OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

北硫黄島(19)

2012年01月31日 | 硫黄島・小笠原村
北硫黄島の切り立った斜面の様子が分かるズームして撮影した写真です。これも島の西側だと思います。大きな石がゴロゴロとした浜にうちつけている波も見えます。
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北硫黄島(18)

2012年01月29日 | 硫黄島・小笠原村
かなりの倍率でズームで撮影した、斜めの地層などの斜面の様子も分かる写真です。この辺りも、海岸線に浜があるのが見えますが、砂浜ではなく、石がごろごろしています。平らな浜の部分がどれぐらいの広さなのかは、この角度からでは、よく分かりません。
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北硫黄島(17)

2012年01月28日 | 硫黄島・小笠原村
この写真も山は雲がほとんどかかっていません。島の西側の方向からだと思います。右の方に海に向かって崩れ落ちている部分が見えます。
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北硫黄島(16)

2012年01月27日 | 硫黄島・小笠原村
北硫黄島の西側の部分をズームして撮った写真です。切れ込んだ地形になっている場所がありますが、左側の部分は、この奥に平らな部分があるわけでもないので、人が住める広さはなさそうです。この写真の右側の辺りも、それほど広い平らな場所は無さそうですが、戦前の西村集落があったあたりじゃないでしょうか。
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北硫黄島(15)

2012年01月26日 | 硫黄島・小笠原村
この写真は、雲に覆われている部分が少なく、左の方の峰は全部見えていて、よく撮れている写真だと思います。険し斜面の様子もよく分かると思います。浜もあるのが分かります。この写真の範囲に、戦前の集落の西村があった場所が含まれているはずです。左の方か中央かの沢の出口のような地形になっている部分のどちらかのはずです。

このブログを、訪れて下さった方が、トータルで、10万を越えました。今日の時点で、訪問者数(IP) 数が、
100003です。お越し下さった皆様、本当に、どうもありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
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北硫黄島(14)

2012年01月25日 | 硫黄島・小笠原村
自分で撮影した写真を、時系列にこのブログに載せるためにアップロードしたものを順番に紹介しています。これは、島の西側に出て南下をしている時の写真だと思います。 ということは、この写真の真ん中あたりの少しへこんで奥まって沢のようになっている部分が、かつての西村の跡というあたりでしょうか。

これまで、知らなかったのですが、今回見つけた、北硫黄島を写真と解説で、わかりやすく説明をして下さっているのが、
ここです。
http://tonesan.fc2web.com/kitaiou.htm


今、拝見させていただいたところ、北硫黄島だけではなく硫黄島も紹介して下さっています。まとめ方もわかりやすいです。本当にありがとうございます。
小笠原丸による、硫黄三島クルーズにご参加下さった時の様子をご紹介下さっていますね。紹介文の中の「紹介者」はおそらく、私も存じていてご一緒させていただいた昭和19年まで北硫黄島に住んでいた方と同一の方ではないかなと思われます。

それにしましても、船から見る北硫黄島を観察したら、どなたも等しく、「こんなに山、崖だらけの島に人が住んでいたなんて!」とい驚くと思います。
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北硫黄島(13)

2012年01月24日 | 硫黄島・小笠原村
また、小笠原丸の位置が、北硫黄島が横に広がって見える角度に進んできた時の写真です。おそらく、島の西側だと思います。雲がかかっていない左側に見える峰が清水峰で雲に頂上が隠れてしまっている右側の峰が、最高峰の榊ヶ峰ではないかなと思います。  この日、「この島のどこに人が住んでいたのだろう?学校の分教場もあったと戦前に住んでいた人が教えてくれたが、そんなものがあって、集落があったというほどに広そうな場所はどこにも見つからない。」と思いながら、観察を続けていました。 結局、島を二周しましたが、「狭い浜はある。」ぐらいで、「あの広さの場所が集落があった場所だろう。」と思える場所は見つけられませんでした。 上や斜めからではなく、ある程度離れた場所から横から見ているので、「ごく狭い石の浜が見える以外は、海からすぐに切り立った斜面」と見えたのが、実際は、ある程度の広さの平坦な場所があったということだと思います。さきほど、 村の位置だった場所が写真で説明されているサイトを見つけたので、やっと、自分が撮影してきた写真と、古代遺跡も見つかっている石野村や、もう一つの西村の位置と、対照させることができます。
そのサイトについては、また、紹介させていただきます。
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北硫黄島(12)

2012年01月23日 | 硫黄島・小笠原村
少しずつ北側を廻り終わって、島の西側の側面に出てきているところです。だんだん、昨日、紹介した写真から角度がかわってきているのを比べて見てもらえると思います。
この北硫黄島に、昭和19年の戦争激化による住民と疎開までは、100人ほどの人が住んでいたということなので、この日は、島の写真の撮影を続けながらも、一番の興味は、「どのあたりが住民が住んでいたのかを、しっかりと見て探そう。」という点でした。島に近づいて周回を始める前までは、「平らかなだらかなある程度の広さがあってそこが戦前に人が住んでいたところで、そこを囲むように山があるのだろう。」と思っていました。ところが、周回を始めてびっくり、「どこの平らなところがありそうには思えない。」島の形だったからです。
戦前、この島に、住んでいたことがある人が父島に住んでいて、その方が、この日も一緒に小笠原丸に乗っていました。その方は、前に硫黄島に行った時に、南海岸で鶉石を取るのを手伝ってくれたこともありましたし、顔見知りの方です。その方に聞けば、どのあたりが住んでいた場所なのかを教えてもらえると思ったのですが、北硫黄島周回中はひっぱりだこだったのか、周回を終わる時間ぐらいまで、見つけることはできませんでした。
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北硫黄島(11)

2012年01月22日 | 硫黄島・小笠原村
島の、(おそらく)北側を廻っている時です。この日の北硫黄島で、峰の頂上が雲に覆われていなくて見れたのはこの角度だけでした。この角度の時と、これとちょうど反対側の時だけは一つの峰だけが見える角度になって、それ以外の二辺は、二つの峰が並んで見えるという島の形です。それにしても急峻な崖で、鋭い急な角度の峰です。一つの火山だけが海上に出ている南硫黄島と比べてもこちらの峰の方が尖っています。この急な崖だらけの島に戦前は人が住んでいたというのですから、驚かされます。
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北硫黄島(10)

2012年01月21日 | 硫黄島・小笠原村
北硫黄島については、地図が公開されているサイトが見つけられます。http://imagic.qee.jp/sima2/tokyo/kitaioujima.html  「この日本の島に行こう」というサイトです。
ここでは、地勢などについても解説があって、それによると、「北に清水峰(666m)、南に榊ヶ峰[さかきがみね](792m)が聳え、ほとんど平地も無く、急峻な崖がそのまま海へと落ち込んでいます。」とあります。
そのとおり、「崖がそのまま海へと落ち込んでいます。」という様子を、私も周回する小笠原丸から見ました。

南北の二峰は、おそらく、この写真に写っている峰は、低い方だったので、北の清水峰だと思います。このあと、回り込むと今度は、清水峰が左側、榊ヶ峰が右側にと横にならんで左右広がる見え方をする、という並びだったのだと思われます。この写真を撮った時、こちらの峰の側は、ととんど、雲に邪魔されることなくそびえたつ山の様子を撮れています。

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