OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

星条旗の意味

2008年06月10日 | 硫黄島・小笠原村
もう相当に長いこと、「父親たちの星条旗」の原作ペイパーバックを読んでいます。(500ページをこえるペイパーバックは、ゆっくりとしか読めないので、時間がかかります。)

有名な写真に参加した(フラッグレイザーズと呼ばれる6人)それぞれの生い立ち、硫黄島戦参加までの準備、戦闘開始から、星条旗の場面、その後の戦闘継続の様子、生き残った3人のその後、という順番で書かれています。
原作者の父親だったブラッドレー氏は、帰国後に、ヒーローにまつりあげられられても、「この写真のおかげで、こんなに有名になってしまうと分かっていたら、旗を立てるのに加わらなかっただろう。」などという発言をしていたようで、
星条旗の写真では、多くの兵が散った戦争のすさまじさは語れない、と思っていた人だったようです。家族にも、あまり、語らずにいたそうです。

擂鉢山の山頂は、太平洋でのアメリカの戦闘を大きく左右する硫黄島戦の記念の場所として、米軍の記念碑もあります。アメリカにとって記念すべき土地になっています。

しかし、「あの星条旗を立てたことに、どれほどの意味があったのだろうか?」というブラッドレーの考え方には共感できます。旗を立てた後も、多くの日米の将兵が死に続けたのですから、あの写真の時間をもって、硫黄島戦は終わっていません。擂鉢山山頂争奪戦 ではなかったのですから、あの写真を、殊更、画期的なものとする意味はあまり感じられません。

今、読んでいる箇所は、「生き残った3人(一人はアルコール中毒で脱落)による、戦時国債集めのための全米各地行脚(興行)」の場面が終わったところです。
米軍も、あの写真を利用しましたし、米国民も、あの写真に舞い上がってしまった様子が、本からよく伝わってきます。

日本軍にとっても山腹には砲台がありましたし、重要拠点の一つでは
あったでしょうが、島で一番高い場所、以上の意味があるようにはあまり
思えません。

「パイプに、遠足に行った。」という、故人になった母の
言葉が思い出されます。島の小学生にとっては、遠足に行く場所だったようです。

私が住んでいるあたりでは、小学校5年生の遠足は高尾山です。
高尾山も高くはないですが、かなり歩ける遊歩道があります。
擂鉢山は、高尾山よりもはるかに低い山です。
母は8歳で島を離れましたので、小学校低学年の遠足で、
パイプ 擂鉢山に行ったのだと思います。

この写真の場所が、星条旗が立てられた場所として記念の地点になっています。
コメント
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