OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

鉄火味噌の味、会長の思い出話

2008年04月03日 | 硫黄島・小笠原村
記事の更新がずっとできずに、申し訳ありませんでした。

先に、ニュースですが、
恒例の小笠原丸での、父島経由の墓参訪島が、今年2008年は、
「6月11日が出発日」という情報をいただきましたことを
お知らせいたします。
「発表、募集要項、参加希望有無」は、これから、届くと
思います。
今年も、是非、行きたいと思っております。


2007年9月の川崎日航ホテルの集まりでは、
毎年恒例の、抽選会や、参加者へのプレゼントなどを数多く、ご用意いただいていて、もらいました。
幹事、事務局の皆様、遅ればせながら、本当にいろいろな品々をありがとうございました。
「ブログなどで紹介しないで欲しい。」と提供者の方がおっしゃっていましたので、お伝えできない、特製のプレゼントもありました。

以前、このブログの最初の方で、「タコの実」のことを、持ち帰って、家で割って食べた話を紹介いたしました。
6月の訪問で、硫黄島から持ってきた「タコの実」でした。

6月の訪問で、一緒だった、硫黄島帰島促進協議会の理事の方が、
「タコの実で、鉄火味噌を、以前に島民が作っていた。そのように
作る予定があるのですが、とても多くのタコの実が必要。」と
おっしゃっていました。

持ち帰って、実家で実から房をはずして、房を割って、
食べる部分を取り出す、という作業をしながら、
「この食べる部分が少ないものを、苦労して取り出して、鉄火味噌にするとは、どれほどの重労働で、いくつのタコの実が必要なのだろうか?」と不思議に思いました。参加者の全員が、いただくことができました。脂肪分がありますが白くて味は淡白なタコの実を甘めの味付けの鉄火味噌に作っていただいていました。

戦前の硫黄島では、苦労して房を割って、取り出して、この鉄火味噌を作って食べていたそうです。当時の様子が思い浮かぶよう気がしました。

会長が、
私の祖父の思い出を話してくれました。
やはり食べ物に関係する話なのですが、捌くのが特別に大変な物を前にして、
最初は、怯んでしまった会長は、祖父から、「何だ意気地がないな。」と言われたそうです。
それから、一念発起して、大変な作業だったそうですが、
上手く捌くことができて、「よくできた。」と、褒められたことがとても嬉しかったことが、私の祖父についての、会長の一番の思い出だそうです。


今半年も前の昨年の9月の集まりでの、楽しかった話を今頃になって報告していますが、あの集いに一緒に出席していた母が、昨年の11月20日に他界しました。
「また、もう一度、島に行きたい。」と、昨年6月の私の墓参帰島の報告を聞いて、申しておりました。

島への思い/想いは、一様ではなく、

戦前の島出身の方々、および、私のような、その子・孫、とりわけ島に軍属で子供、親、兄弟などを亡くした悲しい思い出を持つ人、

それに島で大切な親族が戦争の犠牲者となった遺族の方々、
皆、それぞれに違うと思います。

多くの人に、硫黄島のことを知っていただき、活発な議論をしていただきたいと思っておりますが、戦争の傷跡が深く残されたままの、火山活動が活発で、自衛隊の方々が駐在している島に、
旧島民が、帰島できる具体的な見込みや計画は無いのが、現状です。


(2008年5月29日に写真を追加しました。 軍属として島に残った人の多くが所属したと伝えられる204設営隊の釜場跡の写真です。)
コメント
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