OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

2013年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(75) 兵器の残骸(2)

2013年09月30日 | 硫黄島・小笠原村
少し前に紹介した、硫黄島の鹿島の施設の近くにある、兵器の残骸の写真と同じ場所の違う角度から撮った写真です。
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2013年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(74) 硫黄島に咲いていた花

2013年09月29日 | 硫黄島・小笠原村
この花は名前が分かりません。硫黄島の鹿島の施設から少し行ったあたりに咲いていました。以前にも硫黄島か父島でこの花が咲いているのを見つけて写真を撮った記憶があります。
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2013年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(73) 硫黄島の南部の様子

2013年09月28日 | 硫黄島・小笠原村
硫黄島での二日目の昼食後の散策の時に、かなり下の方まで降りてきて、この写真を撮った辺りまで来てから引き返しました。
この写真を撮った時の背中側はもう少し下に海がありましたが、木々の隙間沿いに海が見えるという道の位置でした。
茶色いがけの面と植物の緑と、変化に飛んだ地形の場所でした。自分の足で歩いてみると硫黄島の大きさを感じることができます。
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2013年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(72) 壕の入り口の穴

2013年09月27日 | 硫黄島・小笠原村
二日目の昼食後に、厚生館から下がって、鹿島の横の道を入って海岸の方向に下がる道を散歩していた時に道路の脇に小さな下に向けて壕が続いていると思われる穴がありました。このあたりはあまり人が通ることもないと思われます。島全体にわたって壕が網の目ようにはりめぐらされていたので、このような小さな壕の出入り口も島の各所に、かなり多数あると思います。何の囲いも立ち入り禁止の札もない穴でした。
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2013年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(71) 海の方に下りる道

2013年09月26日 | 硫黄島・小笠原村
現在の硫黄島は、この写真のような道の両側が森となっているという風景が多いです。

この写真は、現在の自衛隊施設がある場所から降りたところを、鹿島の施設の横を入って海側に下っていく道です。舗装はされていませんが車は通れるように整備されています。この道を下ると海に近い外周の道にぶつかります。

今年は、二日目の昼食の後の休憩時間に特に他の場所に行かなかったので時間ができて、一人で散策をしました。

十数年前に最初に硫黄島に来た時に、パパイヤを取ろうと出かけた時に一人になってしまって、ガジュマルの木の根の間に落下して方角が分からなくなり、あわや遭難しかかった森にも近い辺りですが、
この道を通って下りたのは初めてでした。
以前の失敗の経験があるので、道から森の中には入りませんでした。

道から見えるところには、パパイヤや硫黄島島唐辛子などの目ぼしい植物もみつけられませんでした。

海から見るよりは高低さと広さがある島であることが、歩いてみるとよく分かります。
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2013年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(70) ハイビスカス

2013年09月25日 | 硫黄島・小笠原村
硫黄島で撮ったハイビスカスの写真です。いくつかの場所でハイビスカスを見ることができますが、この場所には、赤以外の色のものもあってきれいです。自衛隊施設がある場所から南に向かって坂を降りた場所にある鹿島の設備の敷地のハイビスカスです。
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2013年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(69) 兵器の残骸(1)

2013年09月24日 | 硫黄島・小笠原村
今年の6月に硫黄島に慰霊墓参で行った時の様子の紹介を、しばらく中断していましたが、再開いたします。

この写真は、厚生館など自衛隊施設がある場所から海岸方向に向かって坂を下がったところでぶつかる通り沿い、島内の設備などの工事をしてくれている鹿島の施設の入り口のところにある、武器、兵器の残骸がまとめて置かれている場所です。前に紹介したB-29のプロペラの残骸の近くです。私たちの島内の視察見学のコースにも含まれていなくて説明を受けたこともありませんので、おそらくは、鹿島の方が工事などの時に見つかったものをここに集めてくれているのだと思います。もっと大規模な兵器としては、水平砲が、摺鉢山麓と大阪山砲台とにあるのを見学することができます。それらは、コースの中に入っていて、説明があります。
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フィリピンのエルニド(5)

2013年09月23日 | Weblog
エルニドでシュノーケリングをしながら撮った写真です。

海が美しくて、島々が多くて、暑くて、我らが小笠原と似ているなと思って、今回、このブログでも写真を紹介しました。今年が初めてで、数日間いただけなので少しだけ見ただけですが、おそらく、観光と漁業が産業であるところも、人々が人懐っこくて暖かいとことも、小笠原との共通点なのではないかと思います。
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フィリピンのエルニド(4)

2013年09月22日 | Weblog
この写真はパングラシアン島リゾートのフロントのすぐ前から夕暮れのビーチを撮ったものです。このリゾートは本当に豪華でした。

ラゲン島とパングラシアン島の両方で島内の山に入るハイキングにも参加しましたが、ラゲン島では山を越えて隣のビーチまで行くコースで帰りはボートに迎えにきてもらいました。
パングラシアン島では山の中腹に開けた展望台までの往復でした。

ラゲン島の山の中には巨木がありました。Duklitanという名前の木で、根が地上に出ているのですが、その根の下の部分が板上になって、四方に伸びているという独特な形をしていました。がじゅまるの根は筒状に地上に出ていて地面との間が空間になっていますが、この木の根の下に空間がなくて板になっているというものでした。

パングラシアン島にはその巨木がありませんでした。海を隔てて1キロほどしか離れていないと思うのですが、植生が全然異なっている理由は、パングラシアン島のハイキングのガイドが教えてくれました。ラゲン島と違ってパングラシアンには鉄やニッケルといった重金属が多い土壌であるために大きな木が育たないそうです。

また、ラゲンもパングラシアンも、タガログ語方言の言葉の地名で、ラゲンは「石のストーブ」でパングラシアンは「汗をかくこと」という意味だそうです。
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フィリピンのエルニド(3)

2013年09月21日 | Weblog
この写真は、ラゲン島から西側のパングラシアン島方向に向かって撮影した日没後の空と島々です。先に同じものをFacebookに投稿いたしました。また、携帯端末のカメラで撮った写真を直後にFacebookに載せたところ、多くの友人からの反響があった写真です。

エルニドでは、船で沖合に出てのサンセットを見るツアーに二度、5時半集合のサンライズを見るツアーに1度、参加しました。どちらも雲があるかどうかなどのコンディションによってどんな日没や日の出が見られるかが左右されます。
この写真はラゲン島の二泊目にサンセットツアーに沖合に出てからラゲン島に船が戻った直後に撮ったもので、既に日没から二十分ほど経った時点です。ちょうど、雲の具合も良くてこのような素晴らしい空の色になったのだと思います。あまりの色の美しさにため息が出てしまいました。


エルニドのリゾートのスタッフは皆、親切親身でした。ラゲン島に到着すると直後に、アクティビティの時間表が渡されました。サンプルであり提案として、どんな順番にしたら良いかの説明もありました。その提案に対しての時間や順番の変更や追加も受けてもらえます。サンセットやサンライズを見に行くツアーに、隣のミニロック島へ行っての朝食から続けて魚にエサをやるショーとシュノーケリングや、別の島にピクニックランチに行ってのシュノーケリング、洞窟とラグーンの見学とカヤック、島の山の中に入ってのハイキングなどなど、どれに参加するのも、ツアー料金からのリゾート利用宿泊料金に入っていました。
それぞれのガイドしてくれるスタッフがみんな、人懐っこくて、いろいろと話しかけてきてくれて教えてくれました。

ラゲン島では水上コテージ、パングラシアン島ではプール付きヴィラと部屋の設備も申しぶんなかったです。レストランのスタッフの人数だけでも宿泊客よりも多い人数の人が働いているのは間違いなくて、全体のスタッフとしては何倍もの人数が(天気には恵まれましたが雨季で空いていました。)いたと思います。
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