此のところ モノ書きが立て込み少々疲れ気味だった。昨日は気晴らしに釣りに出掛けた。天気も良くほぼ1カ月振りである。現場に到着すると何時もの爺さん 元棟梁が既に竿を出している。私の何時もの指定席には若夫婦がアウトドアー用のディレクターズチェアに並んで腰かけ竿を出している。ちょっと挨拶すると1年振りにやって来たという。良いですね同じ趣味で天気も良いし、ここは時々大物が掛りますよと言うと、休みだし金も掛らないからと照れくさそうに答える。旦那さんの方は口髭を生やし ちょっと生意気そうだし、奥さんは子供っぽい顔つきに可也濃い目の化粧をしている。多分街のスーパーで出合ったら小生意気そうな夫婦きどりのヤツと思い声など掛ける気にはならない相手だ。粘っているとそのうち上げられないくらいの大物が掛りますよ、頑張ってと言って場を去ろうとすると、ありがとうございます、粘ってみます、と丁寧な受け答え。結構常識人だ。
棟梁の所に行き久し振りです、と声を掛けると俺も3週間くらい来て無かったよ。今日は風もないし来てみた。指定席が取られちゃったねえと言う。いえいえ早いモノ勝ちですからと言って少し離れた場所で竿を出す。30分ばかしアタリが来ない時棟梁が後にやって来て これ食うかいとバナナと飴玉2個を指しだす。丁度小腹が空いてきたのでありがとうございますと受け取る。この前(自衛隊が)くれるというのに魚を譲り合っていた時釣った魚をさっさと逃がしたろ。俺は皆が釣れないと悔しい思いをしている時に釣った魚を逃がす気が知れねえよ。釣れない人の気持ちが分からねえのかねえ。俺はあんたが貰って帰ればいいのにと思ったけどねえと言うので、いえいえこちらは魚も簡単に捌ける(棟梁)人が貰えば良いのにと思っていた隙に逃がしてしまったんですよと言う。
棟梁は、実はあんな大きな魚持って帰っても婆さんと二人で食べきれんねえよ。息子も孫もスーパーで買った魚は食うのに 俺が釣って帰った魚は食わねえんだ。3枚におろして冷蔵庫で一晩寝かせたものを刺身にすると本当に上手いだがねえ。分からないのかねん奴らには。それはきっと釣った魚は拾ってきたくらいにしか思っていないのでしょうねえ。最近は養殖など 何を食べているか分からない魚が結構スーパーに並んでいるのにねえと私。取りとめの無い会話が続く。
そこへ自転車に乗った件の自衛隊がやって来た。暫くだねえ、ちょっと見ない間に顔が白くなったんじゃあねえの、駄目だよ不健康で、と軽口を飛ばして来た。爺さんと私が互いを忖度し魚を譲り合って居た間にさっさと釣った魚を放してしまい、ちょっと気不味い雰囲気が流れた前回は忘れた(はずは無いと思うが)かのようである。自分も竿を出し、3人がそれぞれ持ち場に戻る。その内爺さんが自衛隊に、この前のあんたが釣った魚貰ってかえれば良かったのにねえと多分私の事を言う声が聞こえる。先ほどは、自分は食べないからと言って周りが釣れねえ時に逃がす釣り人の気が知れねえや、とちょっと不満げだったのに、多分精一杯場を戻そうと85歳の気遣いだろう。
もし、今日爺さんも私も釣れずにこの前のように自衛隊が釣り上げるような事があったら、喜んで貰い受けようと思っていた。多分爺さんも同じ気持ちだろうから今日は取りあいになるだろうと思っていた。そのうち哲学者と(私が心で勝手に名付けている)がやって来てフルメンバーが揃った。夕方になったので帰り支度をしていると、自衛隊が、あれっこれからなのにと声を掛けてくる。若夫婦も帰ってしまった。自衛隊は、指定席が折角空いたのに場所が違ったので落ち付かなかったろう、だから釣れなかったんだよと精一杯場を和やかにしようとする。
現役の頃は相手がやること、する事に対して心の内を想像し、忖度し、場合によっては裏を読みという気遣いが常であった。リタイアしてから最も自由に感じたのはこの気遣いからの解放である。マイペースで考え行動し、相手との会話はロボット同士のように無機質なものでやり過ごせる。これは辞めて初めて気付いた自由であった。しかし、小さな緩やかなコミュニティーでも出来あがるとそうは行かないと釣り場が教えてくれた。多分自分は堅固なコミュニティーを望んでいない。最大の要因は何れ別れが来て寂しい思いをしたりさせられたりすることが分かっているから。