怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

12月15日 プレートへの言葉

2011-12-15 09:47:22 | 学校に対して
いつも優しくしてくれた花菜には感謝でいっぱいです。
でも、その感謝を伝えることができませんでした。
だから、花菜文庫の本をたくさん読んで、感謝したいです。
でも、私たちはあのつらい事故のことも忘れてはいけないと思います。

事故のことは悲しいけれど、私たちは、そして章南中学校の後輩たちも、
花菜文庫を大切に利用して、命の尊さ、花菜のことを忘れないでいきたいと思います。

                  2011年12月18日
                                章南中学校同級生


     

「 夢があるっていい。

    私はこの同級生の活やくを見たい。」

2010.6.17 西野花菜

(夜の研修会のしおりに綴る)


↑ 昨夜のプレート原案

12月14日  コメントをありがとう 6

2011-12-14 09:12:39 | 学校に対して
*****
何故… 2011-10-06 まささん ( 9月28日  遺族の気持ちを感じ... )

あの日から…15カ月あまり…

ブログを見るにつれ 学校側に対し怒りと驚愕…とそして…悲しみと…

一体…事故のあと何故…何が…どうなって…

弟夫婦の無念さが悲しい程…伝わってきます。

時間が立つ程…遺族の無念さは増すばかりです。

署名活動など…多くの人々に支えられ…かけがえのない絆もできました。

でも、学校側の対応は…あまりにも…残念です。


*****
気持ち 2011-10-09 同級生の生徒さん  ( 9月28日  遺族の気持ちを感じ... )

先生方を信じて、学校を信じて

私達はあの学校に通っています

いつも心のそこ深くにあるモヤモヤを背負いながら学校へ行く

そんな毎日を繰返しだんだんとそもモヤモヤが大きくなっていく

不思議なくらいに・・・・・

それがやっとわかったのだ

モヤモヤの正体は

学校に対するイラつきと憎しみだという事を

きずいた時はずっしりと心に重みが伝わった

すごく重くて・・・まるで誰かが苦しんでいるように・・・・

いつもそう思いながら学校へ行く

憎しみと悲しみと怒りを背負いながら・・・


*****
2011-10-11 agasa さん ( 10月7日  国交省 1  )

○○教育委員長は、事故発生当時「これは人災だ」とはっきり言いました。それは新聞記事にも○○教育委員会の事故調査書にもはっきり書かれています。
ボート訓練を計画していた○○県の施設にも、曳航経験のない所長の配置、という問題はあります。
もう一方で、全く指揮能力のない校長を、管理職に置いていたという○○教育委員会と設置責任者の○○市の問題があったと思います。
子どもの命を預かる学校の場で、安易な人事を行っていた○○教育委員会の責任は逃れないと思います。
人災の全てを明らかにして、反省し、見直されて
子どもたちの命を守った教育がなされることを祈ってます。
○○校長の異常に気づきながら、看過し沈黙している周囲の人間の罪は大きい。
この事故は人災であることを私は確信しています。


*****
何もしないことにブレナイ議員 2011-10-11 agasaさん ( 10月11日  誰を信じれば・・ )

こんな人たちに住民の代表の議員になってほしくないですよね。ホントに!!
請願については、お父様の、真相を求めて動かれた姿が今でも目に焼きついています。
あの時行政や議員の多くは、犯人探しはよくない、といってましたね。
真相究明が犯人探しになるのでしょうか?
全く理解できない方々でしたね。
なぜ事故は起きたのか?を見極めないで対策が立てられるのでしょうか?
どこが間違っているのか、を調べずに数学の問題を解け、と言っているようなものです。
このところ、○○教育委員会が公表した経緯や行政の対応から、闇となっていた背景が浮かび上がってきています。
例えば○○校長は、救援本部となったホテルからひとり暗闇の海岸沿いを歩いて宿舎に帰されています。理由は、情報収集しなくてはならないからと書かれています。ホテルが本部になっていることも、しばらくは知らされていなかった。
しかし、普通どこでも校長は救援本部に居て情報を収集します。宿舎は教師が担当します。指揮は校長が振るうわけですから。
なぜですか?
なぜ教師たちは校長を返したのですか?
事故の対応できる状態になかったのですか?
対応できないような人が校長をしていたのですか?○○中学では!・・・・・
○○ちゃんが真相に導いてくれている気がします。


*****
学期末 2011-10-14  まやさん ( 10月7日  国交省 1   )
 
中学2年の 半年が終わりました。
きっと○○ちゃんは、成績の良い子になっていたでしょうね❤

通知表をもらいに行ってきました。

「このままだと普通の高校に行けないよ」と半分脅しのかかった言葉に、「通信高校でいいの?」と追い打ち…要は早く学校に戻って来いという暗示…
あんな子供を苦しめる学校には行かせたくないのに 体裁ばかり考える学校側…

○○中学との関係、「断ち切ってもらっても良いですよ」と言った言葉は跳ね返されてしまいました。


*****
子供 2011-10-17 meg-kou-syuさん ( 10月17日  綴れなくなった、中... )

遺族の怒りやつらさや涙が自然と流れる生活を学校側は、理解できてないのでしょうか?

昨日から○○ちゃんの従兄弟の私の息子は九州に修学旅行にでかけています。今日は、長崎ペーロン船体験があります。船を漕ぐのか.一抹の
不安がよぎりました。
先日の学校での修学旅行説明会で、去年の浜名湖の事故、今年の天竜川の事故を話にだされて、実施するか悩んだそうです。しおりにも補足が加えてあり、安全対応の説明と天候等に関しては、学校と業者との協議で万全を期して行うといわれました。いくら高校生といえども、私達の大切な子供達です。
学校に子供をゆだねているわけですから、無事に帰ってくるのが、あたりまえのことです。

○○ちゃんだって、元気に帰ってくるはずでした。
なぜ、それができなかったのか、大人達は何をしていたのですか?生徒一人を確認できなくて、何時間も冷たい水の中、○○ちゃんは、助けを待っていたこと。
なぜ、こんなことになったのか、時間の経過と共に流されることが、遺族としては、あってはならないことです。

私の子供達も○○ちゃんのことは、事故以来口に出せなくなりました。
下の子は、○○ちゃんとおない年で、ずっと同じように成長してきました。
お葬式なんて参加したことない、子供達二人が、初めてでたお葬式が、○○ちゃんのお葬式。こんなつらくて、ひどいことはないです。

妹夫婦の大切なかけがえのない宝だったんだから。
子供はみんな宝です。

明日うちの子も無事に帰るまで、心配です。二度と子供が学校行事で事故に合うことのない対策、原因究明をお願いする限りです。


12月13日  届かなかった市民の声

2011-12-13 09:16:34 | 市教委に対して
昨夜は、C新聞 I 記者が来訪した。
豊橋では珍しい殺人事件の取材が入り、11月にうちが市議会と教育長に提出した質問書の取材がキャンセルになっていて、それ以来の来訪である。
時間が経つのは早い。
その時に時間が戻ったように、若い I 記者の質問は、「市議会と教育長の回答はどうでしたか?」 で始まった。

市議会の気持ちのないA4版1枚の回答 ↑ と、教育長のA4版8枚の回答をみて、
「もっと各学校の安全への取り組みとか、分厚いものがあると思いました。」と落胆する I 記者。
「私も74もの小中学校があるのなら、事故の報告が、ひとつもないっていうのは、おかしいと思うんですよ。
うちが駅前で署名活動をした時も、署名して下さった方が、
 『 うの子の○○中学も、同じようにボートが漕げなくなって、曳航されたんですよ。
あの時、学校が教育委員会に報告していたら、こんなことにはならなかったんでは?と思うと・・・』
 
 と言っていたそうです。」

*****
市議会にしろ、趣旨採択と判断したのなら、その後の教育委員会の安全への取り組みを、随時チェックしていく責任があると思う。
「趣旨採択」と言って、教育委員会に任せたから、これで終わりでは、1万6千を超える、子供の安全を願う、市民の声はどうなるんだろう・・・

*****
昨年の12月は、1年の回顧の記事ということで、章南中の引き起こした ボート転覆事故 についてのマスコミの取材依頼が殺到していた。
主人の仕事が終わってからの、連日連夜の取材。
娘のためにも、事故を風化させないよう、精一杯取材に応じた。
それでも、1社ずつは無理だったので、失礼とは思ったが、C新聞さん ↓ とM新聞さん同時にお願いしたこも・・

12月12日  一生残る深い心の傷

2011-12-12 09:30:53 | 学校に対して
昨晩は18ヵ月近く、毎週続く静岡側の、元静岡県教委課長(今は生徒数500人もの小学校校長)と、青年の家所長、小プロ社会教育事業部元課長の、3人の弔問の日であった。
さすがにお互い気心も知れ、和やかな雰囲気の弔問。

和やかな中にも、遺族に対するきめ細かい配慮と、着々と進む事故の再発防止への動きの報告を、その都度もらえる。   
↑  以前報告をもらった、10月12日に実施された合同訓練


昨晩の弔問で、12/8の現課長の弔問を伝え、その時に聞いた課長の考えも伝えた。
「今は休止の海の活動で、しっかりしたマニュアルの整備も、様々な想定訓練もしました。
でも私は、若い所員達の水に対するブランク、現場の勘が失われていくことが心配です。」
その言葉を伝えると、3人の話は 海の活動再開 へと流れていった。

陸の活動再開の時も、私達遺族の許可を、先ず尊重してくれた。
私もこどもの成長のためにも、海の活動再開に反対する、という気持ちはもちろんないし、そんな権限もないことは充分理解している。
   娘の命が奪われた という親としての、私個人の感情は出さないつもりだった。
しかし、「 水って怖いんですね
昨晩、娘の弔問に来てもらった生徒さんが、病院の何気ないな会話の中で漏らした言葉、  私MRIが受けられないの・・  ボートに閉じ込められた時の事を思い出すから・・    って言ってましたよ。  」  と、自然に口を挟んでいた。


1年半経とうとしている今、まだまだ色濃く残る、事故の取り返しのつかない、一生の 深い心の傷・・
   一生を奪われた娘・・
私自身も  水が怖い・・  炊事の際、飛び散る水滴・・  自分の流した 涙 でさえ必死で拭いている・・   
市教委に頼んだ、プロの臨床心理士、3人にも診てもらったが、誰も無理だった。
     
       却って、心の傷をえぐったようなものだった・・・

なぜわからないの???
生徒達に心の専門家をつけたからと、簡単に安心する 教育者達。

12月10日  見返して下さい

2011-12-10 13:41:39 | 学校に対して
昨夜の金曜弔問は、12/3と同じく、
1部・・市教委幹部K館長の、遺族のクレームへの「プレート」再説明
2部・・1年先生2名と章南中学幹部1名での、いつもの弔問

*****
1部のプレート再説明で、新たに修正した下書きが、私と主人に手渡され、K館長の説明が始まっていった。
1.ボートの写真は削除し、現場までの地図も削除
2.教育長ご自慢の、「命の日制定」の記事は、そのまま2面も掲載。
   ・・・遺族の父親が娘のため、事故の真相追究を求め市民に、駅前で署名活動をしている記事を削ってまで?
3.両親の言葉「義務教育~」は「学校~」に操作されていたのは、「義務教育~」に戻す。
   ↓    ↓     ↓
2.の命の日制定は、教育長の思い入れが大きいかもしれないが、文庫の上に置くプレートとしては、学校の取組みというプレートの意味で、市の取組みを持ってくるのはおかしいのでは?

3.の「学校~」に敢えて修正したのは、教育長の 学校が企画した 野外活動行事という点を強くするため、遺族の了解を得ずに修正したが、戻したという。  

また2.等の私達の新たなクレームに対し、12/18の期限には間に合わないかもしれないが、再考するという返事だった。

*****
1部の説明を終え、12/5の教頭に私がさらにお願いした、章南中HP(ホームページ)への、事故に対する学校の取組みを掲載する件に、意外にもOKが出た。
今まで、
「引率した教師達を4月に異動させず、この学年が卒業するまで、先生達の責任として見届けてやって欲しい」もダメ・・・
 「事故の最高責任者である元校長の、遺族である私達への配慮に欠ける言動に堪えかね、校長としてふさわしくない、依願退職を進めて欲しい」とお願いした時もダメ・・・
と、ことごとく歪めていった、その教育長から、HP掲載にOKがでたのは意外であった。

私は嬉しくなり
「今までなんで、こんな中学に 娘を入れてしまったのか?
娘に申し訳なく、悔やんで仕方がなかった。
全国的にも悪い意味で、有名になってしまった章南中。
どうか、さすが章南中 という、世間を見返すものにして下さい。」  と言っていた。

*****
実は私は事故後、娘の葬儀の準備の際、同じことを元校長にも、言っている。

娘と私達だけでなく学校全体が、取材のおびただしい数のマスコミの嵐の中

その短い準備の際、学校側に、娘が所属した吹奏楽部の演奏をお願いした時、
「  さすが章南中!  と言われるものにして下さい。」
娘が野外活動に出発する前夜に、娘がレッスンに通っていた、バイオリンとピアノの先生にも、演奏をお願いした。

なんとか傷ついた生徒さん達に、トラウマを残さない葬儀にしよう、明るい葬儀にしようと、必死だった。


 
↑ 娘と私達の白いリムジンの霊柩車を、外で演奏と風船を飛ばし、見送ってくれた吹奏楽部の生徒さん達


まさかその裏で、元校長がPTA会長に
「保護者会よろしくな!(終わったら飲みに行こう???)」
と言って、保護者に殴られていた事
を、知るはずもなかった私と主人・・・

12月9日  あなたじゃ話にならない!

2011-12-09 08:43:20 | 学校に対して
12/9の金曜弔問時に教頭の言った、プレートへの私のクレームに、教育者?とも思えぬ回答が、私を激怒させた。
この教頭の「私の力が至りませんで・・・」と言う、大袈裟な超低姿勢に、何度騙されてきただろう。
・・・「金曜の娘の死亡確定時刻までに、今度こそ娘を発見し、骨にされてしまった娘の前に来て謝罪して下さい。」と言って始まった、金曜弔問。
   しかし心配になり、「心ある先生達だけでよろしいので、ノートに署名・捺印をお願いします。」と言った私に、即座に、
・・・「 義務になりますので、無理です。」と言った教頭。

・・・「プレートに、謝罪している教育長の記事や、元校長の青ざめた保護者会の記事も載せて下さい。」には、
・・・「図書館で探しましたが、ありませんでした。」と探そうともしない教頭。


*****
      「あなたじゃ、話にならない! K館長(市教委幹部)がなぜ来ないんですか?」と言った私。
それが効いたのか、今日の金曜弔問は、また二人で来ると、連絡が入った。
「この事故は 命を奪われた 娘だけの問題ではないんです。
 私達親の人生もボロボロにされました。
 遠く離れた主人の親戚も、私の親戚も怒っています。
 冷静な判断をしようと思っていた私達にも、もう止められません。」 とまで言ったから・・

しかし、なぜプレートの両親の「義務教育」という言葉まで、教育者のトップが 改ざんした?
こどもに賞をとらせるために、言葉の表現を勝手に変えるのと同じじゃない。
       
      その背信行為って、  日常茶飯事にやってるのことなの?     教育界って???

追記:昨日は静岡県の教育委員会課長が来訪した。
   真剣に再発防止に取り組む隣県。
   奇遇にも私と同じ奈良女子大出身の大先輩(元女子高等師範学校だから多い)の課長に、プレートの件で中学ともめていることを話すと、下宿も同じだった大先輩は、
   「(私が言ったら問題だけど)遺族へのコミュニケーションが下手よね。」 と。
   
この18ヵ月間、毎日のように、マスコミを含め事故関係者が来訪するという、異常な生活が続く。

12月8日  クリスマスプレゼント

2011-12-08 15:42:45 | 学校に対して
12/5、我が家に信頼するN刑事が来訪した時、恥ずかしそうに袋から、歯が鍵盤になったネコのぬいぐるみを出し、音楽が好きだった娘に供えてくれた。

初めて彼が我が家に来た時も、娘が好きだった同姓同名のミュージシャン西野カナのCDが、遺影に供えられているのを見て、
「僕は彼女を知りませんでしたが、西野カナのCDを買い、毎日車で聞いています。
自分の気持ちを奮い立たせるために。」

そうやって、この1年半が過ぎても、いつも娘の事を考え、この事件に真剣に取り組んで頂いている。

私は12/5のクリスマスプレゼントの代わりに、

「我が家からのクリスマスプレゼントです。」

と言って、皆が待っていたプレゼントを、今日 贈った。


「×月×日です。」 と。

12月7日  「義務教育」に殺された娘  2

2011-12-07 09:35:03 | 学校に対して
12/5の月曜日の午後、介護ヘルパー研修に行っている主人から、メールがあった。
「章南中からTEL有りました。
プレートの件で、K館長(12/2にプレートの説明で来訪した市教委幹部)が再度説明したいとの事でした。
明日19時でよろしでしょうか。」と。

大事なプレートの件ということで、私はOKを送信し、昨夜主人と2人でK館長を待った。
きっと、12/2に見せられた事故情報プレート下書きに、私がクレームをつけた件の話もあるだろう。
しかし、現れたのは、主人の聞き違いか?、私の嫌いな教頭一人だった。

部屋に入ってくるなり彼は、いつもの大袈裟な、超低姿勢で頭を下げながら、私のクレームである(一部は主人も)3点について、説明を始めた。

<1> ボートの写真は載せられない → 臨床心理士2人が言った

<2> 教育長ご自慢の「命の日制定」の記事は、2面もそのまま載せる → 父親の主人が、豊橋市駅前で 事故の真相究明 と こどもの安全 を求めて、懸命に署名を呼びかけている記事を削除してまで・・


↑ 最初のプレート原案 (カラー写真は娘だと、教頭に間違われた違う生徒さん) 


<3> 両親の言葉 「義務教育~」はそのまま「学校~」で掲載 → 教育長の指示

度重なるい誠意のない学校に、予想はしていたが、私は驚いた・・。
遺族である両親の心をこめた言葉でさえも、勝手に上が言ったからと、簡単に操作されてしまうものか?

      青年の家が雨天でも大丈夫と言ったから、生徒の命の危険も考えず、簡単に実施判断に同意した中学・・

私の「義務教育」という言葉は、主人に下書きを見せた時、「義務教育の~と書かなくとも、中学の~とすれば、義務教育とわかるから、あえて義務教育としなくても、いいんじゃない?」と言われた。
だが、私だけでなく親は 「民間の体験施設に申し込んで参加させた訳じゃないんだよ。
公立の 義務教育の中学の学校行事 だから、親は参加させざるをえなかった。
         
              無事帰って来ることを信じて・・
                 
                                         
****
3点の説明を受け、私は教頭に声を荒げて
「生徒さん達の心を心配するというのは、私もわかります。
でも、
遺族の言葉を、上から言われからと 勝手に変えることを、学校は やってはいけないこと と思わないんですか?
娘はこの学校の生徒だったんですよ!
私達を守って下さい。  
なぜ学校は「やってはいけないことです。」と言って 私達を守ってくれようとしないんですか? 」

       どっちが大事?   残された95人の生徒?   それとも    ひとつの  ?

12月6日  事故情報が知りたくて<娘の遺留品>

2011-12-06 09:11:03 | 学校に対して
昨夜はこちらからお願いして、毎月来て頂いている事故担当の、お若いN刑事さんが今年最後ということで、後輩の若いO刑事さんを連れてみえた。

初めてN刑事さんに来てもらったのは、昨年6/18に事故が起き、1カ月もしない頃だった。
中学校側から何一つ、遺族に事故の状況説明がなく、娘の葬儀の日に行われた 説明の保護者会に私達が、出席できる訳がなく、事故の状況は、テレビのニュースと新聞記事で知るのみであった。

遺族への配慮のない、自己満足のような連日連夜に及ぶ、元校長の先生達を従えての弔問攻撃を受ける中、私達はマスコミの報道と、自分たちの事故への認識が異なる事に気づいた。
そこで真実が知りたく、ようやく校長に事故状況の説明を、なぜか遺族からお願いした。
待ってました!とばかりに、元校長は自分の警察での調書の際のメモを取り出し、その場で読み上げていく。
         
                      遺族の感情をまるで無視した、事故状況の説明だった。

その説明から、自分の娘が死に至る過程など、娘の母親の私は聞くに堪えず、
   
      「 娘がどのように殺されていったのかが、よくわかりました。」 と、思わず言っていた。

その苦い経験から、学校に事故状況を聞くのは無駄だ と分かり、わざわざ警察に、「正確な事故状況を教えて下さい。」と電話した。
事故直後、娘の遺体に面会する前に、検視の医師の説明を受ける私の肩を、ずっと抱いていてくれた警察の部長に。
その部長から、「担当の刑事に説明させる。」と言われ、我が家に来たのが、N刑事だった。
誰も信じられない状態の私達に、ひとりの人間の命がなくなっている という重大さが感じられない中学側と違い、彼の事故に対する真剣な言動は、心に強く響いた。


****
後輩のO刑事さんと一緒の来訪は、昨年末岡山の同様のボート訓練のある施設に調査で出張された帰りに、二人で我が家に寄って下さった時以来、主人にとっては、2回目、1年振りである。
私にとっては、3回目・・・
春に中学に寄ったついでと言い、突然、主人のいない昼間に、「早くお届けしたかったのですが」と渡された 娘の遺留品
お若い刑事さん達に、バーバリーの紙袋に、丁寧に詰められた、娘の 最期 の着衣・・

ボート訓練時に身に着けていた、見覚えのある 靴下、キャミソール、ハンカチ、髪留め等々・・・  やっと家に帰ってこれた・

しかし、
2時間半もボートの中で発見されず

新しかった白の体操服の、
波とボートに叩かれた無数の茶色い汚れを見た時、
狂いそうな自分がいた・・ 

12月5日  今年の12月18日  2

2011-12-05 10:05:49 | 学校に対して
中学側がプレートを設置する、12月18日の誘いを、主人はその場で断った。
そして、教頭に言った。
「今年の12月18日は、学校も御存じのように、青年の家で娘の慰霊のキャンドルライトが行われます。
私もそちらに行きますから」

先日学校側に、青年の家で今年も行われる、娘を慰霊する キャンドルライト のチラシを、同級生の生徒さん達に配ってもらうように依頼していた。
去年の12月23日に、日没を待って行われた、花菜という娘の名をもじった 「菜の花キャンドル」 のイベント。

私は昨年も学校側に、「生徒さん達に、自分達が一生消えない心の傷を負った 場所 で、 今 何が行われようとしているのか、隠すのではなく、知らせてあげて欲しい。」とそのチラシを渡した。
何かと隠そうとする学校、生徒さん達は行く気はなくとも、知る権利がある。

昨年のその12月23日、豊橋市教育長と章南中学新校長も出席し、静岡県教委、小学館集英社プロの、加害者3者が、事故から半年以上も過ぎ、ようやく 3者が命を奪った娘に対し ひとつの形を示してくれた。

しかし、娘が知る、事故の際引率した先生達の姿は、一人も なかった・・

ただ 娘が知っている顔は、自分もボートの中から救出され、命の危険に遭いながらも、懸命に 「花菜ちゃんがいない!」 と訴え続けてくれた、娘の親友さんだけであった。
親友さんが寒風の中、事故のあった浜名湖で、キャンドルを並べる強い姿に、湖に行く勇気もなかった親の私達は嬉しかった。


今年のキャンドルは、バイオリンを手にする娘の姿ではなく、私達親子3人の姿を企画しているという。

12月4日  今年の12月18日  1 (事故プレート設置)

2011-12-04 13:58:58 | 学校に対して
昨年の12月18日は、事故からちょうど半年ということで、文庫寄贈の日にあてた。
私が設計した本棚も直前になって、スライドレールの寸法がないということで、設計変更等し少しバタバタしていた。
2010年12/18は土曜だったが、学校で寄贈式をやってもらえるというので、生徒さん達や保護者も、希望される方は、出席頂いた。
マスコミも多かったらしい
というのも、寄贈した側、遺族の私も主人も、実はまだ一回も、実物の文庫は見ていない
私は事故後難病の進行もあり、車椅子になり、2階にある図書室へは行けないし、娘を奪った中学に、足を運ぶことさえ嫌だった。
主人も同じ気持ちだったのだろう。
学校側に 「 月命日は、娘の(祭壇の)そばにいてやりたい。」 と言い、寄贈主不在の寄贈式となった。

しかし今年はなぜか、12月18日にあてたプレート設置に、中学側から誘われた。
「私、車椅子ですよ?」 と言ったが、階段を運んでくれると言う。

昨年の文庫寄贈の時も、今年の遺族が企画した命日のコンサ-トの時も、私は主人に言った。
「 本当に 誠意のある 学校なら、移動の介助(運びましょう)を示してくれるのが、普通じゃない?
やっぱり、あの中学、娘の命を奪った中学って、意識なんか、謝罪の意識なんか、誰もさらさら無いよね。 」

*****
昨年の文庫寄贈に合わせ、文庫に置いてくれるよう学校に依頼した、事故への誓いの言葉
文庫寄贈の前日、我が家に示された原案。
そこには、学校の野外学習によって わずか12歳で命を奪われた 娘の年齢は、13歳になっていた・・
主人は新聞で 「娘の年齢を間違えるのは まだいい。
だが、 事故を風化させず、再発を防ごうと願って  文庫を寄贈した 私達の思いは届いていない。」 と。

12月3日  「義務教育」に殺された娘 1

2011-12-03 14:06:04 | 学校に対して
昨夜の金曜弔問は、
1部で、市教育委員会幹部(元校長が事故後、休職している間、新校長が来るまで校長代理を務めていた)と教頭が、制作中の事故情報プレートの説明。
2部で、○○中 校務主任と養護教諭の弔問。
という 2部構成で行われた。

*****
まず、事故情報プレートは、
「娘を忘れない」という趣旨のものを、文庫上に設置。
「事故の再発防止」の趣旨のものを、校長室に設置   という話を受けた。

市教委の制作中の下書きを見ると、
やはり、当初のボートの写真は消され、事故を起こした施設が悪いと言わんばかりに、民間委託施設までの地図が掲載されている。         
                         実際の記事→

しかもプレート下部中央には、教育長自慢の「いのちの日」制定の記事が追加され、いのちの日の記事だけで、限られてたプレート面に、2つもの記事が入っている。
私は「ボートの写真はダメなんですか?大きさ3cm角にもならない小さいもの、しかも転覆したボートの写真でもないのに、あえて地図を載せるんですか?」
「いのちの日の記事を、ふたつも載せるのはおかしいです。」 と言った。

彼らが帰り主人と二人で夕食を取ろうとする8時過ぎ、教頭から電話が入り、
「ご両親の言葉の、 義務教育 という部分を変えましたので、よくお考え下さい。」 と。
母親の私が最初に、学校側に渡したのは、
「 2010年6月18日、義務教育の野外活動中の浜名湖でカッターボートが転覆し、12歳の我が娘、西野花菜(当時、豊橋市立章南中学1年生)の命がなんの落ち度もなく奪われました。この文庫には、明るかった花菜を哀悼する気持と、「再び残酷な事故を起こさないで欲しい」という一人娘を失った遺族の思いをこめています。
             2010年12月(事故から半年の月命日に寄贈)
                            西野花菜両親       

それが、義務教育の野外活動→学校の野外活動に勝手に変えられいた。
         
           娘は 義務教育 の中、命を落とした。
      親は 義務教育 だから、大切な子供を信じて預けたのに・・・

*****
その後の、養護教諭達の弔問時に、私は言った。
「○○中の保健室には、1時間ルールというものがあり、1時間で教室に戻れない生徒は、帰宅させられると聞きましたが、それって、○○中学校の 義務教育の放棄 じゃないですか?
生徒には 教育を受ける 権利 があると思います。」

12月2日  コメントをありがとう 5  ( 9月30日 限界 )

2011-12-02 09:14:26 | 学校に対して
*****
2011-09-30 agasa さん  ( 9月30日     限   界 )
お疲れ様でした。
お父様の行動には頭が下がります。
娘の死を、全ての子どもたちの安全に生かしてほしいと献身的に動かれました。自ら駅前に立ち真相を求めて署名活動に立たれた、お父様の勇気と正義感に心を打たれた人は少なくありません。
お疲れ様でした。
少しお休みしてください。
善良な市民はこの街にも少なからずいます。
あなた方お二人の気持ちを二人だけで終わらすことは決してありません。
受け継ぎ必ず真相へとたどり着くようがんばります。

*****2011-10-02 agasaさん  ( 9月30日     限   界  )
最初、お疲れ様と言えない意味がわかりました。
いま突然わかりました。
それは、本来なら一番仕事ができる時期に退職しなければならない、お父様の思いを考えると、お疲れさまと受け入れることができないということですよね。
そんな悔しさとか怒りとか、やるせない気持ちを理解できず、お疲れ様なんていってしまって。
反省しています。

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お久しぶりです 2011-10-02 同級生の生徒さん   ( 9月30日     限   界  )
お父様、28年勤めた会社を辞職なんて

とても勇気がいる行為です

学校側の月命日毎の弔問、学校側からのそれ以外の平日の来訪予約、マスコミの取等々・・・


そんな事がお父様方を苦しめたことでしょう

お父様方は悪くないのに・・・。

気持ちをわかっていない・・・。

もっと考えて行動してほしかった

どれだけ傷ついているのかわかっていない

どれだけ苦しめるつもりなのか

わたしもう・・・行きたくない

あんな所へ・・・・・


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2011-10-05 ボブ・マリさん   ( 9月30日     限   界 )
お嬢さんにお会いしたことはありませんでしたが,年賀状でその成長を見させていただいていました。
あまりに痛ましいことで,なんといったらいいのか言葉が見当たらないというのが,私の気持ちです。
ただ,お嬢さんはご家族,お友だちの心のなかにいつまでも生き生きと生き続けていくのではないか,とそう思います。