OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

硫黄島訪問、今年は11日から16日でしたが、昨年は13日から

2008年06月20日 | 硫黄島・小笠原村
18日であったことを、このブログを開設した時の最初の記事を見て思い出しました。2年続けて、二日とも上陸できて、本当に良かったと思います。来年も、お天気に恵まれて、二日上陸できますように、と、少し気が早いですが、そう思います。

私たちを下ろして上陸させるために、釜岩沖のギリギリの場所まで、おが丸を操船して繋留するのには、非常に微妙な技術が必要だと聞きました。海が荒れれば、かなり危険な位置まで、絶妙な職人技で、おが丸を近づけて下さっているのだろうと思います。
艀が揺れますので、繋留場所の波が、少しでも高くなると、乗り降りのさせ難さは大きく増します。ほとんど波が無い時でも、神経を使って、艀に乗せたり、降ろしたりして下さっているのを、経験していますので、波の影響がいかに大きいかは、容易に想像できます。

どういうことかと言いますと、今回の上陸中にも話として出たのですが、
たとえば、
私たちは、平和祈念館に宿泊をするのですが、1日目の夕方に、晴天で波も全くなかったとしても、「翌日に波が出そうな兆候がある。」というだけで、宿泊して
二日目まで残ることは、非常に危険なことになるので、慎重は判断が求められるということになります。
台風や低気圧が近づいている。前線が下降してきているなどという、極端なケースでなくても、微妙な気圧配置の変化でも、海が荒れたりすると予測されることが
あると思います。

好天の夕方を過ごしている翌日に、もしも、海が荒れて、艀で私たちを移動させることができなくなるとどうなるでしょうか?

おが丸は、父島に、そして、東京竹芝に向かって、帰らなければいけないのです。
次のおが丸が来る日まで、戻れなくなってしまいます。

・上陸させるかどうか
・翌日のことを考えて、宿泊させずに戻すかどうか
(午前は好天なので上陸させたが、夕方を考えて、早めに戻すかどうか、なども。)

非常に慎重な判断が求められて、その結果で、「二日、硫黄島で過ごせるかどうか」が決まるのだと分かります。そう考えると、今年も二日間過ごせたことは
本当に幸運なことだったと思います。

写真は、昨年の最初の記事と同じ、南の浜からの擂鉢山です。
昨年は、浜に降りる道に、陥没箇所があったために、車で、下まで降りずに
徒歩で浜に降りましたが、今年は、浜の近くまで車をつけていただくことができました。
鶉石のある浜です。昨年より、鶉石拾いに使える集合までの時間が短かったので、あまり多く取ることはできませんでしたが、できるだけ、色と形が良いのを、一生懸命に探しました。その時間(島滞在二日目も、そろそろ終盤)も暑かったです。
コメント
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