2018年10月26日(金)
後醍醐天皇が亡くなった後、足利尊氏が後醍醐天皇を弔って京都に造営したのが天龍寺。
その天龍寺の磁北に桓武天皇の亡骸をいれた高雄山(428.4m)があります。
そして真北には、嵯峨天皇(第52代)陵があります。
この天龍寺と後醍醐天皇陵とほぼ2:1:√3という直角三角形を描く場所に、イエス・キリスト終焉の地があります。
偶然でしょうか。
後醍醐天皇陵と桓武天皇の墓と、イエス王家の陵墓である天神山も同じような三角形を描いています。
偶然でしょうか。
これらの事実から足利尊氏も、桓武天皇の墓も、イエス王家の陵墓も、イエス終焉の地も知っていたということが言えるのではないでしょうか。
後醍醐天皇の時代これらは既知の事実として、天神山でも桓武天皇の墓でも皆が、弔い祀っていたとうことでしょう。
いつの世も天皇は、国民を代表してご先祖の御霊を護り、そのサポート役として天皇の代わりを果たすのが、政権の長の務めなのです。
間違いなく徳川政権の世までは確実に引き継がれてきました。
でも・・今はどうなのでしょう。
卑弥呼は、大王イエス・キリスト(大国主命)の陵墓や、王家の方々の墓守が女王としての務めでした。
国事国体は播磨国風土記に記された埴岡の里(現在の生野、神河町)で、政治政体は奈良纏向でした。
もうそろそろ邪馬台国論争の呪縛から目を覚まさなければ、皆さんの立派なご先祖様たちが嘆き悲しまれることでしょう。
先人先輩諸氏が幾何千年もの時をかけてこの大地に残したものを現代の世は途絶えさせようとしています。
先日、女子駅伝での壮絶なシーンを見せつけられましたが、スポーツとしてのマラソンではストップさせるべきでしょうが、国事国体としての代々の大王、天皇の御霊を祀り崇めることは途絶えさせてはなりません。
西欧の一神教とのかかわりで、その事実を隠ぺいしてはなりません。
もし今のようにタスキを渡すことを止めるのであれば、二度とこの国が、人類が立ち上がることのできないような状況はもうすでに用意されていることでしょう。