OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

パラカップ2009 に参加して

2009年04月30日 | ランニング
パラカップ2009 ハーフマラソン 結果 1時間45分25秒


自転車で会場に向かい。受付開始直後に着きました。
まだ、あたりは空いていて、nformationのところに、
代表 ゆきさん がいましたので、
「心配していた暑さも、これぐらいで、良いコンディションになりましたね。」と
声をかけたところ、やや緊張した表情で、
「いや、気温は上がっています。油断しないで、十分に水分補給して下さい。」
と、言葉をかけて下さいました。

私は自分のコンディションと気候のことだけ考えて、
「風もないし、この気温なら消耗も、それほどでない。安心した。」
と思ったのですが、
代表 ゆきさん はじめ、スタッフの方々は、
大会全体のことを考えないといけないお立場です。
ふだん、あまり走りこんでいない方もいらっしゃるでしょうから、
十分な給水ポイントを設けて下さっていましたが、
本当にたくさんの準備を重ねてきてくださって迎えた大会当日
ランナーみんなのことに、気を配って下さっている様子が伝わりました。

スタート地点でも、盛り上がっていました。
「世界の子供たちのために走るぞ。」という声が、
上がっていました。

目標タイム風船をつけた、ペースメーカー・ランナーの
方もいてくれました。これは心強い、と思い、
スタート2キロぐらいで、「1時間45分」の方を抜きました。

まだ、前半、4キロ手前、古市場のトラック3周は、私がトラックに入った頃に3週して抜けてコースに戻って行くランナーは、かなり上位のスピードのある人たちでしたし、
私が3周終わって出て行くときに、入ってくる方は、そこそこのペースの方たち
でした。 このあたりでは、まだ、余裕がありました。


結果は、
昨年11月出場の初ハーフマラソンだった
「2008川崎国際多摩川マラソン (旧多摩川ハーフマラソンin川崎)」の
ネット、1時間41分台前半より、5分も遅かったです。
コンディション(気温、体調などなど)の違いという部分も大きいと
思いますが、「今日のコースは、きつかった」、と感じました。

ほぼ同じ、多摩川の川崎側 ガス橋-二子橋間を使う
「川崎国際多摩川(一昨年は古市場スタートの公認コースだったそうです。
昨年から等々力競技場がスタート、ゴールに変更されました。)」と、
今日のパラカップのコースの違いは、
「川崎国際多摩川」は、一般道路があるのに対して、
パラカップは、全部が河川敷だった点です。

ガス橋-二子橋間の多摩川を、ハーフの距離にするために、
前者は、競技場を出てから、多摩沿線道路を一度、上流方向に向かってから、多摩川に出て、最後も一度、等々力競技場を上流に通り過ぎてから、道路に戻って
競技場に戻るコースにしていました。
一方の今日のパラカップは、前半の古市場のトラッ3周と、
ラスト近くの河川敷の小道を1周(これが、きつかったです!!)で、
ハーフの距離になっていました。

以前は、「道路は脚への負担が大きくて辛くて、河川敷は走りやすい」と
思っていましたが、
上級ランナーの方にとっては、「硬い道路は反発力、推進力が
大きく、走りやすいが、フカフカの場所は、吸収されてしまい、タイムが
出にくい。」のだと知りました。

今日のコースは、河川敷でも、道は未舗装道路という感じで、
硬いのに、細かい砂が摩擦を下げて、反発力をもらいにくいという、
私のようなレベルにとっては、「脚への負担は道路なみなのに、
道路面のようなスピードは出なくて消耗する。」だったと思います。

また、昨年の11月のハーフの時には、河川敷の部分も
今日のコースよりは、速度は出なくても脚にはやさしい、フカフカの部分を走った距離がもっと多かったように思います。

二つの出場したコースを比較して、「今日のは、きついコースだった。」などと
言ってしまいましたが、条件はハーフに出た全員一緒。
ラスト近く、私が減速してしまっている横を、良いペースで抜き去っていった
女性ランナーの方もたくさんいらっしゃいました。
実力が違っていました。


事前にメールやホームページ、公式ブログで知らせてもらっていて、
既に本日出場なさった方がブログに写真で紹介してくれています
ように、1キロごとに大きな、子供たちの写真入り、距離掲示が
ありましたので、ラップを取りやすかったです。
前半10キロは48分、思っていたぐらいのペースでした。

「来るんだろうな」とは思っていましたが、残り3.5キロのところ、
昨年11月初ハーフの時とほとんど同じ距離で、
ふくらはぎ、痙攣が始まりました。
昨年は左、ふくらはぎから、右ふくらはぎに痙攣が広がりましたが、
今日は、左の腿の前と裏が、次に痙攣し始めました。
18キロ地点からゴールまで、3キロちょっとを、18分以上
かかってしまいました。

それでも、大きなケガもなく、完走できて良かったです。
ちょうど、半分ぐらいの距離の時には、
「生まれ育った、川崎で、このような特別な大会に出れることは
何と幸せなことなんだろう!」と、感動しながら走っていました。

これも、事前に聞いて知っていましたが、応援して下さる
ボランティアや皆様(野球少年たち、というのもいました)との
ハイタッチの回数は、数えられません。何度か、手を出して下さって
いるのに、サボりました。すいません。

「ぜっけんの下に、応援で呼んでもらいたい名前を書くと
たくさん応援してもらえます。」も、事前に知らせてもらって
いましたし、
練習会コーチの白方コーチも、「とても多くの応援、呼んでもらえる。」と
コメントしてくれていました。

私は、「いおうとう」と書いて、
「硫黄島キャップ」(父島でおみやげで買える方。青)をかぶって
走りました。何人もの人に、呼んで、声援をしてもらいました。
ありがとうございました。普通のランニングの大会とは
全く別の経験ができました。

「いおうとう さん、頑張って。」という声援なのですが、
「○○ちゃん」 とか、書いていらっしゃる方は呼びやすかったでしょうが、
ニックネームでも姓、名でもないのを書いていたので、変だったと思います。

「ゼッケンに何と書こうか」と迷って、「いおうとう」の5文字に、私の姓の3文字が、順番どおりに入っていることに気がつきました。
こちらが走って通過していく時に、ゼッケンの番号の下に書いてあるのを
読んで、声援をして下さるのですから、読みにくく、呼びにくかったと思います。中には、割と年配の方で、「いおうとう」の「おう」を抜いて、
私の姓そのままに「さん」をつけて、声をかけてくださった方もいました。
どちらにしても、応援してもらっていることが分かり、力づけられました。

きついラストで、ゴールしてもしばらくは、ストレッチもできないぐらいでした。
第二回練習会の集合場所を提供して下さった「山河の湯」が、
足湯を提供して下さることは、
練習会で聞いていて、メールでも案内を受けていました。
(多彩なランナー・サービスがあって、受けたら
寄付金を入れると、子供たちに届く仕組)
「足湯」(20人分、用意してくれていました)は、列になっていませんでしたので、近づいて、協賛の「山河の湯」ご主人に「練習会でお世話になりました。」と
声をかけたりしていると、すぐに空いて、順番になりました。
さっそく、足湯につからせていただこうとした、その時に、
悲劇が!

靴を脱いで、靴下を脱ごうと脚の角度を変えたら、まず、
ふくらはぎが攣って、痛みが襲って、動かすことができなくなりました。
ふくらはぎをおさめようと足の角度を変えたりしようとすると、
今度は、腿の外の表側、慌てて、鎮めようとすると、
次には左足、、、と、、しばらく、もがいていました。靴下を脱ぐのに
こんなに、苦労して時間がかかり
同時多発的に両足のあちこちが攣って動かなくなったことは、
陸上部で短距離をやっていましたが、以前、経験したことがない、すさまじさでした。

筋肉、持久力の鍛え方が足りないし、走りこみ不足で、
実力がついていなかった結果ですので、
まずは休めて、痛みがひいたら、また、練習再開したいと思います。

このような特別な大会に参加できて、
本当に嬉しく思います。
入念に準備をして下さった、スタッフとボランティアの皆さん、
協賛の皆さん、多くの関係者の方々のおかげだと感謝しています。
ありがとうございました。


当日、現地で受付の
「世界の子どもたちへ「小さな贈りもの」を届けてみませんか?」
と、本(ブックオフと提携、ブックオフが買い取り価格に金額を
上乗せして寄付金にしてくれる)と、
夏物、新しいもので、「子供服」「サンダル、くつ」「ミニタオル」を
募集していました。
本と、海外でお土産にと買って配らなかったティーシャツ(安物、新品)と、
「ぎょさん 2足」を持って行きました。 ぎょさん ?

小笠原の方と、前の記事などを読んで下さっている方、
以外の方には、「ぎょさん」が何か、お分かりにならない方が大半だと
思います。

昨年の夏の、ヨコハマHAWAIIフェスティバルの小笠原村ブースで
購入(このブログの記事でも書いてます。)したものです。

父島では、履物の標準は「靴」ではなくて「ぎょさん」です。
ブックマークにあります ブログ「エンジョイ!島ライフ」さんが、
「公会堂での集まりの、入り口に並んだ、集まった島民の、ぎょさん
の多さ」という記事、写真を前に書いていました
( ぎょさんの通販も、「エンジョイ!島ライフ」から行けます。
http://plaza.rakuten.co.jp/ladygray/ )
父島のスタンダードな履物も、こちらでは、あまり、生活習慣と合わないのか、
家の者にも不人気で、使われず買ったままになっていたものです。(少し、ほこりかぶっていたのを払い落として持っていきました。)

距離的にも、気候風土も、関東地方より、フィリピンに近い
小笠原村の父島の「ぎょさん」、たった2足ですが、
フィリピンの子供に届いて、喜んでもらえると嬉しいな、と思います。
「小笠原村」はこのブログ開始のきっかけですので、パラカップを通じて
フィリピンとが、つながれば、と思います。
(「ぎょさん」は、安物そうに見えて、なかなかの優れもので、
父島の土産店でも、買えますが、こちらの靴屋やドラッグストアでの安売りや、
100円ショップなどで見る似た形状のものとは、違います。)


ゴールをして、
メダルを首にかけてもらいました。脚が痛かった、その時にも嬉しかったですが、
後から、じわじわと、嬉しさがこみ上げてきます。

このメダルは、世界に一つしかない 宝物です。
名前も顔も知らない、子供が書いてくれた絵は、
黄色いお皿にパイナップルが乗っている絵です。

来年も参加したいです。
よろしくお願いいたします。


次回出場予定レース
(トップギアのチームで登録していただきました。)
第25回横田駅伝(一人5キロの4人チーム)
開催日:2009年6月7日(日)
開催地:東京都(福生市)
コメント

「硫黄島」として、まとめた内容を掲載して下さっているホームページ

2009年04月24日 | 硫黄島・小笠原村
ブックマークでリンクさせていただきましたワシモ様のホームページの

「レポート&雑感」の「お便りから」に「硫黄島」と
まとめていただいて掲載してもらっています。

本当に、お礼の申しあげようもないほど、
ありがたいことです。

ワシモ様のホームページには、
多くの、歴史や旅行記、俳句などについての
記事がたくさんあります。

「掲示板」には多くの人が、写真を送付なさっていて、
それに、ワシモ様が、返信をして下さっています。

「硫黄島」とまとめていただいた内容は、
妹(昨年、小笠原丸では初めて、前に入間基地から日帰り墓参
と合わせると、通算で派、二度の硫黄島訪問経験あり)と
私が、ワシモ様ホームページの「掲示板」に写真を
勝手に送りながら、お伝えした内容を、
ご丁寧にまとめなおして下さったものです。

ワシモ様との出会いは、
私がこのブログを初めたばかりの頃でしたから、この夏で
丸二年になります。


ワシモ様が、検索で、見つけて下さった
私のブログの記事は
慰霊祭で歌う「故郷の廃家」についての拙い文章でした。

別の方や、「島民の集い」で一緒になる方からも
この「故郷の廃家」についての記事について、
触れていただきましたから、
これまでの、記事の中で、最も反響が大きかった記事です。

その後も、
「集い」で歌ったこと
「2008年の慰霊祭でも歌ったこと」
などで、「故郷の廃家」について、書いていますが、
最初にブログを始めて間もない頃、
2007年の訪島から戻ったばかりの7月1日に
書いたものが、ワシモ様との巡り合いのきっかけでした。

ワシモ様がこの記事を探してくださったキーワードは、
この曲、「故郷の廃家」の作詞者
九州 熊本県人吉市出身の作詞家、「犬童 球渓(いんどう きゅうけい)」
でした。

最初の記事に書きましたが、
この歌についてのエピソードは
小笠原村 発行のパンフレット
「硫黄島 -硫黄島島民平和祈念墓地公園開設15周年記念- 」
からの引用に、私の意見を少し書いたものでした。

慰霊祭での献歌 「故郷の廃家」
http://blog.goo.ne.jp/admin.php?fid=editentry&eid=491a0e0dac4ed53fba73705598852613

として載せましたところ、

ワシモ様が、お問合せメールを下さって、
メルマガの記事にしていただいて、
ホームページの「レポート&雑感」に
◆『故郷の廃家』と硫黄島
として掲載して下さいました。

私が、ブログを始めたのが、
2007年の訪問からの帰りの船で、
「硫黄島について、島を見た者として伝えたい。
島民が戦前に住んでいた島だという部分が、
このまま時間が過ぎると風化してしまうのを
防ぎたい。」と思ったのが理由でした。

「故郷の廃家」、「犬童 球渓(いんどう きゅうけい)」の
縁で、
距離的には離れた場所、九州から
ワシモ様に、このように、扱っていただくというご厚情を
賜れたことは、本当に幸せなことだと、感謝の念でいっぱいです。



毎年、「故郷の廃家」を、大きな声で歌うのは、
硫黄島での慰霊祭
川崎での「島民の集い」
の2回です。どちらも伴奏なしの斉唱です。

リズムを合わせるのが難しいのですが、メロディーと和音の進行は
単純な曲です。
硫黄島には楽器を持ち込めませんが、
母島と父島からの中学生たちが、しっかりと習ってきて歌ってくれますので、
島民参加者(平均年齢が高い)連中の歌が、
調子が外れても、大勢に影響はありません。


問題なのは、「島民の集い」の方です。
「集い」には、ギターを持ち込めれば、伴奏ができるかと思います。
ただ、あのご出席の方々(平均年齢がさらに高い)が、
伴奏に合わせてくれそうには思えません。
昨年は、司会の方が合わせやすく、合いの手を入れて下さって、
何とかなりました。その前の年などは、ひどいもんでした。
今年の集いでは、
歌う前に、「注意点」解説をしようと思います。

「 「荒れたる」の「る」、「わがいえに」の「に」は、
全音符(4/4拍子の1小節まるまる分=全音符分=4分音符4つ分の
長さ)分の4拍、しっかり延ばすように。 」と、
参加者に協力を求めようかと、考えております。

上手に歌うことが目的 ではありませんが、
せっかくの歌です。
この歌を歌うことで、島で若い命を落とした、戦没者の方々が
どんな思いだったかに、想いを寄せながら、私ども「島民」にとっては
帰れない島である 故郷の島 への、望郷と希望を 表せるように、
声を合わせることは、大事だと思いました。


ワシモ様、
本当に、ありがとうございます。


写真は、擂鉢山の山頂から、島とは反対の海側真下方向撮影したものです。
以前に、小笠原丸で一周の時に、この擂鉢山の裏側を撮影したもの
を掲載しました。
山頂からは、このように緑ではない白くえぐれている部分が
断崖となって海に落ちています。
コメント

パラカップ2009 第二回練習会に参加しました。 UVケアについて。

2009年04月22日 | ランニング
(この記事のタイトルとは別の、硫黄島について、いただきましたコメントについて、最後にお礼を書いています。)

パラカップ2009本番まで、残すところ10日あまりの
18日(日)に、二子玉川:瀬田温泉「山河の湯」集合して、
練習会に参加してきました。

午後、コンディションは、気温が高めで、風がややありました。

協賛のスーパーVAAMを一本もらって飲んでからスタートでした。
私は、ランニング前にVAAMは習慣にしています
(以前の、硫黄島を走った記事の時にも書きました。)ので、
直前の着替えの時に既に、VAAMを一本飲んでいました。
(スーバーVAAM発売時のモニターに応募してはずれました。
その日によって、スーパーVAAMからVAAM缶の
どちらかを飲んでから走るようにしています。飲むと後半、一粘りが
期待できますが、たまに飲み忘れると、ばてます。前回の
多摩ロードレース、飲み忘れました。)


コーチ陣は、前回の練習会と同じ白方コーチのTopGearの皆さんで、
今回は3グループに分かれての練習でした。

本番のコースは、多摩川の川崎側、丸子橋の上流と下流ですが、
練習会では、東京側を、上流の狛江方面に向かって走りました。

多摩川サイクリング・コースは子供の頃から馴染み深い場所ですが、
川崎在住ですので、東京側には、めったに行きません。

高校時代の20キロ強歩大会(目立とうとして下駄で参加したら、
スタート直後にマメができて、痛みに苦しみながら、川崎大師まで歩いた)
以来だと思います。

前にはなかったと思いますが、コースの路面に500メートルごと
距離表示があり、走りやすいコースでした。
対岸は、高校の時のマラソン大会(8キロ)の、二子橋付近で折り返して
上流に戻るコース。大の長距離嫌い、苦手だったので、
「なぜ陸上部なのに、そんなにひどい順位なのか!」と、
陸上短距離種目をやっている中には8キロでも苦手で走れないのが
いるということを知らない女子に、非難された苦い思い出があります。
8キロ、10キロでしたら、陸上部のきつい練習に明け暮れていた当時より
今の方が速く走れます。


コーチを先頭に、キロ6分というペースで、上流に向かって、10人ほどの
グループで走りました。
汗ばむぐらいのペースでしたが、痛みが残ってる脚でも大丈夫なペースです。
折り返して後半は、向風になり、ペースもキロ五分半に上がりましたので、
やや息が上がるといった走りでした。7キロほど、多摩川を走って、
246号線沿いをジョギングで、山河の湯に戻りました。

戻ると、広い部屋に集合して、PUREMINA スポーツアロマステーション
からのトレーナーをお迎えしての、
アロママッサージ ケアについての説明と、
オイルをもらっての実際に自分でマッサージ・ケアの練習でした。
比較結果が分かるように片足をマッサージしました。
痛みが一番強かったのが、左アキレス腱から外側くるぶし下にかけて
でしたが、マッサージをしたことで、翌日は、右のアキレス腱痛より
左の方が鎮まっていました。さっそく、これからもやってみようと
思います。

その後、温泉の湯につかり、好きなサウナにも入りました。

パラカップのスタッフの方とも一緒に走り、露天温泉で
話もできました。お聞きしたところ
スタッフの皆さんの忙しさのピークだそうです。

3000人規模の大会を、スタッフとボランティアの方の手で
実施するのですから、やることは多くて、本当に大変だと思います。

パラカップ2009のホームページ
http://www.paracup.info/2009/
によりますと、システム不具合で、当日案内
(私には届いています。)送信の
遅延が起きているので、「もうしばらくお待ちください。」と
あります。それぐらい3000人のランナーというのは
大規模な大会だということだと思います。
スタッフ、ボランティアの皆様のおかげで実施される
大会に出場できることを本当に楽しみにしております。


参加者へのメールと、公式ブログhttp://blog.livedoor.jp/paracup/archives/51367113.htmlで
で、『UVケア無料サービス』というのが当日あると紹介されています。

が、

「女性ランナー限定」だそうです。

私が定期購読している雑誌でも「UVケア」の重要性はよく
書かれていて、「男にとっても重要」「今、怠ると後で
大きな違いが出る。」などという記事が良く出ます。
前は、「男が、ケアとか、クリームとかみっともない。」
と思っていましたが、そんなこと言ってる場合ではありません。

実際に硫黄島では、このあたりと比較にならない紫外線量ですので、
UV対策必須ですので、ケアについても気にするようになりました。

3000人ですあから「女子ランナー限定」でも仕方ないのですが、、、、
本当に危険なのは、実は、男子の方かもしれません。
女子はもともと、ケアをする習慣があるでしょうが、
男は無頓着なのが多いと思います。

ファンデーションがUV効果があるそうですし、
日差しの強い日の日傘や帽子も女性でしたら自然ですが、
男で日傘は無理ですし、
オフの日はともかく、ビジネスマンがスーツに帽子姿というのも普通は
ないので、
紫外線を浴びて、UVケアがおろそかになっていて、ケアを考えないと
将来深刻なダメージを受けるのは、男の方だと思います。

「無料サービス」が、女子ランナー限定ということですので、
こうなったら、自分でクリームをいくつかの強度のを
多めに、当日は持って行こうと思います。
(まわりの男子ランナーにも、お分けしたり、
余ったら、硫黄島でも使えますし。
硫黄島訪問用には首の後側まで覆う帽子を購入しました。)

「目のケア」も大事で、「専用サングラスを」という記事を
見ることも多いですし、
「当日は帽子を」と、パラカップ事務局からの案内メールに
ありました。
水分補給に要注意、は言うまでもないことです。


写真は本日撮影した、朝顔です。
つるが勢い良く伸びていく時期も、花をたくさん咲かせる時期も
嬉しいですが、やっぱり、「芽が出た時」が、一番、嬉しいです。



【いただきましたコメントについて】

・4月4日に、「硫黄島写真館」主宰の おさピー様から、
コメントをいただきました。ありがとうございました。
「5月に滞在」と、ありましたので、
「5月に、遺骨収集があって、お手伝いいただくのかな」と思ったのですが、
今年の遺骨収集は、もっと、遅いタイミングだと分かりました。
通常のお仕事での滞在かと思われますが、5月も既に暑くて大変だと
思いますが、島でのお仕事、お気をつけて、頑張って下さい。

・「遺骨収集」について検索をしていたところ、
ブログ「心に青雲」に、3月27日に「戦没者遺骨収集の是非を問う」という
投稿をして下さっているのを見つけました。
とても考えさせられる内容でしたので、主宰者様にコメントを送付して
トラックバック、ブックマークで紹介させていただくことのご承認を
お願いしましたところ、ご承諾いただける旨のご返信のコメントを4月16日に
いただきました。ありがとうございました。
私から、「心に青雲」主宰者様に出させていたコメントに
「感想はあらためてコメントいたします。」だったのですが、
読むほどに考えさせられる内容なので、まだ、コメントできずにいて
申し訳ございません。
島民・遺族関係という立場で、「このブログでは、先の大戦での硫黄島戦の
意味についてなどは触れません。」という立場を取っている私ですが、
この「遺骨収集問題」を提起して下さった、
「心に青雲」主宰者様には、心より、感謝の言葉を申しあげたいと
思います。ありがとうございます。
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良いマナーの伝播について - パラカップ2009もうすぐです。

2009年04月16日 | ランニング
まず最初に、「先か後か」 という話です。

数年前に近所に、サウナ、ミストサウナがある、温泉スーパー銭湯ができました。近いので、ちょくちょく利用しています。
そこで、サウナの汗を冷やして乾かしながら思いました。

ミスとサウナの石の丸い座る場所、
体を冷やすための露天風呂脇には、
同じ形の座る場所、籐のチェアー、竹製ベンチなどがあります。
それらに座る時に、手桶で汲んだお湯をかけてから座る
客が多いです。
私は、そうしません。

そんなに潔癖症でないのもあります。サウナ室のタオルが
前の客の汗でぐっしょり濡れている場合に、ひっくり返すことはあります。

私は、
それらに座った後に、手桶で汲んだお湯を「次に座る人が不快でないように」
とかけます。

他の客でも、何人かは同じようにしている人もいますが、
大半は、「自分が座る前にはお湯で流すが、イス使用終わって、立った後は
そのまま」です。

中では、ミストサウナ室は、狭いので、私が終わる時に、
お湯で流しているのを見て、直後に出る人も、同じように流してくれます。
初めてミストサウナ、という人など、「お作法」分からない人でも、
目の前で、直前の別の客である私がしたのですから、まねして、同じように
しようと思う、というパターンが多いというわけです。

露天の、イスでは、「自分が座る時でなく、立った後にお湯で流している」
をしてもあまり目立たないので、同じようにする人は増えません。


別の話に移ります。
10年以上前の新幹線を出張先目的駅で降りようとした時の話です。
降りる時に前のポケットに入れていた、弁当のごみや
飲み終わった缶などを片付けようと持って、降りようとしたところ、
隣の席にいた、同じ会社の、日本赴任後、3年目で、日本語は
だめでしたが、流暢な英語を話すドイツ人が、質問してきました。

「その座席前の網ポケットのごみを捨てて降りる客と、そのまま降りる客が
いるが、どっちが正しい?どうしろと規定されているのか?
基準は?その基準の根拠は?そのまま降りる客もいるのに、おまえは捨てて降りようとするのはなぜか?」という質問でした。

何事も白黒はっきりとさせたがる国民性なのか、彼の性格なのか、
厳しい顔で、訊いてます。

「そんな人それぞれで、規定も、基準もないよ。」という回答は
許されそうにないのが、彼の表情から分かりました。

しかたなく、数秒、考えて、
「どちらにしろ という規定や基準はないが、自分がこの駅から
座る客で、あの席だったら、前の網ポケットに空き缶とごみがあるのは
不快だ。だから、捨てて降りる。」と答えました。

まだ、彼は、多少不思議そうでしたが、とりあえず、
彼が理解できる回答はできたようでした。


マナーというと、
「マナーを守ろう」「交通マナー」
など、小学校時代から、なんどとなく言われてきた言葉で
その意味での「マナー違反」という、使われ方の「マナー」を
思い浮かべると思います。

サウナ、新幹線の 二つのエピソードも、
その意味での「マナー」について思ったことを書きました。

英語の単語 manner の意味はもっと広く、
・方法、やり方 (way が類義語)
・態度、物腰 (style などが類義語)
などの意味が、
「行儀、作法」(普通に日本語になっているマナー)
に加えてあります。

この記事を目にして下さった皆さんには、
ブックマークに載せた、パラカップ2009のホームページの、
「パラカップとは?」にある、「代表からのメッセージ」を
ご覧下さい!
「もっとパラカップ」にある「パラカップな人々」という記事
を読んで下さい!

代表やスタッフの皆さんの様子が、ご理解いただけると
思います。

実際にお会いして、お話を聞いて、
代表の、笑顔、しゃべり方、物腰、といった「マナー」
が、「話している内容」にも増して、このプロジェクトの
原動力だと思いました。
その「マナー」が、スタッフの皆さん、ボランティアの皆さん、
コーチや協賛各社や、ホームページに応援メッセージを寄稿してくれている
マーラ・ヤマウチさん、
出場者などに、「伝播していっていると思います。」

「自分のやっていることは何?」と、
仕事で、家庭で、学校で、悩んでいる人たちに、
大きな励みになるメッセージを代表が発信しえくれていて、
「マナー」で、それを、伝えてくれています。

私がこの大会を見つけて、エントリーできて、めぐり合えたのも
そういう「伝播力」のおかげだったような気がします。


「自分のマナー(物腰、言動、言い方、人への接し方など含めたマナー)
を良くすること」
が先です! と、確信を持っていうことができると思いました。

マナーを語るほど、マナーの良い人間でもなければ、
チャリティについて論評したいと思うほど、思い上がってもいません。


「譲るのは自分が先。譲られるのは後。」
「人に微笑みかけて挨拶するのも自分が先。」
運転マナーでも、「こちらが譲る。」「手でお礼の合図をしてもらう。」
ことは、その場面での事故を防ぐことだけでなく、
「いらいらせずに気持ちよく、その後、運転できる。」ことで、
伝播 するので、交通安全に大きな意味があると思います。
(運転、下手ですが、たまたま、今日、そういうことがありました。)


「自分が先に気持ちよいマナーで人に接する。」に加えて、
「そうでない人もいる。できない人を責めない。」
いきいきと生きるコツは、こんなところに尽きるのかな、
と思います。

19日は二度目の練習会、
目標は「本番でのハーフ完走」です。
前に一度完走したタイムなど気にしません。
これから、調子を上げて生きたいと思います。

写真は、私が「フラット周回コース」として走っている
遊歩道の水辺にいる、人気者です。
冬からいついてしまって、この、サギも人気者になってしまいました。
うちのちょうど前です。
ザリガニの名所で、天気の良い休日には、
親子連れでにぎわいますが、
ザリガニつりの子供たちより、全然上手に、
自慢のくちばしで、みごとにザリガニを獲って食べてます。
獲ったのがおおきすぎると、あわてて、振りほどいて、戻す姿も
愛らしいです。

長くなりましたた、
「伝播」について、もう一つだけ。
その遊歩道「フラット周回コース」を私が走っていると
散歩の親子連れの、小学校に入る前ぐらいの子供二人が
「あれときょうそうだ。」と、短い距離、挑んできました。
この、遊歩道、たくさんの人が、ウォーキング、ジョギング、
ランニングしています。
大人が走っている姿を見て、挑んできた子供たちのように
走る人がもっと増えてくれて、たくさん将来のパラカップに出場して
くれて、その中から名選手が生まれればいいな、と思います。
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明治45年生まれ、八丈島から嫁いで硫黄島に。

2009年04月15日 | 硫黄島・小笠原村
硫黄島で、7人の子供を産んでから、
戦争が激しくなり、強制疎開、その後、こちらで3人の子供を産んだ、
祖母が、本日の昼、96歳で息をひきとりました。
(生まれたのは八丈島ではなく父島だったそうです。)

昨年の集いの時に、うちの祖母が、「戦前の在住者で最高齢。」と
役員の方から、聞きました。

祖父が死んでから、ちょうど、35年半でした。
祖父の命日が10月14日ですので、半年後の同じ14日。
「二人、月命日は同じにして覚えてもらいやすくしよう。」
と、今日まで頑張ったのだろうと思いました。

時間が流れれば、世代が変わります。


あまり、硫黄島の話をしない祖母でした。
触れたくない話(軍属として
残って戦死した親戚)もあったのだと思います。
戦後は一度も硫黄島に行きませんでした。

入院して、かなり衰弱していた、1週間ほど前の見舞の時に、
「今年も、硫黄島行って、慰霊、お参りしてくるから。」と
耳元で言ったところ、「硫黄島」と聞いて、しっかり反応しました。

10年以上前に、最初に私が硫黄島に行った時に撮影してきたビデオは
嬉しそうに、見てました。

7人の子供を連れて、硫黄島から疎開した
祖母。
「としご」も二組含む7人もの子供を産んで育てたのは。
温暖で豊かな、食べるものは十分だったから
だと思います。

写真は、祖父母、母たち家族が
住んでいた場所、元山部落近くの
今の硫黄島神社です。


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4月をむかえてのいろいろ(2)

2009年04月09日 | Weblog
・映画を見に行く回数はそこそこ多いですが、
選ぶのは子供たちなので、自分で選んだ映画に行くことは、まず、ありませんが、知り合いの方から薦めらた「イエスマン」を観ました。
(定期購読愛読誌 Tarzan にも紹介記事がありました。)
笑えて明るくなれる映画でしたが、
「変えること。そのきっかけ。」ということについて、考えさせられました。


・RINさんから、(パラカップ練習会参加に)コメントをいただきました。
ありがとうございます。
パラカップ2009 公式ブログで 次回練習会日程 4月19日と
紹介してもらっていますが、もちろん、出席したいと思っています。
丸子橋-二子橋間のコースは、昨年、レースで2度、走ったコースです。
12月の10キロの時には、向かい風が強くて苦戦しました。
コンディションを整えて、練習会から4月29日の本番に向かいたいと
思っています。


・TEICの3月の結果が届きました。
最高スコアの更新はできませんでしたが、これまでの2位タイの
スコアでした。(L 485, R 455)
よく質問をされますが、「あのテストで、コミュニケーション・スキルが
計測できるのか?」「ずっと、勉強し続けて、受け続ける意味は?」

TOEICで、計測できるのは、限られた部分ですし、何度も受けていてば
パターンを知っていることで、高いスコアが取れてしまうと思います。
企業が、採用や昇進などの目安に使うことも多いTOEICですが、
「2時間集中、相当に急いで反射しながら進めないと、前半は
アナウンスについていけませんし、後半は最後までたどりつけない。」
点で、「聴いたり、読んだり、すばやく理解して反応する能力」は
必要とされて計測されているテストだと思います。

ジョギング、ランニングのトレーニングをしたらレースで力試し
をしたくなるように
英語コミュニケーションの勉強をしたら、
成果がどれぐらい出たのかの基準は知りたいので、受験し続けています。
「TOEICの高スコアが目的」ではなく、楽しく、学習を続けて実力を
上げて行きたいと思います。手抜きすると、すぐにさびつきます。
勉強を続けていると、文化的背景の違いや、選んだ教材の記事、
ニュース、などから、新しいことを学べたりします。


・応援している、好きな管弦楽団
(どうしても動かせないスケジュールと重ならない限り、
毎回、聴きに行かせてもらっています。)

- ル スコアール管弦楽団 http://lesquare.oops.jp/

- ワグネル・ソサィエティー・OBオーケストラ http://www.wagner-ob.jp/

- オーケストラ・ダスビダーニャ  http://www.dasubi.org/

- 日本IBM管弦楽団 http://www12.plala.or.jp/ibmorch/index1.htm


写真は、
2008年6月に撮影、硫黄ヶ丘の船見岩からの滑走路越しの擂鉢山です。

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小笠原丸 通称 おがまる

2009年04月07日 | 硫黄島・小笠原村
小笠原丸のおかげで、
私たちは、年に一度の、硫黄島墓参帰島で硫黄島に行くことができます。
年に2回ある、入間基地からの自衛隊輸送機での帰島は、
日帰りで、硫黄島にいることができる時間は数時間です。

父島までは、一般のお客様も一緒です。

シャワー、洗面所、トイレなども多く、
自動販売機、食堂、売店も充実していて、
長時間の航海ですが、快適です。シャワーは時間によっては
やや、混む時間帯があります。

私は、寝ている時間以外で、一番多く過ごすのは、
一番上のデッキの椅子です。雨でなければ、読書をしたり、音楽を
訊いたりしています。。
深夜には、デッキへの出入り口は閉じられます。

湿度が高い空気と、燃料排煙のかすかな匂いも、
嫌いではないです。
懐かしく思い出されます。

父島から先は、
母島から合流のために父島に来た方々と、
父島在住の方々と、
われわれ、竹芝桟橋から乗ってきたメンバーだけになります。

職員、取材スタッフ、硫黄島協会の方々、
母島父島の中学生、小笠原村民でその年に参加する方、
そして、私たち、島民です。

竹芝を出発して、すぐ、まだ、東京湾内にいる頃から、
宴席が始まります。宴会疲れも出始めると
めいめい、寝たりして過ごして父島に着きます。

一般のお客様はいませんので、父島-硫黄島 間は、
父島から乗ってきた皆さんが加わっても、小笠原丸は
すいていて、私たちは、等級の高い部屋を使わせてもらえます。
文字通り、専用、特別便 です。
個室は2段ベッド4人部屋などです。

父島を出て、翌朝、まだ早い時間には硫黄島沖に
着いています。


竹芝桟橋を出他、二日目の午前中に、
小笠原丸見学ツアーを実施してくれます。
2007年の時には、寝ていて、その見学ツアーに参加できませんでしたが、
昨年は参加しました。
機関室、操舵室などを見せてくれて、いろいろと
船について解説をしてくれます。


私は船の揺れには強く、船酔いをしません。
中には、つらそうな方もいらっしゃいます。
その時によっても、揺れ方は違いますが、
八丈島沖近くで、海流の関係から、揺れる時間帯・場所があります。
毎年、何度も乗りなれている、墓参帰島常連の猛者の方などは、
帰りのその時間帯に「いつも、この時間帯に揺れるでしょう。
揺れると食事する元気がない人が多くなるから、この時間
ちょうど、食堂が空いていて、いいんだよな。」と、豪快に言い放って、
食堂に向かっていました。

それにしても、昨年の帰りは、本当に揺れが少ない快適な航海でした。

安定した船で、揺れも大きくなければ、
機関室からの小さな振動と音とともに、心地よい眠りに
誘ってくれます、と思います。

写真は、見学ツアーで見せていただいた
操舵室のコンパスです。


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パラカップ2009の練習会参加

2009年04月06日 | ランニング
パラカップ2009のスタッフの方々の
「自分が何かをすること」が、「次の何かにつながる。」という
そういう熱意が、ひしひしと伝わってきました。

メールでご案内をいただいた
駒沢公園での練習会に申し込んで参加してきました。

代表の森村ゆきさんにお会いできて、お話を聞くこともできました。

練習会には、様々な方が集まりました。

集合場所の
Cafe Fun Run
から、コーチの先導で徒歩で駒沢公園に移動後。
ウォーミング・アップ・ストレッチ、
練習、
クーリング・ダウン・ストレッチ。

ストレッチは、いつも走る時に、
やや雑ではありますが、気をつけてやるようにはしていますが、
コーチの もっと効果的にするヒント が とても参考になりました。

シューズのヒモ(いつもの練習のランニングで、時々、途中でほどけてしまう
ミス をやってしまいます。)の結び方も、とても役立つ情報でした。

駒沢公園は初めてでしたが、100mごとに表示があり、専用レーンに
なっている2140メートルの周回コースでした。
後半で、花見客で混雑している部分があった以外には
アップダウンもほとんどなくて、走りやすいコースでした。

2キロ タイム・トラアル、久しぶりに短い距離本気走は、
学生時代の1500メートルの乗りで、楽しく気持ち良かったです。

ですが、コーチの意図は「タイム・トライアル」ではなく、
「ペースを意識して走ろう。」「思っているペースで走るのは
案外難しいと知りましょう。」でした。

いつも時計をしていて、ペースを意識しながら、
足の具合やコンディションなどから、ラップとタイムを
予測しながら走っています。ゴールしてから計測して、
予想どおりの時と、速かったり遅かったりずれている時があります。

キロあたり目標を自己宣告して、2キロの地点で、
タイムを読み上げてもらいました。
コーチが抜いていき、背中がだんだん、遠くなるぐらいの
スピードでペースメーカー役にもなってくれて、
2キロ地点に先回りして、タイムを読んでくれました。

「1キロ 4分20秒ペース、2キロ 8分40秒」を宣告しましたが、
結果、7分40秒(キロ3分50秒ペース)でした。
はいりの400メートルが80秒だった、とコーチが教えてくれました。

先週のアップダウンの多い多摩ロードレースと翌日の調整ランニングの
筋肉痛が残っていましたので、「2キロでもキロ4分は難しいだろう。」
と思ってのトライでした。

楽しく、気持ち良かったのは良かったのですが、
今も、ひどい筋肉痛です。消炎鎮痛薬、自分でマッサージ、
サウナ・温泉で、やや回復しましたが、痛みはひどいものでした。

コーチが、バネで前に進む走り方の見本、バウンディング、
大きなスキップなどを見せてくれました。

2キロのトライの時に隣を抜いていった時の走りも、
「あれが、体幹のバネで、前への推進力の反発を地面からもらう、
という走り方の見本だな。」と思って、見ていました。

体幹、足を丹田(へそ下5センチ)の真下につく、ひじを後ろに引く、
上下動は小さく、前方を見る、
など、いつもの練習ランニングで意識はしています。

しかし、このていたらくの筋肉痛です。

コーチに、「いつも、ふくらはぎからアキレス腱が痛くなります。」と
質問をしたところ、
「無駄に後ろに蹴り上げすぎが原因。」と、教えてくれました。

練習会での2キロ走も。いかに、バタバタと蹴っていて、バネを使った
走りができていなかったかが、この、筋肉痛のひどさで分かります。

また、ストレッチでも、体の硬さと、バランス力の低さが
よく分かりました。

意識はしても、筋力を含めた身体能力で、「バネを使った走り」
ができていないのと、
「意識」のピントが合っていない、の両方だと思います。

きちんとしたコーチの方に教えてもらうことが大事だな、
と思いました。これからは、参加できるものがあれば
参加して、無駄のない走りに少しでも近づけたいと思いました。

教えて下さった、白方コーチのクラブ Top Gearのサイトは
ここ。http://topgear-rc.jp/

「どこかで見たことがある。」と思ったら、
定期購読している愛読誌 Tarzan の つい先ごろの号、
529号(最新は昨日郵送されて届いた、532号)
「みんなのランニング」の中で
「走り始めるならこれ。各社いち押しのランニングシューズ!」
で、シューズの解説記事を書いているのが、白方コーチでした。

シューズといえば、店で、軽い、レース用モデルを
手にしたり、ためし履きしたりすると、
「どうして、こんなに、軽くて、ソールが薄いのを
履いて、あんなに長い距離を走って、足、脚を痛くしないのだろうか?」と
いつも、不思議なのですが、
無駄のない推進力を出せるバネを使ったコーチのような走りができていれば、
接地のショックなども少なく、レーシング・モデルでスピードが
出せるのだろう、と思いました。
一足、持っていますが、サイズは合っていますが、
5キロも走れません。かかとや、アキレス腱の
左右などがすぐに痛くなってしまいます。



集合場所、拠点を提供して下さったお店、
Cafe Fun Runの情報はこちら。
http://r.gnavi.co.jp/e188300/

お店で、事前に調べて楽しみにしていた、
スモークベーコンを買いました。絶品でした。


パラカップ2009の次回の練習会の
予定、概要も、森村ゆきさんから発表がありました。

写真は
今年の6月の墓参帰島に参加の時には、
また走ってみたい(安全に。去年とは別のコースをできれば、、、)
硫黄島。
2008年6月の訪問の時に、擂鉢山山頂から小笠原丸繋留の
釜岩方向を撮影したもの。小さく見える、小笠原丸より
右側、写真、中央部分の海に見えているのが沈船群です。


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硫黄島、小笠原の地形(2)

2009年04月05日 | 硫黄島・小笠原村
硫黄島写真館のおさピー様から、コメントをいただきました。
ありがとうございました。
訪島が近づくにつれ、気候などが気になるようになります。
5月も、もう猛暑だと思います。今後とも、いろいろと
教えていただけますようお願い申しあげます。

父島の地形と比べると

一方の硫黄島は、かなり砂浜が多いです。
上陸地点の釜岩は、戦前は島だったものが隆起で地続きになった
地点ですから、平らな浜で島とつながっています。

島全体が1枚の写真におさめられる距離から見る硫黄島は、
最高点は擂鉢山の169メートルですが、
写真だと、ほとんど、平らな低い島に見えます。


2008年06月26日投稿の
「小笠原丸が島を離れる時2008(5) コメントへのお礼」の写真が、
ちょうど、左右いっぱいに写真1枚に島全体が入る距離からの
もので、右端が島の南部の擂鉢山で、左端が島の北東部という位置からの撮影です。
島の中央やや左側から、ちょうど、見ることができた虹が出ているのが
写っています。

あの写真が、奥の遠い方に擂鉢山という位置関係であることもあり、
ほとんど、まったいらに見えます。

ところが、離れて海から見る標高が低そうに見える島ですが、
場所によっては、砂浜からすぐに、段丘状になっていたりなど、
上陸してみると、大小さまざまな
かなりの高さの起伏があることが分かります。


鶉石が取れる浜、擂鉢山のふもとの東側の
揚陸海岸もそうです。
その浜まで降りるのにかなりの坂になっています。


三つの映画、
・「史上最大の作戦」(1962年、豪華キャストによるノルマンディー上陸作戦の映画)
・「硫黄島の砂」(1949年) (史上最大の作戦にもジョン・ウェイン主演)
・記憶に新しい 「父親たちの星条旗」

どれにも、激しい揚陸作戦の場面があります。
史上最大の作戦では、ジョン・ウェインは、内陸から攻めるパラシュート舞台の指揮官役で、激しい、上陸の場面の主役は、ロバート・ミッチャム。

ノルマンディーについては、ペイパーバック「D-Day」を図書館で借りて
読みました。
また、どの舞台がどんな動きをしたかについて、英語のサイトですが、
詳しく解説されています。
http://search.eb.com/dday/browse?browseId=237168

映画「史上最大の作戦」では、ノルマンディー上陸作戦は
敵の虚をついて実施されていますが、それでも、
守備部隊を殲滅して、守備網を突破するのに、
激しい戦闘が展開された様子が描かれています。

硫黄島上陸作戦では、
米軍が、予想をはるかに超える犠牲者を出しました。
これまで、読んだ記事などによると、米軍側も硫黄島の
様子は知っていたので油断はしていなかったものの、
事前に「擂鉢山の形が変わった」といわれるほどの
艦砲射撃など砲撃を加えていたので、
日本側の戦力が、あれだけ、残っているとは
考えていなかったのだろう、と思われます。

戦闘の様子については、
検索すると、いろいろな記事がありますし、
「父親たちの星条旗」の本にも詳しく書かれています。


あの、揚陸海岸が、波打ち際から段丘まで、
ほんの数十メートルの幅だったろうと思うと、
あそこに、押し寄せた、上陸艇から降りてきて
狭い浜に密集して、段丘突破に向かおうとした兵士たちは、
映画の場面にあるとおり、「狙い撃ち」だったろうと思われます。

それぐらい、あの浜は狭く、
硫黄島には、実は、戦闘にとっては、決定的だったと
思われる様々な「標高」があります。
ということが、島に行ってみると分かります。
決して、「平らな島」ではありません。


この写真は、珍しい角度からのものだと思います。
島を離れる時に小笠原丸が一周してくれるので
撮影できる角度です。

高さはそれほどでもないですが、
砂浜がなく、段丘がそのまま海におちている様子が
分かると思います。

島の、ちょうど、擂鉢山の反対側北西端を回っている時の撮影です。
なので、擂鉢山が写っていない島全景の写真、というわけです。

向かって右側に擂鉢山が見えている角度から、だんだん、擂鉢山が
小さくなり、この擂鉢山が見えない角度になってから、
しばらくすると、やがて、また、今度は、向かって左側から擂鉢山が
現れます。

どんどん、擂鉢山が大きくなり、揚陸海岸沖を小笠原丸は進み、
今度は、擂鉢山しか見えない角度に回り込みます。
その頃には、夕日も沈んでいて、暗い擂鉢山の裏側が見えるという
時間、位置になります。

父島、硫黄島、南硫黄島のそれぞれ標高と、
父島と硫黄島を海から見た様子と、実際に上がってみて感じる高さと、
広さと高さの割合、縮尺というものについては、
いろいろと考えさせられました。
コメント

4月をむかえてのいろいろ

2009年04月04日 | Weblog
4月も1週間過ぎてしまいました。
この土日が、お花見のピークだと思います。

いくつか、お伝えしたいことを混ぜて。

(1)英語学習の番組の改編時期
4月になる前がお伝えする時期で、遅れてしまいましたが、
ラジオ、テレビの英語学習番組と、海外ドラマの改編時期である
この時期は重要です。
欲張りすぎずに、ちょうど良いレベルのものを、低すぎても
効果がありませんし、ついていけないのも意味がありませんから、
選択して学習を開始する時期です。

NHK語学番組のサポート サイト「ゴガクル」を、
ブックマークに加えました。

BS海外ドラマも、
見続けると分かるようになるストーリーが分かりやすい
「名探偵モンク」と、
多種多様な主人公たちが登場するコメディかと思ったら
実はサスペンスだった「デスパレートな妻たち」の
新シリーズです。
ドラマや映画は、「分からないところがあって当然」という
心構えで、挑戦してみるのも良いかと思います。
映像に手伝ってもらって夢中で見ているうちに、
耳にはいってきて理解できるようになったりします。



(3)パラカップ2009のホームページを
ブックマークに追加いたしました。
「ただのランニング・レース大会ではない!」
大会の主旨、様子、いろいろな方々の声が
掲載されています。
ホームにリンクがある、公式ブログと合わせて、
ぜひ、ご覧いただきたいサイトです。

(4)今年の硫黄島帰島墓参が、6月19日から25日と
知らせが入りましたので、
小笠原丸での旅が、恋しく待ち遠しく思い出される時期になりました。
小笠原海運のホームーページをブックマークに加えました。
小笠原丸の案内に加えて、小笠原ガイドもあります。


写真は、昨年12月に撮影した静岡県富士宮市浅間大社からの富士山です。
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