硫黄島島民平和祈念公園から海に向かって、左側には、今も沖合いの島のまま(戦前には沖合いの島であった隣の釜岩は隆起で陸続きになった)の監獄岩が見えます。左の方に目を向けると、このように沖合いに錨をおろしてのんびりと停泊している私たちを乗せてきてくれた小笠原丸が見えます。
これは、前回紹介した硫黄島島民平和祈念墓地公園にある硫黄島開拓之碑の碑文が書いてある側です。前回に続けて、オレンジ色のタオルを首から提げた戦前硫黄島生まれの先輩(私が大好きな、尊敬している方です。)と、オレンジ色のキャップをかぶってカメラを構えているのが撮影者の私です。
父島経由での硫黄島訪問では、帽子は必需品です。それなのに、今回は持ってくるのを忘れてしまって、往路に寄った父島のみやげ物店で買ったのが、Ogasawaraと文字の入ったこのキャップでした。
父島経由での硫黄島訪問では、帽子は必需品です。それなのに、今回は持ってくるのを忘れてしまって、往路に寄った父島のみやげ物店で買ったのが、Ogasawaraと文字の入ったこのキャップでした。
これは、硫黄島島民平和祈念墓地公園の入り口に近いところにある、硫黄島開拓の碑 です。このように表側には、硫黄三島の位置が示されています。反射して写ってしまっているオレンジの帽子が撮影者の私で、隣は、毎年かかさず参加でここ十年いつも一緒でお世話になっている戦前硫黄島生まれの先輩の肩です。昭和19年の強制疎開での引き揚げの時に5歳だった方です。裏面の碑文の写真は、明日紹介します。
硫黄島の硫黄島島唐辛子の写真を撮って紹介するのはこれが初めてだと思います。いつも、一粒でも多く採ろうと夢中で、写真を採る余裕などこれまでになったからです。
これは、慰霊式典が行われた会場の硫黄島島民平和祈念墓地公園の入り口からちょっと、森の中に、10メートルほど入ったところにあった、木です。このあたりにありそうだとは思っていましたが、ちょっと実がとられているだけで、ほとんど手つかずの、こんなに大きい木が、ここにあるとは思っていませんでした。
いつも、硫黄島島唐辛子をつまみときは、だいたい、先輩の方と二、三人で一緒にやるのですが、今回は一人で、この木の実を採りました。今回の硫黄島では、その後も、かなりの唐辛子を採りましたが、この時間だけでも相当に多くを採れて、幸先のよいスタートでした。
慰霊式典会場に着いてから、式典開始までには1時間ちょっとの時間がありましたので、夢中で採りました。厚くて滝のように汗を流しながらの作業でした。
前までは、どこに硫黄島島唐辛子の木があるのかを見つけることができずに、先輩の方が見つけると、「どうして、ここにあると分かったの?」と不思議でたまらなかったのですが、この、2、3年で、慣れてきて1年前の記憶で知識として知っているというのに加えて、どんな場所にありそうか、なども分かるようになってきて、今では、一行の中でも、硫黄島島唐辛子を見つけて採る、スペシャリストとして知られるようになりました。
これは、慰霊式典が行われた会場の硫黄島島民平和祈念墓地公園の入り口からちょっと、森の中に、10メートルほど入ったところにあった、木です。このあたりにありそうだとは思っていましたが、ちょっと実がとられているだけで、ほとんど手つかずの、こんなに大きい木が、ここにあるとは思っていませんでした。
いつも、硫黄島島唐辛子をつまみときは、だいたい、先輩の方と二、三人で一緒にやるのですが、今回は一人で、この木の実を採りました。今回の硫黄島では、その後も、かなりの唐辛子を採りましたが、この時間だけでも相当に多くを採れて、幸先のよいスタートでした。
慰霊式典会場に着いてから、式典開始までには1時間ちょっとの時間がありましたので、夢中で採りました。厚くて滝のように汗を流しながらの作業でした。
前までは、どこに硫黄島島唐辛子の木があるのかを見つけることができずに、先輩の方が見つけると、「どうして、ここにあると分かったの?」と不思議でたまらなかったのですが、この、2、3年で、慣れてきて1年前の記憶で知識として知っているというのに加えて、どんな場所にありそうか、なども分かるようになってきて、今では、一行の中でも、硫黄島島唐辛子を見つけて採る、スペシャリストとして知られるようになりました。
硫黄島に咲いていたトケイソウの花です。今年の硫黄島では、咲いているトケイソウはここ、硫黄島島民平和祈念公園でしか見ませんでしたが、ほうずきの実よりちょっと大きい網掛け状の膜の中にあるトケイソウの実は、硫黄ヶ丘近くなど、あちこちで見かけました。色づいた実は甘いそうで、食べていた人がいました。 ですが、このトケイソウがパッションフルーツの原種だそうですが、実の形状がパッションフルーツとは全く違うのが不思議です。
硫黄島島民平和祈念墓地公園の海側にある広場にあった木です。白い花が咲いていました。このあたりには、例年ですとタコの木にタコの実がなっているのを見ることができる場所ですが、今年はこの木の花が目立ちました。毎年、すこしずつ、天候の違いのせいなのか、違った様々な花々を見ることが出来るのも、硫黄島の魅力の一つだと思います。
硫黄島島民平和祈念墓地公園の中の、古くからの島民墓地の碑がある場所の写真です。この墓地公園は、戦前にあった硫黄島の島民の集合墓地とは場所は違うそうです。この日は、ホウオウボク、プルメリアなど花々がきれいに咲いていました。
これが、以前からあった方の、旧島民で軍属として硫黄島に残って戦没した犠牲者たちの名前が刻まれた碑です。多くの若い命が散りました。18歳の、うちの母の二人の従兄弟たちと、34歳で散ったうちの祖父のすぐしたの弟の名前もあります。子供と妻を内地に送り届けながら散った母の叔父、親たちを見送りながら自分たちが散った、母の従兄弟達、、、どれほどの無念の中で死んでいったのかを知るすべはありません。
硫黄島島民平和祈念墓地公園の屋根があって慰霊式典の会場になる場所より手前の広くなっている場所です。ここの入ってから奥に向かって右側に、旧島民の墓碑があります。公園手前側入り口に近い場所には黒い石の大きな碑に旧島民で軍属として硫黄島に残って戦没した犠牲者の名前の碑がありますが、その碑は新しいもので、オリジナルの以前に作られた灰色の碑も、この旧都民の墓碑とところにあります。私たち旧島民関係者は慰霊式典が始まる前にまずはここに手を合わせます。
硫黄島に上陸して最初にあるのが、全員参加の慰霊式典です。式典の会場である硫黄島島民平和祈念墓地公園までは釜岩の上陸地点からバスで10分ちょっとで着きます。その硫黄島島民平和祈念墓地公園の入り口にある行幸の碑です。