2015年6月5日(金)
魏志倭人伝に記された女王卑弥呼さまへの謁見ルートが全て解明されました。
謎の邪馬台国論争に終止符です。畿内説でもなく九州説でも四国説でもありませんでした。
女王卑弥呼様が居られた場所(聖地)は、兵庫県の中央部に位置する生野、神河町でした。
聖地神河へ行くには・・、先ず帯方郡を出発します。
帯方郡の出発港は現在の仁川(インチョン)であり、最終港は仁川(現在の西宮)でした。
卑弥呼さんが生きられた時代、福の神様たち旅の御一行方は、仁川から仁川を往来されていました。
帯方郡の港、仁川(インチョン)から 狗邪韓国の港、馬山(マサン)。
そこから対馬の美津島箕形の港で上陸して、そこから厳原の港まで歩きます。船を乗り換えます。
あるいは、小舟の場合や急ぎの場合は、小船越の西の漕手で船を陸に引き揚げてもらって反対の港へと運んでもらいます。
そうやって対馬から壱岐、それから呼子(佐賀)の港に一度寄港し、福吉で下船します。
そこから福吉 福岡 香椎 福津へとわざわざ陸路です。
そして福津の港から船に乗って関門海峡を南下して一度宇佐八幡の神様にご挨拶してから中国山脈を南行し、
福山の大門へと到着します。 凡そ20日です。
そこから10日で、仁川です。港は現在の西宮です。西宮には恵比須様の総本宮がありますよ。
さぁ宿営した仁川から 宝塚 三田篠山 春日を通って 福知山でした。
そしてそこから西へ行って粟鹿が旅人である神様達が到達する宿営地です。
凡そ1か月を要しました。
ここから面会を許された人達が、女王様の居城である生野、神河の栗へと行かれました。
栗はイエス・キリスト(大国主命)のお墓がある聖地でした。
又、生野にはイエス様をお祀りする地下聖堂もありました。
女王卑弥呼様は、イエス様の大事なお墓の守りをされていました。
その聖地にある婀月山(779m)に女王卑弥呼さまの陵墓もあります。
「私が何を成したかを世界中の人に知らせてください」と、伝言して消えた卑弥呼さんの後ろ姿が見えるようです。
邪馬台国上森三郎説は空海様からご教授賜りました。
邪馬台国の謎を解く鍵が、イエス・キリストの生命の樹(カバラ)にあります。
そして、肝心要のポイントは、中国遼寧省鞍山市にある道教の聖地、千山にありました。
イエス・キリストのお墓が十字架の交点にありますが、
聖地は簡単に行けないよう陸路一か月かかってやっとたどり着ける山中で守られ続けていました。
モーセを祀る千山とイエス・キリストを祀る聖地「栗」とを結ぶ聖なる霊ラインが邪馬台国の女王様への謁見航路でした。
モーセとイエスが何を成したかを理解できなければ、邪馬台国の謎、世界の歴史の謎は解き明かすことはできません。