はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

古墳巡りはおもしろい(その2)

2015-12-10 22:23:51 | 古代史の舞台を歩く
今回(12月9日)は、古市古墳群を巡ります。(11月29日にも「雄略天皇陵古墳」と「津堂城山古墳」を訪れました)今回は、近鉄古市駅でレンタサイクルを借りて周辺の古墳を巡りました。

最初に訪れたのが、「日本武尊白鳥陵古墳」です。ヤマトタケルは古事記や日本書紀に登場するヒーローですが、最後は非業の死を遂げて、白鳥になって飛んでいきます。(伊吹山の頂上にも石像があります)
 (ヤマトタケル白鳥陵古墳)

大きな古墳です。これも大王の古墳と言ってもいいでしょう。ここが本当にヤマトタケルの古墳なのかは、これまで見てきたように確かなことはわかりません。
 (案内板の航空写真)

このあたりは、古代史の舞台と言える古墳や遺跡が多いところです。この写真を撮っている所も、竹之内街道という古い街道です。ここからは二上山もすごそこに見えます。
 (二上山がすぐそこに)


次に向かったのが、「墓山古墳」です。宮内庁が「応神天皇陵古墳」の陪塚として管理していますが、どう見ても大王級の古墳です。
 (墓山古墳)

この古墳も地図等で見ても大きな古墳です。これも大王級の古墳と考えてもいいのではないでしょうか。この古墳ですが、高槻市にある「現・継体天皇陵(太田茶臼山古墳)」や「現・允恭天皇陵(市野山古墳)」とほぼ同形、同大、同一築造企画で造られているそうです。ここにも何か古代史の謎(ロマン)を感じてしまいます。



そして、次に向かったのが古市古墳群の核心である「応神天皇陵古墳」(「誉田山古墳」あるいは、「誉田御廟山古墳」と呼ばれる)です。全国で第2位の大きさの前方後円墳です。(体積は日本1らしいです)
応神天皇は、仁徳天皇の父親ですから、親子で日本ワンツーの古墳ということですね。(ただし、埋葬者については確定しているわけではありませんので…)

「誉田山古墳」が「応神天皇」だとされている根拠が、誉田八幡宮の存在です。奈良時代の末頃に応神天皇を葬った御廟とする八幡信仰が生まれてからのことだといわれています。
 (誉田八幡宮境内)

江戸時代、古墳の後円部には石段があり、墳頂部には奥の院があったそうです。江戸時代の絵図には、石橋(方生橋)や石段が描かれています(江戸時代末期に取り払われたそうです)
 (方生橋)

それでは、「誉田山古墳(応神天皇陵古墳)」に行ってみましょう。

というところで、つづく。