OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(10) 硫黄島の硫黄島島唐辛子

2012年06月29日 | 硫黄島・小笠原村
硫黄島島唐辛子は父島でもお土産で売っていたりしますし、先日のこのブログの記事で紹介したように、このあたり(私が見つけて買ったのはUnidy若葉台店)でも苗が売っていたりもしますが、本場の硫黄島の気候風土で育って硫黄島で採った物が、一番、辛くて香りも鮮烈で、美味しいと思います。

この写真が、今年採ったものを、帰りの小笠原丸の中で乾燥させたりしながら持ち帰ったものです。今回の慰霊墓参の旅の案内を送付してもらった小笠原村のA4の封筒の上に置いてあります。この封筒は、小笠原丸内で乾燥させるのにも便利です。採取してすぐにはジプロックに入れますが、できるだけ早く乾燥させてから持ち帰って、その後に冷凍保存などをすると良いそうです。ジプロックで密封して入れっぱなしは良くないそうです。

今年は、上陸した日の昼頃には、「唐辛子は、今年は不作で、不足気味。あまり採れないのでは。」と言われていましたが、二日間、数か所で、採って集めて、結果としては、この写真の量ぐらい集まったので、満足のいく十分な量を集めることができたと思います。

しかし、途中は苦戦しました。例年に比べて遅れているらしくやや黄色味がかった白い小さな花を多く見ました。これまで、硫黄島で花は、あまり見たことがありませんでしたので、これから、実が多くなるという時期だったようです。

また、諸先輩方、含めて、良い唐辛子の大きな木があるところは、毎年、行っているので
分かっているのですが、期待していた大きな木がなくなってしまっていたりした影響も大きかったです。

私たちが宿泊させてもらえる平和祈念館の、すぐ横に、草原に入ればすぐに分かる大きな木があったのですが、今年は、その場所が整地されて重機置き場になってしまっていました。

その場所以外にも、依然は森林だったりした場所の、いくつかの場所が、削られて土が抜出の平な場所になっていたり、重機が置いてあったりという場所が目立ちました。昨年は上陸できなかったので二年ぶりの硫黄島でしたが、様変わりした場所が、数か所、ありました。

この重機が持ち込まれて置いてあったり、土がならされたりしているのは、昨年度から以前にも増して拡大されて実施されている大規模なご遺骨の収集作業のためです。まだまだ、残されたままのご遺骨が残されてしまっていますので、今後も、長く、収集作業が続くことになるはずです。


なお、苗で買って栽培を始めた、硫黄島島唐辛子ですが、4株のうちの二つは枯れてしまって、他の二つは、葉っぱ(硫黄島では、おひたしなどにして食べます。)が、よほど美味しいのか、葉が虫に食われる被害が甚大です。数年前に育てた時より、虫の害が深刻です。

今年は、硫黄島から持ち帰った唐辛子から種を取り出しての栽培にも挑戦してみたいと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(9) ヒロベソカタマイマイ

2012年06月27日 | 硫黄島・小笠原村
これは、南島のヒロベソカタマイマイの半化石の裏側の写真です。ヘソの部分が大きくへこんでいます。これはかなり大き目で、色もきれいでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(8) 南島の扇池の浜の半化石

2012年06月26日 | 硫黄島・小笠原村
この写真は、小笠原の南島の扇池の浜の、 ヒロベソカタマイマイの半化石です。浜の斜面になっているところに、このように多く散らばっています。 これで、この場所に行くのは5,6回目です。南島は、1日に入れる人の数を制限しています。観光客が歩ける場所も制限していて、一切の物を、島の外に持ち出すことは厳禁です。 「一時期よりこの半化石の貝殻が減ってきているのでは。」と心配しましたが、今回のガイドの方の解説で、「埋まっているものが斜面に現れてくる」という話でしたので、行った時に目につく個数が違って見えること自体には問題はなく心配する必要は無さそうでした。 この前、紹介した硫黄島の鶉石や、この南島のヒロベソカタマイマイ半化石など、小笠原に固有のものが多くあります。きちんと環境を保護して、後世に残す必要があると思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(7) 南島の扇池に行きました

2012年06月25日 | 硫黄島・小笠原村
もう少し、硫黄島以外の小笠原についてなども紹介をしたいと思います。
先日、前に撮影したこの場所の写真をFacebookに載せたところ気に入って下さった方がいましたので、このブログでも前にも紹介した場所ですが、南島の扇池の写真を紹介します。
今年は、硫黄島から戻った後の、小笠原丸出港日の午前の自由時間にツアーで行きました。潮の干満や波の状況などから上陸していられる時間が限られていたので、今年は、尾根の稜線までは登らずに
すぐに扇池に行きました。外の海の波が高かったために、扇池の内部にまでかなり入ってきていました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(6) 南海岸の二ツ根岩

2012年06月24日 | 硫黄島・小笠原村
この日(6月16日)は、南海岸の、この写真に写っている岩から、数百メートル擂鉢山寄りの場所で鶉石採取をしました。夢中で探したので砂浜に膝をついて這いつくばって探しました。非常に暑い日、暑い時間帯で、陽射しの熱と熱せられた海外の下からの熱の両方で、酷暑でした。このあたりの南海岸は二ツ根浜とも呼ばれます。この写真の突き出た岩が二ツ根岩と呼ばれるそうです。この岩も以前は海中から突き出していたそうで、島の隆起に伴って、今では、海中からは完全に出ています。この辺りの浜を擂鉢山の山頂から見ると、海岸線に沿った筋が何本も砂浜に走っているのが見えて、隆起による砂浜の広がりを示している等高線のような形状の模様になっています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(5) 南海岸からの擂鉢山

2012年06月23日 | 硫黄島・小笠原村
前回紹介した鶉石がある南海岸からは、擂鉢山が大きく見えて良い写真が撮れる場所です。この浜も隆起で砂浜部分がかなり大幅に広がってきているはずですから、戦時中に、米軍がこの海岸から上陸した時には、浜の幅は非常に狭かったと思われます。今年、そこから撮った擂鉢山の写真の1枚がこれです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(4)  鶉石(うずらいし)

2012年06月22日 | 硫黄島・小笠原村
これは、硫黄島の擂鉢山の山麓の南海岸の浜にある、鶉石(うずらいし)という珍しい石です。火山活動による特殊な環境でできたもののようです。世界的にも大変に珍しく、硫黄島以外には、イタリアの一部(一説によるとシシリー島)と、硫黄島の南海岸にしかない石です。
この南海岸は、擂鉢山の東側にあります。硫黄島戦で米軍が上陸をした浜で、多くの米軍兵の犠牲者が出た場所でもあります。

昨年は、硫黄島に上陸できませんでしたし、一昨年は、時間がなくてこの海岸には寄れなかったので、この南海岸で鶉石を拾えたのは、3年ぶりになります。

このブログを始めたばかりの頃にも、一度、鶉石を紹介したことがありました。

今回は、上陸した一日目の午後の時間に、この海岸に行きました。
やはり、この島の南東側も以前より、かなり、隆起が進んでいるようでした。

同じ海岸の中でも場所による違いもあるのかもしれませんが、以前よりは、大きくてきれいな鶉石は少なくて探して拾うのに苦労しました。
この写真は大きめで白いせんがはっきりしていてきれいに見えるものを集めて撮ってみました。大きいものの幅が8-9㎜ぐらいです。

今年、小笠原丸の行き帰りで、淵野辺高校の修学旅行の皆さんと一緒になりましたが、帰りの小笠原丸で、拾った鶉石のいくつかを、私たちのメンバーの中の先輩で戦前の硫黄島に生まれて住んだこともある方が淵野辺高校の先生に届けてくれて、どのような物であるかを、私と一緒に説明してくれました。その時に校長先生にもご挨拶させていただきました。硫黄島のことと、この珍しい鶉石のことを、高校の先生たちを通じて、高校生たちにも紹介していただけたことを、嬉しく思います。父島の修学旅行の思い出とともに、父島と同じ小笠原村に、激戦で有名になった硫黄島があって、そこには戦前は住民が豊かな暮らしをしていて、戦後の返還後も帰れない島になっているということと、その島に珍しい鶉石があるということを少しでも知ってもらえたらと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(3) 父島 小笠原海洋センターのウミガメのコータ君

2012年06月21日 | 硫黄島・小笠原村
小笠原丸の父島二見港入港から、硫黄島向けの特別便としての出航までの半日の自由時間、今年は、前もって、50ccスクーターを予約していたのに乗って、父島を回りました。
小笠原海洋センターを訪問して
昨年の9月の訪問の時以来の、のコータ君との再会でした。これで、5,6年、毎年、会っています。今年は、コータ君にあげるキャベツが売っていたので、買いました。相変わらず、元気いっぱいで、ばしゃばしゃと水をかいて、キャベツをねだっていました。いつも元気なコータ君に会うのが、小笠原訪問の楽しみの一つです。 行き帰りの小笠原丸で一緒だった修学旅行の淵野辺高校の生徒の方も、何名かいらっしゃっていたので、コータ君という名前だと教えてあげました。
今年の、小笠原、硫黄島の訪問について、父島の写真の紹介も交えながら、いよいよ、硫黄島でのできごとや写真についての記事に移りたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(2) 慰霊祭

2012年06月20日 | 硫黄島・小笠原村
今年の小笠原の硫黄島への慰霊、墓参の旅では、硫黄島に二日間、上陸することができました。主催の小笠原村役場の職員の皆様には、本当にお世話になりました。今年の運営は、本当に素晴らしかったです。心よりお礼申し上げます。森下村長、小笠原村議会の議員の皆様、父島の海でお仕事をなさる人たちが、例年のように、小笠原丸から硫黄島に運んでくれましたし、小笠原開運の笠原丸の職員の皆様方の多大のご尽力がなければ上陸できませんでした。上陸地点の整備には鹿島の皆様がお力を貸して下さっていると思いますし、歓迎して下さった自衛隊の皆様にも本当にお世話になりました。
慰霊祭は、6月16日、上陸してすぐに、旧島民平和祈念墓地公園で行われました。父島の小笠原中学校と母島中学校の二年生の方々が、慰霊追悼の素晴らしいお言葉を添えて下さいました。毎年、先生方のご指導もあって、本当に戦争のこともよく勉強なさった、素晴らしいお言葉です。とりわけ、硫黄島については、激戦の場であっただけではなく、戦前の島民の生活が豊かに営まれた島であったことにも言及して下さっている点を、嬉しく思います。 中学生の皆さん方と声を合わせて、今年も、「故郷の廃家」を大きな声で歌ってきました。 写真は、慰霊祭が終わった時に撮影した、献花台です。中学生たちの千羽鶴も、色、鮮やかでした。今年も、暑い中での慰霊祭でした。 昨年が上陸ができずに洋上での慰霊祭でしたので、今年は、思い出深い慰霊祭になりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(1) 今日、戻ってきました。

2012年06月19日 | 硫黄島・小笠原村
本日、今年の小笠原村 硫黄島への慰霊、墓参の旅から戻りました。ご支援いただいた大勢の皆様のおかげで、16日、17日、の二日間、硫黄島に上陸することができました。昨年が、上陸できずに洋上の小笠原丸での慰霊祭でしたので、今年、上陸することができて本当に良かったです。写真は、硫黄島に着いてすぐ、これから下船、上陸の準備に入る、16日の朝、小笠原丸から撮影した硫黄島の擂鉢山です。
今年で、7年連続の8度目の参加でした。今年、初めて見た場所もあり、非常に有意義な旅でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする