はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

京都の深層を見てきました

2015-04-22 18:03:19 | 古代史の舞台を歩く
今回は、京都の発掘現場を訪ねました。古くからの友人のヒゲさんにお願いして、発掘現場を見せてもらいました。
発掘しているのは、京都御所の東側で、梨木神社や府立医大のあるあたりです。平安時代の貴族の代表といえば、藤原道長ですが、その摂関政治を象徴する大寺が法成寺(ほうじょうじ)です。道長の「御堂関白」という名は、この寺が御堂と呼ばれたことからきているそうです。
河原町通りの府立医大を西に入ると、現場がありました。すぐ向こうに京都御所の森が見えています。右側は梨木神社です。




中に入ると、発掘現場の写真などでよく見るのと同じ風景がありました。でこぼこしている中に、柱の穴っぽい跡があったり、石が集まっているところがあったりと、素人にはよくわからない景色です。


やぐらの上からも見せてもらいました。そんなに広い場所ではありませんが、なんせ手堀りなので「大変やな」という感じです。


見えている層は、江戸時代のもので、まだこれから深く掘っていくそうです。とりあえず、時代順に丁寧に掘っていきます。下の写真は、江戸時代の層から出土した瓦や食器のかけらです。


平安時代の層は、かなり深いところです。(下の写真の一番深いあたりです。)ここまで掘るには、まだまだ時間がかかりそうですが、なにかすばらしい発見があるといいですね。


発掘調査では、記録も大切なしごとです。測量器で深さを測ったり、写真を撮ったり、図面をかいたりと、たくさんの作業があるそうです。


ヒゲさん、貴重な体験をありがとう。(ヒゲさんは、京都を掘って40年になります。)また、釣りに行きましょう。


おまけ。京都御所と梨木神社の間には、知る人ぞ知る素敵な道がありますよ。

北浜あたりをぶらり (ビルヂングめぐり)

2015-04-21 17:43:02 | 大阪のまちをぶらり
北浜周辺には、クラシックなビルがたくさんあると聞いていたので、18日の土曜日、久しぶりの快晴の中を自転車にまたがってビルウオッチグに出かけました。
難波橋(なにわばし:ライオン橋の愛称で呼ばれています)を渡ると、すぐ目に飛び込んでくるのが、「大阪証券取引所旧市場館」です。

(堂々としていて、いかにも証券取引所というイメージです。)
北浜は、江戸時代から、両替商、米問屋、米仲買が集まる金融の中心地でした。明治27年に初代の取引所が建ち、昭和10年に2代目の建物(写真)が建てられました。株式のことは、よくわからないので次に行きましょう。

大証から土佐堀通りをはさんで見えるのが、現在「北浜レトロビルヂング」という名で呼ばれている、旧桂隆産業ビルです。これは、明治45年に建てられたもので、いまでも「北浜レトロ」という名の純英国式ティサロンとして営業しています。ポットの看板?がお洒落です。

(両側のビルが背が高くて現在的なので、華麗な洋館のイメージです。)

堺筋は、かつては大阪のメインストリートでした。市電も走っていました。(今も地下鉄が走ってますが。)
堺筋を少し南に行くと、右手「新井ビル」が見えてきます。このビルは旧報徳銀行大阪支店として、大正11年に建てられました。

(クラシカルなビルヂングです。大正時代の雰囲気がただようイメージです。)
ここも、洋菓子の五感GOKANのお店として営業しています。2階がケーキサロンになっていて、大正ロマンを感じられるそうです。
その向かいにあるのが、「旧三井銀行大阪支店」です。新古典主義っていうらしいです。昭和11年の建物です。
現在は、三井住友銀行の大阪中央支店として営業しています。

(頑丈そうな、いかにも銀行というイメージです。)
その向かいにあるのが、「高麗橋野村ビルヂング」昭和12年の建物。1階はサンマルクカフェとして営業中。

(なかなか渋い、昔の百貨店というイメージです。)
堺筋をもう少し南に行くと、右手に見えてくるのが「生駒ビルヂング」です。昭和5年の建物です。時計台もあります。(そうなんです。生駒時計店の建物です。)

(アールデコ調の堺筋のシンボル的なイメージです。)

堺筋を少し走っただけで、たくさんのクラシックビルと出会えました。少し通りを中に入ると、まだまだありますが、このあたりで終了とします。
それにしても、大阪は大空襲で焼け野原になったのですが、これらのビルは戦争の生き証人といえるんでしょう。

河童橋を独り占めするには(去年の話ですが…)

2015-04-19 20:09:43 | 山歩き
静寂の上高地を訪ねるなら、4月のこの時期です。上高地開山祭までの1週間がねらい目です。
下の写真は、ちょうど昨年の今日(2014.4.19)に撮影したものです。上高地公園線が開通した日(要はバスが走り出す日)でした。例年、開山祭の1週間前ぐらいに開通しています。

(河童橋を独り占めです。静寂の上高地です。河童橋ごしに見る穂高の峰々も神々しく輝いていました。)

上高地公園線は1年中マイカー禁止なので、この時期といえども沢渡からバスに乗らなくてはなりません。乗るなら始発が望ましいですね。(6時前ですが…。)
沢渡を出たバスは、国道158号線を通って、釜トンネルに入ります。昔は片側通行でしたが、2005年に2車線のトンネルに生まれ変わりました。
トンネルを抜けると、間もなく左手に焼岳が見えてきます。そして、いくつかカーブを曲がったその時、目の前に穂高の峰々が姿を現します。この景色が見たくて、何回ここを通ったことでしょう。
できれば大正池でバスを降りて、大正池をバックにした穂高を眺めるのが一番のおすすめです。こんな風景が待っています。

(大正池に映った穂高岳が最高です。 2014.4.19)






大阪の凸凹地形をぶらり その2

2015-04-18 18:06:08 | 大阪の凸凹をぶらり
長堀通りの南側に、松屋町筋(まっちゃまちすじ)から、谷町6を通って、上町筋まで続く空堀(からほり)通り商店街があります。実は、その南側に空堀(水の張ってない堀)があったのです。
秀吉さんが大阪城を守るために築いた堀のうち、この周辺にあった南惣構堀(みなみそうがまえぼり)は、水を入れない空の堀なので、空堀と言われるようになりました。
その後、大阪冬の陣のあと、講和の条件として埋められてしまったのですが、それでも凸凹は残ったのです。

(道路も微妙な凸凹を描いています。)

(上町筋から空堀通り商店街がはじまります。)

(商店街から南側を見ると、堀に向かって凹になっていました。)

(同じく、見事な凹です。)

(この道は「熊野古道」です。10メートルだけ空堀通りを通ります。)

ところで、空堀通りも傾斜しているのです。なぜなら、松屋町筋から上町筋へは、ちょうど上町台地を上るかたちになるのです。(上町筋のあたりが、山でいうところの、頂上稜線みたいなものです。)

(松屋町筋側から見た商店街です。上っています。)

(上りでは、自転車を押して歩いていました。下りはスイスイでした。)
少し足をのばせば、まだまだ凸凹地形に出会えます。谷町筋を歩いていると、西側が急に低くなっているのが実感できます。

(谷町8丁目あたりから西を見ています。底が見えません。)

(谷町6丁目の観音坂です。)

(長堀通りから見上げる榎木大明神)

最後に、「高津原橋」の話で締めくくりましょう。この橋は、横断陸橋ではありません。もともとは両側はつながっていましたが、市電を通すために、開削して道路(長堀通り)にしたようです。つまり凸を削って凹にしたということですね。

大阪の凸凹地形をぶらり その1

2015-04-17 15:57:26 | 大阪の凸凹をぶらり
大阪市内には、けっこう凸凹地形があるんです。大阪で凸凹地形といえば、上町台地ですよね。台地といっても、山あり谷ありの地形です。今回は、そんな凸凹を訪ねました。
まずは、JR玉造駅から始めましょう。駅から少し歩くと、三光神社(さんこうじんじゃ)です。えっ、「知らない」って?実はこの神社、来年には有名になるんですよ。というのも、来年のNKH大河ドラマ『真田丸』で登場する真田幸村さんが、冬の陣で、徳川方をさんざんに苦しめたところが、「真田丸」なのです。(砦というか出城というか、大阪城からは少し離れたところにあります。)

(正面からの三光神社。階段を上っていきます。)

(真田の抜け道というのもありました。)

(東側からみた三光神社。段差がわかりますか。砦の東の端だったようです。)
三光神社から、もう少し西に行くと、善福寺があり、その左側が坂(心眼寺坂)になっています。

(善福寺は、どんどろ大師として有名。門前には。)

(歌舞伎「傾城阿波の鳴門」で有名な、お弓 おつるの「ととさまの名は…」)

(けっこう上っています。右側のフェンスが明星高校のグランドです。)
坂の途中に、心眼寺があります。「真田幸村出丸城跡」の碑が建っています。三光神社からこのあたりにかけてが、「真田丸」のあったところと考えらています。

(境内には、幸村さんのお墓もありました?)
幸村さんは、夏の陣で四天王寺近くの安井神社で討ち死にするのですが、遺骨を納めたお墓は存在しないようです。かわりに、供養墓や供養塔が全国各地にあるそうです。
次の目的地に向かって、上町台地のてっぺんに向けて、長堀通りを上っていきます。

(上本町筋から長堀通りを東に眺めると、長い下り坂になっています。)
今回は、ここまでです。凸凹地形というよりは、「真田丸」の話になってしまいましたが、少しは凸凹を感じてもらえましたか。
次回は、「空堀」あたりの凸凹です。