太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

忖度仲間

2017-04-25 09:12:06 | 日記

此のところ モノ書きが立て込み少々疲れ気味だった。昨日は気晴らしに釣りに出掛けた。天気も良くほぼ1カ月振りである。現場に到着すると何時もの爺さん 元棟梁が既に竿を出している。私の何時もの指定席には若夫婦がアウトドアー用のディレクターズチェアに並んで腰かけ竿を出している。ちょっと挨拶すると1年振りにやって来たという。良いですね同じ趣味で天気も良いし、ここは時々大物が掛りますよと言うと、休みだし金も掛らないからと照れくさそうに答える。旦那さんの方は口髭を生やし ちょっと生意気そうだし、奥さんは子供っぽい顔つきに可也濃い目の化粧をしている。多分街のスーパーで出合ったら小生意気そうな夫婦きどりのヤツと思い声など掛ける気にはならない相手だ。粘っているとそのうち上げられないくらいの大物が掛りますよ、頑張ってと言って場を去ろうとすると、ありがとうございます、粘ってみます、と丁寧な受け答え。結構常識人だ。

棟梁の所に行き久し振りです、と声を掛けると俺も3週間くらい来て無かったよ。今日は風もないし来てみた。指定席が取られちゃったねえと言う。いえいえ早いモノ勝ちですからと言って少し離れた場所で竿を出す。30分ばかしアタリが来ない時棟梁が後にやって来て これ食うかいとバナナと飴玉2個を指しだす。丁度小腹が空いてきたのでありがとうございますと受け取る。この前(自衛隊が)くれるというのに魚を譲り合っていた時釣った魚をさっさと逃がしたろ。俺は皆が釣れないと悔しい思いをしている時に釣った魚を逃がす気が知れねえよ。釣れない人の気持ちが分からねえのかねえ。俺はあんたが貰って帰ればいいのにと思ったけどねえと言うので、いえいえこちらは魚も簡単に捌ける(棟梁)人が貰えば良いのにと思っていた隙に逃がしてしまったんですよと言う。

棟梁は、実はあんな大きな魚持って帰っても婆さんと二人で食べきれんねえよ。息子も孫もスーパーで買った魚は食うのに 俺が釣って帰った魚は食わねえんだ。3枚におろして冷蔵庫で一晩寝かせたものを刺身にすると本当に上手いだがねえ。分からないのかねん奴らには。それはきっと釣った魚は拾ってきたくらいにしか思っていないのでしょうねえ。最近は養殖など 何を食べているか分からない魚が結構スーパーに並んでいるのにねえと私。取りとめの無い会話が続く。

そこへ自転車に乗った件の自衛隊がやって来た。暫くだねえ、ちょっと見ない間に顔が白くなったんじゃあねえの、駄目だよ不健康で、と軽口を飛ばして来た。爺さんと私が互いを忖度し魚を譲り合って居た間にさっさと釣った魚を放してしまい、ちょっと気不味い雰囲気が流れた前回は忘れた(はずは無いと思うが)かのようである。自分も竿を出し、3人がそれぞれ持ち場に戻る。その内爺さんが自衛隊に、この前のあんたが釣った魚貰ってかえれば良かったのにねえと多分私の事を言う声が聞こえる。先ほどは、自分は食べないからと言って周りが釣れねえ時に逃がす釣り人の気が知れねえや、とちょっと不満げだったのに、多分精一杯場を戻そうと85歳の気遣いだろう。

もし、今日爺さんも私も釣れずにこの前のように自衛隊が釣り上げるような事があったら、喜んで貰い受けようと思っていた。多分爺さんも同じ気持ちだろうから今日は取りあいになるだろうと思っていた。そのうち哲学者と(私が心で勝手に名付けている)がやって来てフルメンバーが揃った。夕方になったので帰り支度をしていると、自衛隊が、あれっこれからなのにと声を掛けてくる。若夫婦も帰ってしまった。自衛隊は、指定席が折角空いたのに場所が違ったので落ち付かなかったろう、だから釣れなかったんだよと精一杯場を和やかにしようとする。

現役の頃は相手がやること、する事に対して心の内を想像し、忖度し、場合によっては裏を読みという気遣いが常であった。リタイアしてから最も自由に感じたのはこの気遣いからの解放である。マイペースで考え行動し、相手との会話はロボット同士のように無機質なものでやり過ごせる。これは辞めて初めて気付いた自由であった。しかし、小さな緩やかなコミュニティーでも出来あがるとそうは行かないと釣り場が教えてくれた。多分自分は堅固なコミュニティーを望んでいない。最大の要因は何れ別れが来て寂しい思いをしたりさせられたりすることが分かっているから。

 

 


陰日向に育つ

2017-04-24 08:03:13 | 日記

鳩山元総理がソーラーシェアリング(田や畑にソーラーを覆いのように設置し隙間の光は取り入れる土地の利用法)で「作物や良く育つ」と言った事がネットで叩かれているようである。「珍説だとか」「光合成を知らないのか」「農業を知らない輩の妄言」「思いつきでモノを言う薄っぺらさは相変わらず」などと批判や異論が殺到しているとのこと。

私が勤めていたところは敷地が8,000坪くらいあり、そのうち1,000坪くらいの範囲の地上に傾斜架台のソーラーパネルを設置していた。30年くらいそのパネルを見て来たが不思議なことがあった。敷地は基本芝で覆っていたが、パネル下部の陰の部分の雑草だけが異常に成長が速かく密集もしていた。光が当たらないのに不思議だと思った。多分陰の部分は温度も低く、パネルによって水蒸気が蒸発し難く、他の場所より乾燥してないからだろうと農業を知らない私は考えた。

我が屋の狭い庭で野菜を何年か育てているが、隣家の日影になる場所はやはり育ちが悪い。光合成は正直だと思っていた。ところが、鳩山氏のニュースを見て、ちょっとネットで調べて見ると「日当たりを好むもの」ゴーヤ、トマト、キュウリなど、「日当たり悪くても耐えるもの」ネギ、サトイモ、レタスなど、「日当たりが悪いのを好むもの」セリ、ミョウガ、三つ葉など、とある。ウドは光不要。

私の失敗は建屋の日影があり、日当たりの悪い部分でゴーヤ、トマト、キュウリを育てようとしたことである。全ての植物が光を好むとは限らない。光合成オールマイティと思う事こそ農業を知らない輩が思う事でしょう。正確にはソーラーシェアリングで日当たりが悪くても育つ作物はある、場合によっては当たらない方が良い場合も、何を育てるかはプロの農家の意見を聞き、教科書で習ったことをそのままネットに意見として言うのは早計かと。

それでも勤務地のアレイフィールドでの雑草の育ち方で湿度が溜まる説(持論)はまだ解明されていない。農業用ため池に水上設置すると池の水の蒸発が防げると長い間言っていたが日本のように雨が多いとあまり魅力にはならなかったようだ。しかし、インドで乾燥地の運河の上をソーラーパネルで覆い蒸発を抑えるというコンセプトで設置されるものが出て来た時は驚いた。中国西部の天山山脈の雪解け水をカレーズという地下水道で麓の乾燥地帯に運ぶのに似ている。

住宅の屋根に設置するソーラーも当初は工事のせいで雨漏りがしたとか屋根材が割られたという話は良く有った。日影になることで下部の屋根材の寿命が延びるのではないかと思っていたが住宅メーカーは検証してくれない、逆に屋根補修の邪魔と言う時代であった。経験的に屋根付きガレージと日ざらし雨ざらしのガレージでは車の塗装の持ちや錆びの出具合が大きく違うことは分かっていたのだが。

無いごとも良く考えてモノを言わないと後で恥を書く事は間々ある。


太陽光ファンド不正節税

2017-04-22 09:35:54 | 日記

という大見出しで新聞1面に掲載された。多分読者は「何か太陽光発電がまた悪い事をしたな、やっぱり太陽光発電はよくない」というイメージ操作では大成功であろう。多少太陽光に関わった者(節税者ではないよ)として記事を読んだが、多分一般読者には良く分からないだろう。簡単に言うとこうだろう。

太陽光発電事業を目的としたSPC(特別目的会社)を設立する(今回は超大手が絡んだようだが)。SPCは出資者を募って事業を行う。当然目的は出資者への売電収入の分配であろう。出資者は利益が得られる(高値買い取りと批判が耐えないけど)から出資する。当然そこには応分に事業税の負担も含まれるだろう。ここまでは普通の事業である。ここで設備の特別償却制度(確か最後は1年で全額償却可能だったように思うが)を使って一気に減価償却を行う。SPCは減価償却分を出資者に割り当てる。設備の減価償却は企業では損失として計上されるから利益が圧縮され節税となる。ここまでもまだ不正らしきものは無い。

問題は特別減価償却の条件が設備取得と事業開始とある。SPCにとっては多分設置工事が終わり、電力会社との接続契約が完了した時点(あるいは実際に運転開始時点か)が事業開始なのだろう。工場がグリーン設備を購入して、倉庫に置いたままでは無く、実際にラインで稼働しなければならないのかも知れない。この事業開始が為されていないのにやったという不正だ。

出資者は被害者のようなコメントを出しているが、大手がSPCに関与しているから安心、売電収入も確実に得られるであろうとの思いで出資したのだろう。果たして株主責任のようなものは無く、詐欺的に騙されたと言えるのだろうか。将来売電収入で稼ぐんだから、もっとSPCを見張れとも言いたくなる。

この特別償却制度は多くの事業が対象となったと思うし、企業にとって魅力的であったために工場に太陽光を設置しようとしたものが沢山いた。その意味で太陽光の普及に相当貢献したと思うが。太陽光以外の事業では全て不正もなく真っ当な制度利用が為されているのに太陽光ファンド、なんて事をしてくれたんだ。一度新聞に載ると、訂正や言い訳は二度と載せてくれないと思え。もう太陽光発電事業そのものが悪の巣窟、不正の温床と思われて仕方がないではないか。まじめに売電収入による事業税や固定資産税をコツコツ納めているSPCもあるだろう。今回のSPCに関与した、出資者の安心をかった会社は何処かできっちりお詫びをするか、見解を述べるかして欲しいものだ。

それにしても我が家が購読している大手新聞は本当に太陽光が嫌いで原発が好きだ。もっとも分かっているのに数年前、正反対の新聞から切り替えた。全ての事象で反対の立場も理解しないと贔屓の引き倒しになって本当のことが見えなくなる恐れがあったのも事実だが。


TVコマーシャルにも似て

2017-04-22 09:35:54 | 日記

知り合いが長期加療入院することになった。歳が行って業界活動を通じて知り合ったが私より3、4歳年下だと思う。病名までは知らないが難病の一つのようである。それでも最近では医療技術が進歩し、寛解までは相当の確率で行けるようになったと聞く。互いがライバル会社の出身であり、働いて来たフィールドが違う事から最初は何だコイツはと思っていた。多分相手もそうだったろう。しかし、何年か付き合うと違いを理解した上で相手を認めるようになった。

山田孝之演じる缶コーヒーのCMでネット上でも大変高い評価を受けているシリーズものがある。最近では公園のベンチに座った営業のサラリーマンとトビ職の二人がコーヒーを飲みながらお互いの事を想像する。最初は互いの相手の仕事は楽でいいなあと思う。そのうち自分が相手の仕事をやった姿を想像する。そして自分にはとても出来ないことに気付く。「お疲れ、誰だか知らないけど」と字幕が流れる、END。とてもこれに良く似た関係である。相手は営業畑で私は技術の出であった。最初はそれなりの自負もあり、意見は中々合わなかった。そのうちに互いにどうしてそう考えるのだという相手の立場になって考えられるようになった。そうなると結構着地点が見つかる。

全く同じフィールドで過ごした者同士は互いをライバル視するか、あっさり上下の決着がつくかどちらかである。ところがフィールドが違うと全く別の着地点が見つかる。異業種融合である。これは歳が行かないと中々経験できないことである。大分麦焼酎二階堂のシリーズCMが時々素晴らしいものを見せてくれることは以前ブログに書いた。この缶コーヒーCMもしかりである。大勢の人が訳の分からない集団ダンスをやたら踊りまくる流行りのCMと大違いである。インド映画には勝てないのに真似している作家のオツムは知れたものであるが、この2本のシリーズCMは人生のちょっとした隙間に深く入り込んで来る。

きっと彼は良くなって再び異業種バトルを繰り広げて来ると思うし、願う。


ニュースになる国ならない国

2017-04-21 07:28:01 | 社会観察

世界には地味な国がある。地図上では確かに昔からあるが、殆ど世界的なニュースは報じられない。一体どのような暮らしぶりなのか。幸せなのか不幸なのか。都道府県にも同じようなところがある。全国ニュースで扱われることが殆ど無い県だ。下手したら忘れられてしまう。

忘れられるような存在、ズバリそれらは幸せな所である。ニュースで扱うのは大事件や事故災害、政治の混乱、政務活動費の濫用、テロ、核開発(開発しても良い国があるから難しいが)、政治家のスキャンダル等普段あってはならない異常事態を報じる。昔から良く言われる、犬が人を噛んだのは記事にならないが、人が犬を噛めば記事になるなど異常なことを扱う。従って異常な事が起こっていないからニュースにならない、平穏無事な日常と言う事ができる。

世界的には最近アフリカ、南米のニュースは少ない。秋田や山形、岐阜、石川、福井、島根、岡山みんな平和に暮らしているのだろう。大手新聞も一画に善意の塊のようなニュースばかり扱うコーナーを設けたらどうだろう。ああ、こんなに素晴らしい人も居るんだ、それに比べて俺は何と穢れた心を持っているんだろうと反省する人も出て来るかも知れない。ライバル紙が悪意に満ちた事件や不幸ばかり集めたコーナーを設けたらどうだろう。俺はまだましだ、とか俺より悲惨なやつも居ると安心するだろう。どちらが良く読まれるか、後者に決まっている。

ところでフィリピンのドゥテルテ大統領は今どうしているのだろう。いつになったらトランプさんは今何をしているのだろう、金正恩委員長はどうしてると思いだす日が来るのだろう。来ないかも知れない。