OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

21014年小笠原村硫黄島への慰霊墓参の旅(10) 夜明けの時の摺鉢山

2014年06月30日 | 硫黄島・小笠原村
もうすぐ、朝日が出るという時間に小笠原丸から撮った硫黄島の摺鉢山の写真です。まだ、光が十分でないですし、このあたりの写真は、まだ起きて乾板に出たばかりの時間帯ですから、賎室内は冷房が効いていてカメラも冷えていえるの外は湿気と気温が朝から高いためにカメラのレンズに水滴がついて、はっきりしない写真が多くなってしまいます。
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21014年小笠原村硫黄島への慰霊墓参の旅(9) 硫黄島到着時の夜明け(3)

2014年06月29日 | 硫黄島・小笠原村
前回紹介した写真と同じ場所から、拡大して夜明け地点を撮った写真です。
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21014年小笠原村硫黄島への慰霊墓参の旅(8) 硫黄島到着時の夜明け(2)

2014年06月28日 | 硫黄島・小笠原村
前回紹介した写真の直後の時間に撮ったものです。この時点では日の出地点は小笠原丸の左舷側でした。次回はこの直後のもっと拡大した写真を紹介予定です。
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21014年小笠原村硫黄島への慰霊墓参の旅(7) 硫黄島到着時の夜明け(1)

2014年06月27日 | 硫黄島・小笠原村
6月14日(土)の22:00に父島の二見港を出て、硫黄島訪問する特別便となった小笠原丸は、午前5:00前ぐらいに硫黄島沖に着きます。今年は早く起きて甲板に出ました。この写真を撮った時間は4:46分、まだ、小笠原丸が最終停泊地点に達する前でした。夕焼けみたいな空の色でしたが、夜明け、もうすぐ太陽が顔を出すという時間です。
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21014年小笠原村硫黄島への慰霊墓参の旅(6) 南硫黄島(2)

2014年06月26日 | 硫黄島・小笠原村
前回に続き、慰霊式典の前に硫黄島島民平和祈念墓地公園から撮った南硫黄島の写真の二枚目は、ズーム倍率を上げて撮った写真です。雲はありましたが、空もきれいでした。焼け付くような例年通りの強い日差しの中での慰霊式典でしたが、さわやかで心地よい風が吹きぬけてくれてたいので例年ほどの酷暑の辛さではなかったです。

次回から硫黄島の様子の紹介を時系列に順を追って進めていこうと思っています。先に、これまでに紹介をしていなかった今回初めて紹介できるような写真の記事を特集して先に紹介したいと思っていたのですが、戻ってから1週間経ってしまうと、どこのどれが今年ならではのものだかなど分からなくなってきてしまいます。写真を採った時間の順にというのは、やはり順番としては紹介しやすいです。
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21014年小笠原村硫黄島への慰霊墓参の旅(5) 南硫黄島(1)

2014年06月25日 | 硫黄島・小笠原村
ほぼ等間隔に並ぶ北硫黄島、硫黄島、南硫黄島は、実は火山列島という名前(別名が硫黄列島)の列島に属します。北硫黄島と硫黄島には戦前に住民が在住していましたが、南硫黄島は、これまでずっと無人島です。

南硫黄島まで、硫黄島から約60キロだそうです。天気の良い日には硫黄島から北硫黄島も南硫黄島も見ることができます。今年は、北硫黄島は雲との間に見えた程度でしたが、南硫黄島はよく見えました。南硫黄島はどの確度からでも、おわんを伏せたような形です。
3年前の震災のあった年には、6月には震災の影響で硫黄島に行くことができずに9月に延期になりましたが水不足という理由で硫黄島には上陸できずに変わりに、北硫黄、南硫黄を含む三島をそれぞれ沖合いで廻るという行程になりました。(このブログでも、その時の様子も、以前に紹介していますので、よかったらご覧下さい。) 南硫黄島はどの確度からでもこのような形で、近づくと島のまわり全体が切り立った崖が海に落ちているという地形であることが分かりました。近づいて上陸したり(学術調査団が上陸したことはあるそうです。)住んだりすることが出来ない島さということがよく分かりました。

今年は、きれいによく南硫黄島が見えました。この写真は、慰霊式典が始まる前に硫黄島島民平和祈念墓地公園から撮ったものです。次回は高倍率で拡大した写真を紹介する予定です。
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21014年小笠原村硫黄島への慰霊墓参の旅(4) 慰霊式典

2014年06月24日 | 硫黄島・小笠原村
私たちの硫黄島訪問では、例年、上陸して最初に、硫黄島島民平和祈念墓地公園で慰霊の式典が参加者全員の出席で行われます。この場所は、釜岩の上陸地点から車で10分ほど。宿泊する平和祈念会館までは来るまで2分ほどの場所です。

黙祷、いろいろな方のお言葉の後で、一緒に社会勉強の一環として訪島している小笠原中学校(父島)と母島中学校の中学二年生たちの代表の皆さんによるお言葉があります。例年どおり、今年も、たくさん勉強したことが分かる内容で感動しました。(ここでは紹介いたしませんが、今年はデジカメで動画で収録をしました。)
戦争を起こしてはいけないということを理解したとご自分たちの言葉で語ってくれます。それに戦争の島であっただけではなく戦前は豊かに島民が暮らす島であったということ、その島に今もなお帰れないことの無念ということにも触れてくれます。中学生たちのお言葉は、本当に私が伝えたいと思っていることを代弁してくれてもいます。
小笠原村の両中学の中学生たちは、実に有意義な事前勉強と実地訪問という機会を十分に活かして貴重な体験をなさっているなと思います。

写真は式典直後の献花台です。千羽鶴は中学生たちが捧げて下さったものです。



その後、全員による献花と、中学生たちがリードで私たちも一緒に声を合わせての、故郷の廃家(こきょうのはいか)という唱歌を斉唱しました。今年も大きな声で歌いましたが、途中でこみ上げるものがあってつまってしまいました。
「故郷の廃家」については当ブログ開始直後の、2007年の7月の投稿で紹介させていただきました。その投稿に対しては何人かの方からの反響があった記事でしたので、久しぶりに、以下にその記述を切り貼りで紹介させていただきます。



( ----- 以下2007年の当ブログの記事の紹介 ----- )

( 前出の小笠原村 発行のパンフレット
「硫黄島 -硫黄島島民平和祈念墓地公園開設15周年記念- 」から
歌詞とコメントを引用させていただきます。)


故郷(故郷)の廃家(はいか)
                      犬童球渓
一 幾年(いくとせ)ふるさと 来てみれば
            咲く花鳴く鳥、そよぐ風、
       門辺(かどべ)の小川の、ささやきも、
              なれにし昔に、変らねど、
         あれたる我家(わがいえ)に、
                住む人絶えて無く。
二 昔を語るか、そよぐ風
            昔をうつすか、澄める水、
       朝夕かたみに、手をとりて、
              遊びし友人(ともびと)、いまいずこ、
         さびしき故郷や、
                さびしき我家や。
                                   」 

慰霊祭で、歌詞の印刷された紙が配られ、全員で歌いました。 

戦前に島で生まれて、帰る故郷がなくなった世代の方々には、思いがつまされる歌詞だと思います。
島で生まれていない、私のような年代の者でも「涙ぐまずに歌うことができなかった。」理由を紹介させて下さい。

小笠原村発行パンフレット「硫黄島」も、この歌詞を紹介して下さっていて、
さらにこの曲に関するエピソードも紹介されています。その部分も引用させていただきます。


「故郷の廃家」には、
  次のような話が伝えられています。
  硫黄島での先頭が激化する中、避難していた少年兵達が、壕から顔を出すと、 真っ赤な夕日が顔を染め、その夕日に故郷の両親を思い合わせ、この歌をひとり が歌い、ふたりが歌いするうちに、大勢の合唱となり、それを陰で聞いていた市 丸少将が「十五~十六歳のこの子らを、道連れにするしのびがたさに涙を浮かべ た」ということです。
                                    」

パンフレットは、出発前に小笠原村が郵送して下さっていて、目を通していました。

私の祖父の弟と甥(母の従兄弟)も、十代で、島に残って戦士しています。

軍属として島に残った人、各地から集められた少年兵の十代の少年達が、生きて帰れる見込みがない戦闘の島で「何を思いながらこの歌を合唱したのだろうか」と思い、合唱する少年達を眺めたという「市丸少将(多くのWeb,ブログにも紹介されています)の思いはどうだったろうか?」と思いながら歌いました。
 

作詞者の犬童球渓のウェブサイト 
http://www.city.hitoyoshi.kumamoto.jp/contents/7d390b0e260733c/7d390b0e260733c5.htm

この公園からは係留されているおがさわら丸が良く見えました。大きな船です。
おがささわら丸(小笠原海運)のウェブサイト
http://www.ogasawarakaiun.co.jp/index.html
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21014年小笠原村硫黄島への慰霊墓参の旅(3) 今年のスケジュール

2014年06月23日 | 硫黄島・小笠原村
今年の硫黄島への慰霊墓参の旅の日程は、6月13日(金)の10:00に一般の人たちと一緒の小笠原丸が東京の竹芝桟橋を出港。14日(土)の11:30に小笠原村父島の二見港に到着。
そこからは小笠原丸は硫黄島訪島参加者の専用便となり14日(土)の20:00に父島二見港を出港して、15日(日)の明け方に硫黄島沖に到着、その後と8:00頃から、硫黄島への上陸を開始(はしけによるピストン輸送で。)、15日(土)の夜は、私たち旧島民の多く硫黄島の平和祈念会館に宿泊、16日(月)には島内視察などの二日目があって、夕方から小笠原丸への乗船をを開始、17日(火)の朝6:00頃に父島二見港に着いて、14:00には、また一般便となった小笠原丸で父島を出て、翌18日(水)の15:20に東京の竹芝に着きました。

写真は、前回と同じ、硫黄島島民平和祈念墓地公園に咲いていたプルメリアの花。このプルメリアも父島の村役場のところに咲いていたりなどあちこちで見ることができましたが、ここに咲いていたものは、花がとても大きかったです。散って地面に落ちていた花びらもものすごい大きさでした。
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21014年小笠原村硫黄島への慰霊墓参の旅(2) 毎年訪問している背景など

2014年06月22日 | 硫黄島・小笠原村
今年は、硫黄島に行く前後に寄った父島では前線の影響もあって天気が悪く例年になく暑くない小笠原を経験しましたが、6月15日(日)と16日(月)には天気に恵まれて海の静かで硫黄島に上陸して一泊することができました。おいおい、様子を紹介していきたいと思います。

今回で、硫黄島への慰霊墓参の旅への参加は、小笠原丸で行くのが9年連続で10回目でした。他に前には入間基地からの日帰りに4回参加したことがあります。このブログを始めた頃には詳しく紹介をしておりましたが、このところ、私がどういう関係で参加をしているのかを言っておりませんでしたので、あらためて整理して紹介いたします。

私の祖父母が戦前に硫黄島に住んで、魚や雑貨などの扱う焦点を、硫黄島の中心の元山地区で営んでいました。昭和11年生まれで昭和19年の強制疎開で引き揚げるまで硫黄島で暮らした私の母(2007年死去、故人)を含む10人兄弟のうちの7人目までが硫黄島で生まれました。
強制疎開で多くの在住島民が本土に引き揚げた中、壮年男子の80余名(82人、83人、84人と諸説があります。この違いは、どこまでが戦前在住の日本人住民であったかという点の解釈のずれに起因するそうです。)は、硫黄島戦に投入された将兵と共に軍属として残らされて犠牲になり戦没しました。祖父のすぐ下の弟は34歳で、母の従兄弟(祖父の甥)の従兄弟同士だった二人は18歳で硫黄島で散りました。他にも、数人の親戚が硫黄島で死にました。

私は、祖父母、伯父、叔母、母が戦前の硫黄島在住島民であったことと、親戚が硫黄島で散ったことから、慰霊の式典に参加をするために、
そして、硫黄島を可能な限りは見続けて、できるだけ多くの人に知ってもらいたいと希望して、この訪島に参加を続けてきております。

写真は式典が行われる硫黄島島民平和祈念墓地公園に咲いていたホウオウボクです。例年この6月の時期には父島の商店街にも咲いているのも見ることができますが、ここ硫黄島でも満開で、鮮やかでした。
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21014年小笠原村硫黄島への慰霊墓参の旅(1) コータ君

2014年06月19日 | 硫黄島・小笠原村
今年の硫黄島訪問から帰りました、最初の投稿は恒例の父島の海洋センターのコータ君です。今年も会えました!
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