太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

ひたすらに待つ

2021-03-06 08:09:20 | 日記
 何年か前にもう枯れてもいいやと思い太い幹もバッサリ切り落とした庭の花梅。しかし今年も
幹の先に僅かに髭のように残った小枝にピンクの花が咲いた。そこにヒヨドリがやってきて蜜を吸っている。2羽だからつがいだろうか。そう言えば何日か前から近くの電線に2羽で止まっているのを見掛けた。この花が咲くのを待っていたのだろうか。緊急事態宣言も2週間延長された。暫くは大人しくひたすら収束を待つしかない。
 そういえば最近何かを待っているような気がしてならない。具体的に大それた夢や希望がある訳ではない。多分それがやってきてもこれを待っていたのだとは気づかないだろう。一体何を、それが分らないから悩ましい。
菅さんは何を待っているだろう。国会質疑を見ていると安倍さんの時は何であんなに自信有り気に答えるのだろうと思っていいたが菅さんの場合は何でそんなに自信無さげにと思ってしまう。決して雄弁である必要はない。口数は少なかったがそれなりに貫録を感じた大平正芳さんの例もある。多分冷酷と思われるのが嫌でそれを繕うために中途半端になっているのではないだろうか。特に語尾が不明瞭な場合多い。何かを伝える時これは致命的である。衆議院はこの10月に任期満了となり総選挙となる。目玉政策だった携帯電話料金値下げも総務省の接待疑惑でケチがつき、一大イベントだったオリンピック開催の雲行きが怪しい。どのような選択をしてもこれで良かったと納得する開催にはならないだろう。コロナ対策では国民の信頼を得ていない。かといって人気取りのような政策も見当たらない。国会質疑での覇気の無さをみていると次期総裁選には出ないのではないだろうかさえ思う。自分の役割は安倍さんのリリーフとして無事政権を繋ぐことだけが目標だったのではないだろうか。いや自分らしさを発揮して脱安倍を図ろうとしたがうまく行っていないというのが実情だろう。しかし花梅のように枯れるかも知れないと思ったところに小枝に花が咲く。誰かがそれを待っているかも知れない。菅さんは同年代である。何かを待っているのだろうが小枝が元の幹の太さになるにはひたすら待つしかない。時間との競争である。