秋の長雨である。10何年前だろうか。関東地方で9月だか10月にとんでもなく長く曇りや雨が続いた時がある。日照は月に10時間あるかないかだったと記憶している。多分太陽電池を設置している家庭では今月は発電量が少ない、何か故障でもと思うのではないか、相談窓口対応が忙しくなるだろうと思っていた。
秋雨前線の停滞で今日も雨である。もしこの雨が永遠に続いたらその下に人は住めるだろうかとか、もし永遠に晴れが続く場合とどちらに住むだろうかとかあり得ない想像を巡らしている。近所が静かだと思ったら雨のせいではなく、今日は秋分の日で世の中お休みである。祝日の経緯については「祖先を敬い、なくなった人々をしのぶ日」となっている。つい先日 敬れもしなかった敬老の日を過ごしたが今日はもう亡くなってしまっているのか。「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」と言えるほど道は聞き知ってはいない、「朝に紅顔ありて夕べに白骨となる」と思えるほど無常を悟ってはいない。
ついこの前までは考えられなかったが、一日中殆ど家の中で過ごす日が増えてきた。雨の日はなおさらである。まずブログを開く。今日は’15/8・16「爽やかな夢」のつづきを見るとしたら、
(1)・・・・秋は思いのほか早くやってきた。この夏アクセサリーの展示イベントを催した砂浜にはもう誰も居ない。忘れられた白いデッキチェアが一つ残され、ひんやりとした風が薄い砂を積もらせている。車を止めて眺める砂浜は、喧騒で華やいだ夏の景色は遠い夢である。一息ついて車に戻ろうとした時、「主任さ-ん」と遠くから声が聞こえる。誰もいないと思った砂浜の遠くから手を振りながら近づいてくる人影がある。「やっぱりそうだった、声をあげてから人違いだったらどうしようと心配したのよ。」と明るい声が弾んでいる。「お休みの日なのにこんな寂しい所に一人でドライブですか?」と親しげに聞いてきた。顔に見覚えがない。黄色のワンピースから覘いた手や足は小麦色に日焼けしたままである。
主任と呼ばれるから会社の人間だとは思ったが咄嗟に名前が出て来ない。一瞬のたじろぎを逃さず「この夏ここでイベントをした時スタッフで来ていた営業三課の三原ですよ、三原ひとみ。一生懸命働いていたのに覚えていないなんて冷たいんですねえ。」そう言えば何名かの女性スタッフも応援に来ていた。
「いやいや慣れないイベントを任されたので予定通りに進めることで頭が一杯でスタッフの面倒はあまり見れなかったから申し訳ない。」
「冗談ですよ、実は私の実家がすぐこの近くで、応援を募集していたので直ぐ手を挙げたんです。でも最後の三日目の夜はスタッフの女子会に私の実家に来て貰って打ち上げパーティをしたんですよ。よその部署の知らない人と大勢知り合いになれて楽しかったわ。ほら主任が海岸で会った人達も打ち上げには参加したんですよ。主任もお呼びすれば良かったわ。」
「いやいや若い女の人達に囲まれてパーティとなるとイベント以上に疲れてしまから。」
「でも女子会で 主任がテキパキと指示を出してイベントを取り仕切る姿、皆格好いいといってましたよ。」とお世辞だか何だか分からないことを早口で喋った後、「もう帰らなくちゃ、ちょっと海岸に散歩に出ると言ってきたものだから遅くなると心配するわ。」
黄色いワンピースは海岸の松林の間の小経を足早に消えて行った。下草の小さな竹の葉は後を追うように風で波打った。
さてこの話、爽やかにかドロドロにか、続けられるかどうか・・・・。
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