OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

2015年小笠原村硫黄島慰霊墓参(14)父島の宮之浜でのシュノーケリング(3)

2015年06月30日 | 硫黄島・小笠原村
父島の宮之浜でシュノーケリングで撮った写真の3枚目です。 パンを持って行って、ちぎって撒いて魚を集めました。
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2015年小笠原村硫黄島慰霊墓参(13)父島の宮之浜でのシュノーケリング(2)

2015年06月29日 | 硫黄島・小笠原村
父島の宮之浜でのシュノーケリングの写真の紹介の2枚目です。
今回は、父島に到着した日(硫黄島に向けて出発する日)の自由時間にも、この宮之浜で泳ぎました。その時に魚がいるのは見えましたが、シュノーケリングの道具がなかったために、水中メガネをつけて息が続く限り海中を見るにとどまりました。(水恐怖症で子供の頃からまったく泳げないままの私は、浮力のあるベストもないので、浮き輪で浮きながらでした。)
この写真を撮った硫黄島から着いて父島から帰る日の午前中半日の自由時間の時には、シュノーケリングの道具を買って浮き輪で浮きながらの海中観察でした。シュノーケリングは例年やっているので慣れているので、怖くなったりはもうしません。ゴーグル越しに海を見ながら魚がいそうな方に向けて、防水仕様のカメラで写真を撮っていたのですが、ファインダーが見えるわけでもないので、でたらめに写しまくった写真の中から、選びました。
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2015年小笠原村硫黄島慰霊墓参(12)父島の宮之浜でのシュノーケリング(1)

2015年06月28日 | 硫黄島・小笠原村
今年の訪問での硫黄島での写真を時系列で紹介する前に、もう少し、別の写真を紹介します。今回で、小笠原丸で父島経由で硫黄島への慰霊墓参は、12年連続の13回目でした。これまでは、ずっと、父島での時間は、行きか帰りのどちらかには、船での南島上陸、ドルフィンスイム、兄島海中公園でのシュノーケリングというツアーに申し込んでいましたが、今年は、初めてそういうツアーには申し込まずに、自分たちだけで島内を車でめぐるということにしました。
昨年とかも行ったことはあったのが、父島の宮之浜でしたが、今回は初めて、この浜でシュノーケリングをしました。向かいに見える兄島に近い側が船のツアーで行く兄島海中公園という場所でした。兄島海中公園ほどではなかったですが、サンゴもあって、魚たちもたくさん見ることができました。海面からサンゴまでがすぐなので、場所によっては、危ないと感じる場所もありましたが、シュノーケリングを堪能しました。
父島に着いた日にも、この浜で泳ぎましたが、シュノーケリングの用具を購入してからシュノーケリングを楽しんだのは、硫黄島から戻って父島を出発する半日でした。
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2015年小笠原村硫黄島慰霊墓参(11)硫黄ヶ丘の船見岩からの摺鉢山(2)

2015年06月27日 | 硫黄島・小笠原村
これも、前回に続き、今回の硫黄島での一日目に硫黄ヶ丘の船見岩で撮影した摺鉢山の写真です。手前に広がっているのは、飛行場の滑走路です。
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2015年小笠原村硫黄島慰霊墓参(10)硫黄ヶ丘の船見岩からの摺鉢山(1)

2015年06月26日 | 硫黄島・小笠原村
時系列での硫黄島の写真の紹介より先に2枚ほど、摺鉢山の写真を紹介します。硫黄島での1日目の午後に、それぞれ出身集落ごとに分かれて、出身集落を訪れる時間に、私は戦前の島の中心で商店街もあった元山集落のグループになるのですが、祖父母たちの住んでいた、商店・家は現在は空港の下と言われていますので、そこから近い硫黄ヶ丘に、毎年、行っています。硫黄ヶ丘の船見岩から、遠く南西方向に見える、摺鉢山の写真です。
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2015年小笠原村硫黄島慰霊墓参(9)慰霊式典後の献花台

2015年06月25日 | 硫黄島・小笠原村
今回の硫黄島への慰霊墓参の訪問で、これが最初に紹介する硫黄島の写真になります。例年どおりに、硫黄島に上陸して最初に行われる慰霊式典の会場の、式典終了後の献花台の写真を紹介します。出席者全員による献花と、父島と母島の中学生から言葉の後に供えてもらった千羽鶴があげられています。
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2015年小笠原村硫黄島慰霊墓参(8)父島の森の喫茶店からの二見港

2015年06月24日 | 硫黄島・小笠原村
これは、父島に着いた日に行った、森の喫茶店からの、二見港の写真です。停泊している小笠原丸も写っています。小笠原丸は、この日の夜に、私たちを乗せて硫黄島に行く専用便になります。
この森の喫茶店は、父島の亜熱帯農業センターの近くにあります。一昨年にも寄って以来の2年ぶりでした。坂道を上がったところに、テーブルがあってそこから、この写真の眺望が楽しめます。注文するのは、パッションフルーツジュース。大きなハイビスカスの花一輪と一緒に、マスターが下から坂道を登って運んできてくれます。暑くてのどもからからですので、とてもおいしいですし。吹き抜ける風が涼しく、心地よい場所です。
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2015年小笠原村硫黄島慰霊墓参(7)ケータ島(聟島)

2015年06月23日 | 硫黄島・小笠原村
今年の小笠原村硫黄島への慰霊墓参から先週、戻ってきて、ブログへの投稿を始めました。例年どおりに最初は、父島の海洋センターのコータ君たちの写真を載せていたのが、前回で終わりました、硫黄島の写真の紹介を始めるまえに、もう少し、他のものを紹介します。
今回は、小笠原丸がそろそろ父島にも近づく時に、西側を通過する時点で見える聟島列島の中の聟島、別名ケータ島です。ここは、硫黄島で戦前に商店をやっていて、家族と一緒に(その中の一人が私の母親でした。)昭和19年に強制疎開で本土に来た、私の祖父が生まれた島です。曾祖父母は祖父が生まれた時には硫黄島ではなくてケータ島にいたということになります。ルーツは八丈島の祖母の方は生まれたのは八丈島ではなくて父島だったそうです。祖父母が結婚したのは硫黄島だったと、残っている写真からは思われます。
ケータ島に、父島滞在が長ければ、船のツアーで日帰りで連れて行ってもらえるのですが、行きと帰りに半日ずつしか滞在しないので、まだ、行けていません。いつか、行って見たいと思っています。
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2015年小笠原村硫黄島慰霊墓参(6)海洋センターの子ガメたち

2015年06月22日 | 硫黄島・小笠原村
父島の海洋センターにはコータ君たちのような成長したカメもいますが、子ガメたちもたくさん飼育されています。毎年、子ガメたちを放流もしています。以前に、この海洋センターの子ガメの里親制度に応募して、二匹の子ガメたちの里親になって名前を付けさせてもらったこともありました。
放流された子ガメたちのうちで、成長して産卵に戻ってきてくれるウミガメはごく一部だと思います。
今年はツアーで南島には行きませんでしたが、例年、南島の扇池前の砂浜でみ見るようなウミガメが産卵のために砂浜を歩いたキャタピラ後のような模様は、父島のいくつかの浜で見かけました。
この海洋センターにも、産卵のための浜もあります。
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2015年小笠原村硫黄島慰霊墓参(5)海洋センターのコータ君(5)

2015年06月21日 | 硫黄島・小笠原村
海洋センターのコータ君の写真の紹介の最後がこれです。コータ君は、キャベツが終わってしまった後も、ひれをばたばたさせて元気に動いていました。来年も、会いに行くので待っていて下さいね。
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