OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

「あこがれ」

2008年06月30日 | 硫黄島・小笠原村
「あこがれ」の父島入港と同じタイミングになりました。

PAPAYA号での、半日ツアーに参加していました。おが丸の出航に間に合うように
正午頃に戻る、ドルフィン・スイム、南島上陸見学、兄島海中公園(船長曰く
「竜宮城だと思った。)をまわれるコスト・パフォーマンスの高いツアーです。
http://cgi.members.interq.or.jp/blue/papaya/schedule/sche6.cgi

私は二年続けての参加でしたが、初めての船での硫黄等墓参訪島参加で父島も
初めての同行者が一緒でした。「南島も、兄島の海も見た方がいい。」と
半日ツアーに参加しました。

南島を見終わって、兄島に向かってPAPAYA号が北上している時でした。

同行者:「何か、見えませんか?棒みたいなのが。」
私  :「何か、棒みたいなのが、見えるみたいですね。」
同行者:「あれ、何ですかね?」
私  :「棒みたいなの、分かりませんね。何ですかね?」
同行者:「きっと、灯台みたいなのが沖にあるんですかね。そういうものですね。」
私  :「おそらく、灯台みたいなのでしょう。きっと。」

その時、心の中で 私 :「二見港沖合いに、灯台みたいなのなんか無いし、あんな、棒みたいな灯台みたいなものがあるはずがない。視力が悪くて、見えるか見えないかなので、あれが何かなんて、どうでもいいのだが。おそらく、海底油田調査掘削設備のようなものの、ごくごく小さな物。何か、調査でもしているモノだろう、、。どうでもいいが。」

そうこうするうちに、うっすらと遠くに一本の縦棒のように見えていたものが、
様子が変わってきて、横幅が出てきました。見える向きが変わったためです。

同行者:「違いますね。あれ。棒が一本ではないみたいです。」
私  :「見え方が変わったね。棒ではないみたいですね。」

PAPAYA号は、速いので、どんどん物体に近づき、対象が、ますますはkkりと見えるようになってきました。

同行者:「帆船のマスト。あれ船ですよ。」
私  :「マストみたいに見えますね。」

その時には、PAPAYA号船長から、「本日、入港する 帆船 あこがれが前方に見えています。」とアナウンスがありました。

写真は兄島から戻り湾内に入ったPAPAYA号から撮影した、到着直後の「あこがれ」


風をうまく制御して進む帆船の仕組みと、
小笠原丸船内ツアーの解説で聞いた、「スクリュー反転しません。」
という話とに、共通点を感じます。
風上に向かってでさえ前進できる風の制御の仕方と、
反転なしで細かい操船ができる小笠原丸。

「エンジョイ!島ライフ」の日記でも、「あこがれ」の入港から
大阪南港に帰るまでを
取り上げて報じてくれていました。

帆船、ヨット、ウィンドサーフィンなど、帆で風を扱う操船、スポーツに
は無縁ですが、私たちがいた日に、父島に来たということで、
親近感がわきました。

「あこがれ」という名前にも、ちょうど、私たちが故郷の島を訪問して
いたこととの因縁めいたものを感じました。

豊かだった島に、もう一度、住みたいという、戦前に住んでいた人。
祖父母や母が暮らした島を、もっともっと訪問したいと思う私たち。
激烈を極めた玉砕戦で命を落とした人たちの遺族の
何度も、近くで慰霊墓参をしたいという思い。

皆の硫黄島への あこがれ が、早く実を結べば良いなと思いながら、
きれいな帆船を、おが丸に乗り込む直前にも、眺めました。
コメント
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