これはアカデミズムの画家が描いた聖セシリアの絵ですが、横顔を見せているこちら側の天使の顔は、わたしに似ています。もう少し大人っぽく男っぽくすると、もっとわたしに近くなります。
試練の天使が探してくれたのです。彼は天使の実際の姿というものをあなたがたに教えたいらしく、実在の天使に似た絵を探しているのです。
サビクやわたしはこのように見つかりましたが、アルギエバやレグルスは難しいでしょうね。彼らも非常に美しいが、彼らに似た顔を人類の芸術の中に見つけるのは難しい。わたしたちは非常に個性的な姿をしています。ときに人類としては考えられない顔をしているものもいるのです。
彼試練の天使も自分の顔を描いていますが、あれはあまり似ていませんよ。実際の彼はもっと美しく、女性的です。本当なのですよ。あなたがたには自分をきつい感じに見せていますが、彼は本当はもっとやさしい方なのです。それは顔を見ればわかります。
本来、自己存在の顔というものは、そのものの本質をそのまま表すものです。わたしたちの顔が整っているのは、霊魂としてだいぶ進化し、内部が整ってきているからです。ですがあなたがたはまだ若い。粗さやゆがみが相当にある。ですからときにゆがんだり醜くなってしまったりするのも仕方ないことなのです。
しかし心も変わっていくように、顔も変わっていきます。いつまでも同じ顔ではありません。肉体を持っているときでも、内部の心が変われば、顔も変わってきます。
今の自分が醜く見えるからと言って、たやすく人から美しい顔を盗んだりしてはいけませんよ。そんなことをしたって苦しいだけだ。どんな顔でも、自分の本当の顔が一番いいのです。顔を見れば自分というものがわかるからです。
顔というものについて、もっと真剣に考えてみましょう。








