫女が陵墓がある聖地である現在の神河町へと連れてこられて有力な部族たちに共立されて女王となることで、理想国家建設が再スタートしました。

でもその時にはすでに西の国々でイエス・キリストを崇める宗教組織が勢いづいていましたから、イエス・キリストの墓を隠し続けることがこの国の防衛でもありました。

ですから、邪馬壹国(邪馬台国)の存在も日本の記紀には書くことなく伏せられました。

でも今の時代になっては、世界の本当の歴史の真実を表に出さないと、神々様達が「もう約束の2000年はとっくに過ぎていますよ。約束は守ってくださいね」と、言って居られます。

「ヨベルの年のヨベルの月が終わるまでには、約束は果たしてくださいね」と言って居られます。

さぁ~大変ですよ。

ポセイドンの黄金の槍は、キッチリとその方々に向けて狙いを定められていましたから・・・。

 

明日の聖地巡礼ツアーでは、その黄金の槍の場所へも参ります。 世界の平和が訪れますようにと皆さんと手を合わせます。

 

 


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やっと会えましたぁ!

2015-12-21 14:07:18 | 邪馬壹国

2015年12月21日(月)

 

  

 初代大王亡き後の倭国大乱を終焉させるべく、大王の直系である卑弥呼を共立して創られた国が邪馬壹国(邪馬台国)でした。

その時、何を持って国土設計をしたのか。  ・・・それはオリオン座を模しての国造りでした。

ベテルギウスがイエスや卑弥呼が眠る王家の人達が眠る丘でした。  ・・ここが世界の聖地です。

一昨日は、ベラトリクスにあたる弥仙山に登り、その山が自然の山に手を加えた痕跡を見るために行きました。

そこには私が想像し期待したものをキッチリと見せてくれました。

岩山に手を加えた痕跡や、立派な方位石もキッチリと存在していました。

そしていつもながらに武部さんを隊長とする清掃部隊に早変わり。

おそらく今までに沢山の方々がこの山に登頂されたことでしょうが、重要な役割をはたしている磐座がそこに存在している意味を分かっているかたは少ないのかもしれません。

丁寧に掃除しました。 ・・・んん~~ん、そこからでしょうかね、出口なおさんが、「長い間この山の重要さを分かってもらえる人をここで待っていましたぁ。 やっと会えましたぁ!あなたたちと共に旅をさせてください」と、どうもついてこられたご様子としかいいようのない出来事が翌日にも起こってしまいました。  ・・・ つづく。

                  

 

 

 

 


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