OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(14) 小笠原丸から硫黄島への上陸(3)

2012年07月08日 | 硫黄島・小笠原村
この写真は、硫黄島の釜岩の上陸地点で、小笠原丸、擂鉢山方向を撮影したものです。今年の6月16日の上陸直後に撮影しました。波が出ている様子も分かる写真だと思います。

小笠原海運の方や、父島の漁師の皆さんや、上陸地点を整えてくれている方々など、たくさんの人たちのお力で、下船・上陸と、島を離れて乗船とが、できています。特に今年は、波があったために緊張感も高く、ご協力いただいた皆様のご苦労も大変だったと思います。

毎年のことですが、今年もお世話になりました。本当にどうもありがとうございました。

上陸する日の朝、小笠原丸が硫黄島に着いてからの明け方からの停泊と艀を降ろす作業と、島を離れる日の夕方近く、私たちを島から小笠原丸に連れて行って乗船させてくれてから、艀を小笠原丸に載せて、停泊の繋留を解いて島を離れるまでの作業、
どちらも、この硫黄島の旅でしか見ることのできない、特別なドラマだと思います。下船の準備や乗船後の片づけなどで、なかなか全部を通して見ることはできませんが、とても、見ごたえのある海の男たちの作業を小笠原丸で見ることができます。小笠原海運の皆さんと父島の漁師の皆さんとの、緊張感が張りつめた中での作業です。


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2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(13) 小笠原丸から硫黄島への上陸(2)

2012年07月04日 | 硫黄島・小笠原村
これが、私たちを小笠原丸と釜岩の上陸地点とを往復させてくれる父島から一緒に小笠原丸に乗ってきた艀です。これが、4艘、硫黄島まで来ていて、ピストン輸送で私たちを運んでくれます。

この艀に乗り移ってしまえば、そんなに怖くないですし、釡岩側で乗り移るのはそれほど危険ではありません。

小笠原丸のような大きさの船が、港ではなく、湾のような場所とはいえ、海上に停泊した状態で、人を降ろしたり乗せたりするということは、非常に珍しく、めったにないことだと思います。


艀の後ろに見えるのが、沈船群の中でも一番目立つ、コンクリート船です。以前は、このコンクリート船は海面すれすれにあって、潮の干満で一部船体が海中にあったり、出たりしていましたが、島の隆起によって、今では、すっかり陸に上がってしまっています。

沈船群の解説は、こちら http://sk-photo.main.jp/ioujima/main/chinsen/chinsen.html
「硫黄島写真館」にあります。
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2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(12) 小笠原丸から硫黄島への上陸(1)

2012年07月03日 | 硫黄島・小笠原村
この写真は、6月16日の朝、父島から硫黄島に小笠原丸が着いて、いよいよこれから上陸が始まるという時に撮影した写真です。小笠原丸から擂鉢山の方向を撮りました。

この上陸作業は、毎回、非常に大変で緊張感が高まります。硫黄島には港がないために沖合で停泊する小笠原丸から、父島から一緒に乗ってきた漁師の皆さんの艀(はしけ)に、小笠原丸から10人ずつぐらい乗り込んで、硫黄島の釡岩という場所の近くに送り届けてもらって上陸をします。

釡岩は、戦前、住民が住んでいた頃は硫黄島の沖合にあった島であったものが、その後の隆起で、硫黄島と地続きになった場所です。その場所が、湾のような形になっている場所が、小笠原丸の停泊場所です。

少しの波やうねりでも、小笠原丸が揺れると、舷側の開口部にとりつけられたフローティングの乗り場に飛び移る時に、フローティング部側は海面に浮いていますから、船の動きで上下する開口部との間では、上がったり下がったりが大きくなってしまい、飛び移るのが困難で危険になります。
言葉でお伝えするのが難しいのですが、船内側からフローティング部分を見て、タイミングよく飛び移るのですが、開口部に対してフローティング部の乗り移る面が、大きく上下することになります。

今年の硫黄島へ慰霊墓参の旅の参加対象者は、例年よりも制限されて少ない人数になりました。私たち戦前在住者と子孫の旧島民グループと小笠原中学校、母島中学校の皆さんは例年どおり参加でしたが、遺族の関係の硫黄島協会の皆さんと小笠原村の一般枠の皆さん(硫黄島出身者や子孫ではない島民の方のご参加の枠)は今年は、参加できませんでした。理由は、硫黄島の隆起による小笠原丸停泊場所あたりの海底地形の変化によって停泊できる場所と条件が変わってしまい、下船上陸と乗船にかけられる時間が短くなり安全に降ろして上陸させたり収容したりすることができる人数が絞られることになったためです。

この日、船は、硫黄島の海岸線に平行に、釡岩上陸地点に向かってはほぼ垂直に停泊をしていましたが、島への波と船の揺れとがタイミングがあって同調してしまうと、かなりの角度で、左右に傾いていました。開口部が上がったり下がったりが、かなりの高低差でした。

(次回に続く)
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2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(11) 硫黄島のパパイヤ

2012年07月01日 | 硫黄島・小笠原村
硫黄島で、採って持ち帰ったパパイヤです。
下の封筒がA4サイズですので、大きさが分かると思います。

今から15年以上、前に、初めて硫黄島に行った時に、他の人と一緒に森に入ったところ、ひょんなことで、一人で森の中で迷子になって遭難しそうになった場所から近い、島の東部の海岸線に近い森の中で採りました。こんなに大きなパパイヤを持ち帰ったのは初めてです。今回は、硫黄島に詳しい人に案内してもらったので、迷子になることもありませんでしたが、鬱蒼としたジャングルの中でした。

他にも、青いパパイヤをいくつか持ち帰り、硫黄島に戦前住んでいたい、祖父母の仏壇と、硫黄島生まれの母の仏壇にも供えました。それらは野菜として、いろいろな料理で美味しくいただきました。このパパイヤだけは、この写真を撮った日から数日、置いて、かなり黄色くなってから切って、甘いフルーツとしていただきました。パパイヤは栄養豊富な食品のようです。

私たちは、慰霊墓参の目的で硫黄島に行っていますが、戦争の島であっただけではなく、戦前には住民がいたのにその後は帰れなくなった島ということでもありますので、戦前の生活の様子を理解したり伝えたりすることも必要だと思っています。母や祖父母が暮らした島の生活はどんなであったのかと思いをはせながら、島のものを探したりもしています。今回は、パパイヤ、島唐辛子、レモングラスなどを、持ち帰ることができました。


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