はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

大阪城の石垣の謎

2015-05-18 20:49:23 | 大阪のまちをぶらり
先日、テレビでおもしろい番組がありました。BSプレミアム「風雲!大実験ー大阪城の巨大石垣を築けー」という番組です。(再放送でしたが。)
大阪城の石垣が、小豆島で切り出され、運ばれてきたという歴史をふまえ、400年前の方法で再現してみるという内容でした。それにプラスして、秀吉さんが、どうして天下人になれたのかというエピソードをまじえながらの番組だったので、なかなか見応えがありました。
それにしても、重機が無かった時代に、人力だけで、あんな巨岩を切り出したなんて…。(そういえば、古墳時代にも巨石を積み重ねていましたね。)
 (徳川の世になって作られた石垣)
ところで、いま私たちが見ている大阪城は、秀吉さんが築いた大坂城とは違うというのをご存知でしょうか。天守閣にしても、石垣も堀もすべて徳川幕府の時代になってリニューアル?されたものなんですよ。残念ながら、秀吉さんの大坂城は、「大坂夏の陣」(1615年)で焼け落ちました。そのあと、天下人となったのが徳川家康です。その息子の秀忠さんが「秀吉の城の二倍の城を造れ」と命じて作られたのが、現在の大阪城(天守は違いますが)や巨大石垣なんです。(1620年~1624年)まさに徳川政権の威信をかけて、各大名たちに築かせたものなのです。秀吉さんの大坂城の石垣は、切石を整然と積んだものではなく、自然石を積んだ「野面(のづら)積み」といわれるものでした。
そして、天守閣ですが、現在のものは3代目なのです。初代は、もちろん秀吉さんの黒い天守閣です。二代目は徳川の世になって築かれた天守閣です。しかし、この天守閣は竣工後40年目(1665年)に落雷で焼失してしまいました。その後、昭和の時代になるまで天守閣は建てられることはなかったのですよ。したがって、芭蕉さんも、天保年間の町人衆も、幕末の偉人たちも、明治の大阪人も天守閣のない大阪城を見ていたわけです。
それから、266年、やっと昭和6年に市民の寄付で現在の天守閣が生まれました。太平洋戦争の大阪大空襲にも耐えて現在に至っています。
 (青屋門から望む大阪城)
石垣に使われている、石の数は80万個といわれています。テレビの大実験では、2トンの石を切り出して、海辺まで運ぶのにかなりの日数がかかっていましたが、80万個とは気の遠くなる数ですね。城作りがいかに巨大プロジェクトだったのかがよくわかりました。それから、石垣の石は、すべて小豆島から運んだのではなく、岡山や京都の加茂や兵庫の六甲からも運ばれたそうです。
ということで、今の大阪城は、徳川幕府が作った石垣の上にあると言うことです。天守は秀吉さんの天守を真似ているらしいのですが?まあ、大阪城は、なんちゅうても大阪のシンボルですわ。


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