今日は3月11日、東日本大震災の発生から11年目の節目を迎えました。自身が体験した未曾有の災害の記憶も、毎年このブログに書き残すことで記憶に留めることができていると感じるくらいに遠いものとなりつつあることに気づきます。
そんな中でも、未だに記憶に残っている映像があります。それが、
降りしきる雪の中、無惨な津波の瓦礫の上に祈りを捧げてまわる僧侶の姿です。
この方は、盛岡市にある石雲禅寺で当時副住職を務めておられた小原宗鑑師です。この一心に祈りを捧げる様子は11年前に報道されて多くの感動を呼びましたので、覚えていらっしゃる方も多いかと思います。
宗鑑師は被災地行脚を敢行するにあたって、当時の住職から
「何もできないことを学んで来なさい。」
と言われて送り出されたのだそうです。そして
来る日も来る日も瓦礫の山に頭を垂れ、
木杭のみが建てられた犠牲者の墓標に供養の祈りを捧げて回られました。
母の郷里である福島県や、父が入院していた茨城県に行くこともできなかった私は、直向きに祈りを捧げて回られている宗鑑師の姿にふれて、その有り難さに涙が止まりませんでした。
「何もできないことを学んで来なさい。」
と送り出されたといいますが、ただひたすらに祈ってくださる姿に、私はどれ程感謝したことか…。
今日はこの小原宗鑑師の雪中行脚の写真を小学校支援級の朝の会で紹介して、震災や津波の恐ろしさや防災の大切さを子どもたちに伝えました。子どもたちからは
「何で雪が降ってるのに裸足なの?」
「コート着ればいいのに。」
「頭下げてるだけならお掃除(瓦礫撤去)すればいいのに。」
といった的外れな意見が噴出しましたが、彼らにこの写真の真意が伝わるようになるのは、まだまだ先のことでしょう。
想像もつかない困難に遭遇した時、人間は非力です。それでも、こうして祈ることを無意味と切り捨てることなく生きていけるようにしたいものだと、改めて思ったのでありました。
ここに謹んで、東日本大震災の全ての犠牲者の御霊安かれと祈ります。
合掌