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OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(34) 南海岸への斜面からの擂鉢山です。

2013年03月31日 | 硫黄島・小笠原村
この写真は、南海岸への斜面の途中からの擂鉢山です。鶉石がある海岸部分のすぐ上には、このように薄い緑があります。この写真の擂鉢山の左下側で海に入るところ、プレートの上に乗っているように見える高低さがあるのが見えます。この高低さも、近年の隆起によるもので、戦前はその部分より外側は海中で、この段差無しで擂鉢山であったように思われます。多くの浜の面積が隆起でふえているのが硫黄島です。
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2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(33) 南海岸の二つ根岩

2013年03月30日 | 硫黄島・小笠原村
ここが、南海岸の浜です。硫黄島のこの海岸と、もう1箇所イタリアのある場所にしかない鶉石という珍しい石がある海岸です。隆起して戦時中よりは海岸が広くなっているはずですので、戦前はもっと、浜の部分は狭かったと思います。この海岸から第二次世界大戦の時に目議運が上陸をしました。硫黄島は多くの日本兵だけでなく、たくさんの米軍兵の犠牲者も出た激戦の島です。米軍がこの狭い戦場でこれほど多くの犠牲者を出したという例もほとんどないだろうと思います。

船での慰霊墓参での硫黄島訪問には、昨年が8回目の参加でした。この南海岸には行く回も行かない回もありますが、昨年は、1日目の午後のグループごとに集落への里帰りの時間、元山チームは硫黄ヶ丘に行くだけで、時間が余りましたので、希望して、ここに連れてきてもらいました。今回、連れていってもらった地点は、この写真の、二つ根岩よりも擂鉢山に近い場所でした。前に行った回では、二つ根岩よりも擂鉢山から離れた箇所だった時もあって、二つ根岩越しに擂鉢山を撮った写真もありました。

この特徴的な形で目立つ二つ根岩ですが、以前は、こんなに陸に上がっていなくて、海中や干満で全体が陸上に出たりというぐらいの位置にあったそうです。今では、満潮時でも根の部分が海中になることは全くなく、すっかり陸上に出ています。

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2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(32) 南海岸からの擂鉢山です。

2013年03月29日 | 硫黄島・小笠原村
あまりズームしないで撮影した、南海岸からの擂鉢山の写真です。硫黄島に上陸したばかりの米軍の兵士たちは、この視点からの擂鉢山を見ていたはずです。
この写真でも分かるように、細かい砂利の海岸はかなりの幅、面積になっています。高低さもあって、近頃隆起してきている様子が、分かります。
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2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(31) 硫黄ヶ丘の斜面、真下から撮影した船見岩

2013年03月28日 | 硫黄島・小笠原村
この写真は、船見岩をすぐ下から撮ったものです。整備された階段などはありませんが、上まで登ることができます。硫黄ヶ丘は、白い硫黄噴出物の堆積と思われる地面に覆われている部分以外に、この部分のように、普通の土や岩肌に薄い緑が覆っている部分もいくらかあります。
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2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(30) 船見岩から硫黄ヶ丘入り口方向を撮った写真です。

2013年03月27日 | 硫黄島・小笠原村
硫黄ヶ丘にあって一番高い船見岩の上から、硫黄ヶ丘入り口方向を撮影した写真です。
奥に見えるのが自衛隊の施設でその手前に飛行場の滑走路が広がっています。
滑走路手前の緑の森から硫黄ヶ丘入り口部分に向けて一箇所芝生の場所がありますが、ここが、硫黄ヶ丘に続く道路殻硫黄ヶ丘入り口への通路で、入ってきたところにバスをとめて、私たちを下ろしてくれます。この時間にバスが写真に見えないのは、通常の順路見学ではなく、旧島民の里帰りの時間なので、3台ほどのバスが、グループごとにそれぞれ出身近くで降りたメンバーを下ろしたり乗せて移動させたり、祈念館に連れ戻ってくれたりのために巡回してくれているからです。道路、緑の森や芝生の部分などは、戦後にこのように整備されたもので、戦前の様子とは違っています。
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2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(29) 船見岩から飛行場越しの擂鉢山

2013年03月26日 | 硫黄島・小笠原村
これは、船見岩から、西南西方向に、擂鉢山を撮影したものです。手前に見えるのが、自衛隊が使っている飛行場の滑走路です。
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2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(28) 硫黄ヶ丘の地面の表面

2013年03月25日 | 硫黄島・小笠原村
硫黄ヶ丘の地面の表面です。表面が硫黄の緑色になっている部分もあります。 毎年、硫黄島に行くと、とても暑いですが、この辺りは、地面からの熱もあって、さらに暑いです。 この写真のように表面がなっている場所を歩いて、硫黄ヶ丘を船見岩に向かったりします。地面がやわらかく少しだけ沈んだりする場所もあるので、注意深く進む必要があります。 靴がすっぽりもぐってしまうような場所には近寄らずに歩かないようにします。 戦前は、元山から船見岩までは、ぐるっと迂回して行っていたようです。 箱根の大涌谷で 卵がゆだるように、ここ硫黄ヶ丘でも、卵がゆだったり、埋めた さつまいもをふかしたりすることができます。戦前を島で過ごした大先輩の方は、「小学校に行く途中で、埋めるんだ。腹を減らして帰りに楽しみにして埋めた場所に急ぐと、既に上級生にばれて掘り出された後で、切なかった。」と、今でも悔しそうですが、懐かしさもあって楽しそうそうに話してくださいます。
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2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(27) 硫黄ヶ丘の斜面の写真です。

2013年03月24日 | 硫黄島・小笠原村
ここ、硫黄ヶ丘は、最高部の船見岩に向かって、なだらかな斜面になっています。硫黄ヶ丘全体が丘というほど高くはなっていなくて、
一部分が高くなっている以外には、周辺の今は空港になっている場所と同じ高さです。この一体は、このように白い地面になっていて、一部、緑の硫黄が露出していますし、ところどころはグレーのドロドロの噴出物が音を立てて噴気を出しながら沸いているところがあります。歩くと、数センチ、地面が沈むやわらかい場所があります。普通の場所は歩けますが、歩くのに注意が必要な場所もあります。白い地面、噴出している場所、岩、草地などがあります。草地には、レモングラスが生えている一帯があります。
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2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(26)  硫黄ヶ丘の船見岩です。

2013年03月23日 | 硫黄島・小笠原村
この写真は、硫黄ヶ丘の入り口付近から撮った船見岩です。
島の中央棒あたりで最も高い場所がこの船見岩です。戦前は、定期船が海の具合によって東西のどちらの港に着くかがその時によって違っていて、この場所から、船の動きからどちらに着くのかを見てここに立てたポールにしるしを上げて島民に知らせたそうです。文字通り船を見る岩だったことから名づけられた場所です。
戦前の硫黄島の中心だった元山も、この船見岩から近かったそうです。
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2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(25) 硫黄島の中央あたりの硫黄ヶ丘の入り口

2013年03月22日 | 硫黄島・小笠原村
慰霊祭が終わると、一度、記念館に行って昼食のお弁当をいただきます。それから、1日目の午後は、戦前在住島民と関係者の私どもは、戦前の在住の集落ごとのグループに分かれての、里帰り です。役場や学校や商店などの主要な施設が集まっていて戦前は硫黄島の中心だった元山に、私の祖父の商店兼家がありましたので、元山に里帰りするグループに入りますが、戦前に元山だったあたりは、今の飛行場にもかかっていると言われていて、当時の住居の跡などの、生活の場所だった跡だと分かる場所が残っていません。
例年、私ども元山へ里帰りのグループは、他に行く場所もありませんので、元山に隣接していて近くだった硫黄ヶ丘に行きます。2012年は5人(3家族)と、付き添いで毎年一緒に訪島してくださっている、一木重夫小笠原村議会議員が同行して下さいました。
写真は、硫黄ヶ丘の入り口近くからの写真で、焦げて炭化している大木があります。この木は堅いことでも知られているタマナの木(小笠原での呼ばれ方のようで、テリハボクという木だそうです。)だそうです。
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