2018年11月29日(木)
素戔嗚尊=モーセの終焉の地を教えられていた私でしたが、これ以上の猶予はならないようで、聖地巡礼ツアーの流れからその場所へと行くのに、大田市の馬路を指定されたようです。
古代から大事な大事な場所のようです。
大和朝廷が創られたとき、
係官 : 「君は何所から来たの!?」
「え~~っ! マジかよ~!! 馬路出身なの・・!!!」
・・と驚かれた言葉が、今の世に残っていると私には響いてきます。
ここ出身の方々が国造りの草案をした学び舎が馬の山であり、そこから政治政体を司る行政府を倭(現在の奈良)とし、国事国体を播磨国風土記に記されて埴岡の里(兵庫県中央部の生野・神河)としました。
石見銀山の積み出し港が馬路の鞆ヶ浦であり、兵庫県中央部には生野銀山があります。 この事実は重大なことです。
船をつなぎとめる「鼻ぐり岩」も馬路が歴史的に重要な場所であったことを物語っています。
「あなたが来るのをまってましたよ」と話しかけてくるような貝殻さんたちがいました。
夜、寝静まったお店の中では、自由におしゃべりしながら走り回っていて・・、
お店のご主人が来る前には元の場所になにごともなかったように定位置についている貝殻さん。
でも・・時々、少し定位置と違うことがあるのでは・・、と見つめる私でした。
鞆の銀蔵(とものかなぐら)㈱ の山根さんご夫妻が四季折々のとれたての海の幸でおもてなししてくれますよ。
「ぼべ飯」は、ご先祖様からの御接待のように思いました。
実に美味しい!! 「御かわりできますか」ともう一杯いただいてしまいました。
ドライブして昼食やコーヒーを飲みながら、ただただ海を眺めていても最高のスポットですね。
お店のご主人がコップに入った鳴り砂の音の大きさにもビックリしました。
次に行った時は、砂浜をぜひ歩いてみたいものです。
〒699-2304 島根県大田市仁摩町馬路1830-6
TEL・FAX 0854-88-3015
カーナビにセットしたら、迷うことなく着いてしまう現代って、「凄い世になったものですねぇ」とご先祖様たちの声が聞こえてきそうです。
平家の方々があなたが来るのを待って居られることでしょう。