2020年1月13日(月)
邪馬壹国(邪馬台国)の女王が住む宮は『栗』で、首都は『粟殿』でした。
男王 大国主命=イエス・キリストがAD99年11月17日に逝去してから3年後、倭国大乱になりました。
それから78年後、イエス・キリストの血を引く卑弥呼が女王として共立されて邪馬壹国がスタートしました。
そしてイエス・キリストの墓やイエス王家の方々の墓守が女王卑弥呼の務めでしたから、卑弥呼が住む宮は、栗でした。
西の宮への入り口が西宮であり上り口が仁川であり、そこから陸路一か月かけて行きつくところが栗でした。
邪馬壹国(邪馬台国)は、最初から、国事国体は『栗』で、政治政体は『粟殿』(おおとの・奈良県桜井市)でした。
ちなみに、粟殿の出先機関は、粟鹿である。
邪馬壹国はオリオン座を模して実に見事に設計されていました。
船の航路は仁川から仁川でした。
魏志倭人伝に表記されている距離は、全て一里が短里77mで合致する。