OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

宮城県の亘理郡亘理町と角田市に行ってきました。(10)

2011年11月24日 | 宮城県
これも、また、角田市の高蔵寺の庭園の秋の風景の写真です。高蔵寺は白石から角田に向けて峠を越えて、山道の下りが終わる直前あたりにあります。この写真で、今回の11月12日、13日に、宮城県の亘理と角田に行った時の写真の紹介は終わります。 明日からは、9月に行った時の小笠原丸から撮影した硫黄島の写真の紹介に戻ります。硫黄島の写真をあと何枚ぐらい紹介するか、まだ、決めていません。今、紹介しているのは1周目の、西側を小笠原丸が北上していて間もなく硫黄島の北側を回り込むために進路を北向きから東向きに変えるあたりの写真です。擂鉢山から一番遠いあたりです。硫黄島の写真の紹介が終わったら、今度は、北硫黄島の写真を紹介する予定です。
コメント

宮城県の亘理郡亘理町と角田市に行ってきました。(9)

2011年11月23日 | 宮城県
四方山から南西方向を撮影した写真です。写真の右側、小さな森がある場所に校舎が写っているのが、角田市の藤尾小学校です。藤尾小学校の5年生、6年生は、学校から歩いて四方山まで登るそうです。車でもかなり大変な山道なので、小学生の体力でここまで登ってくるのは大変だと思います。この四方山、海側の北西方向には亘理町の長瀞小学校が見えて、逆側を見ると、角田市の藤尾小学校が見える位置です。 四方山の展望台まで行ったのは今回が初めてでした。四月の初めに行った時にも上ろうとしたのですが、もう、車で山頂に着いたかと思った時に、山頂は救援活動にきた自衛隊の一隊がいて、ちょうど、人を乗せた車両が降りて着始めたところで、すれ違いできずに、道幅が広くなるところまで、山道をバックで下りました。その後、車の向きを変えて、下りました。
コメント

宮城県の亘理郡亘理町と角田市に行ってきました。(8)

2011年11月22日 | 宮城県
この写真は四方山から西の角田市街地の方向を撮ったものです。手前に見える阿武隈川は、亘理町と岩沼市の間の河口に向かって、北上してから回り込むように東南に向きを変えて流れます。 台山公園のH2ロケット(角田市スペースタワー・コスモハウス)が見えます。その後ろ側は、坂上田村麻呂が建立したと伝えられる斗倉寺がある斗倉山です。「おとくらさん」と呼ばれています。この四方山から降りた後に「おとくらさん」にも行きました。
この写真でも、角田が東西に山がある盆地であることが分かると思います。この前日の11月12日に、車で角田から白石蔵王駅に行って、角田を通って山元、亘理に行ったのですが、角田は朝から濃い霧でしたが、白石との間の峠を越えるとすぐに晴れてきて、また、角田に戻ると霧の中で、トンネルを東に抜けると、亘理も晴れで良い天気でした。
コメント

宮城県の亘理郡亘理町と角田市に行ってきました。(7)

2011年11月21日 | 宮城県
四方山(宮城県角田市と亘理郡亘理町と亘理郡山元町にまたがる)の展望台から、亘理町の荒浜、鳥の海、長瀞方面を撮影した写真です。左奥側のドーナツ状の海が鳥の海で、その上側に広がるのが鳥の海温泉の建物もあった荒浜地区です。荒浜中学校やいくつかの鉄筋の建物以外は全てが津波で流された壊滅的被害を受けた地域です。この地区の北側が阿武隈川の河口です。
この写真でも奥から手前側に、常磐自動車道と、それより手前側には国道6号線越前浜街道が通っているのが見えます。
鳥の海地区の南側、この写真では右側に広がっている地区が、震災後に、何度か、津波をかぶった家屋の泥かきなどの作業を手伝いに行った長瀞地区です。大きな緑の屋根が見えている建物は長瀞小学校の体育館です。とても目立つ建物です。長瀞小学校の校舎では、この体育館は、日中は地元の方に開放されるようになっているそうです。この校舎は再開されていなくて、長瀞小学校は、吉田中学校の校舎の一部を借りています。この写真の長瀞小学校から左手間側の、常磐自動車道を手前に越えた場所に校舎が写っていて見えるのが、吉田小学校だと思います。長瀞地区では、住めなくなった家と、戻って住めるようになっている家とが混ざっている地区です。4月に行った時の様子が嘘のように、片付いていますが、住むところを失って引っ越したり仮設住宅に住んだりしている家族がいます。
コメント

宮城県の亘理郡亘理町と角田市に行ってきました。(6)

2011年11月20日 | 宮城県
宮城県の角田市と、亘理郡亘理町、亘理郡山元町にまたがる、四方山の展望台から山元町方面を撮った写真です。津波被害が大きかった地域なので、こんなになる前にはもっと建物も多かったでしょうし、イチゴのハウスなども多かった辺りかと思います。車が通っている場所は、震災前に山元ICより北側は開通していた常磐自動車道の山元ICと亘理ICの間です。この高速道路の路面が高くなていて土手になっていて、津波の水は、この高速を境にして多くの水が押し寄せた地域とそれほど水が来なかった場所がくっきりとしている場所が、亘理町には多いです。震災後最初に行った4月初め時に高速の土手を境に、流されて散乱したものの数、被害のひどさがくっきり分かれていました。 昨年、来た時には、亘理から陸前浜街道を南に下って福島県に入り、福島県側で開通していた富岡ICから常磐自動車道に乗って帰ってきたことがありました。富岡ICまでの一般道はかなり時間がかかりました。富岡ICから山元ICまでつながる計画があったので、「開通すれば亘理、角田に来るのが近くなる。」と楽しみにしていました。震災の前には、平成26年度の全線開通が発表されていました。
コメント

宮城県の亘理郡亘理町と角田市に行ってきました。(5)

2011年11月19日 | 宮城県
亘理郡の亘理町の南隣の山元町で撮った元コンビニだった建物跡です。山元町の海岸近くには、以前に行った時には入れずに初めて行きました。山元町の被害がひどかった様子も報道もされていますし、犠牲になられた方も多くでた被害が大きかった地域です。亘理町とも違う光景が広がっていました。亘理町の鳥の海地域に入る場所のガソリンスタンドは、大きな被害を受けた様子が痛々しかったのですが、今回は、きれいに修復されて再開されていました。場所にもよりますが、津波の被害があった地域でも再開しているお店なども見られたりするのが亘理町です。ところが、山元町では住民や商店の人などは戻っていません。まったく流されてしまっているか、少しだけ建物だったころの様子をとどめている廃墟が広がるばかりです。災害危険区域に関する条例で、「アパート、マンションなどの居住用の建物の新増改築」ができない地域です。 実質は、このあたりも震災の津波の被害により、「戻ることができない故郷」になってしまっている地域である様子を見ました。 私のこのブログは、「日本なのに戻ることができない故郷の島」を紹介することを目的で、やってきています。 震災で、また、悲劇の「戻れない地域」が。この国に増えてしまいました。原発事故の被害と津波の被害とで、住民が住めない場所が増えてしまったことは、悲しいことです。いつ、どれぐらいの地域に、どれぐらいの人が戻れるのかが分かりませんが、一日でも多く、一人でも多くの人が故郷に戻って住めるようにとお祈りいたします。
コメント

宮城県の亘理郡亘理町と角田市に行ってきました。(4)

2011年11月18日 | 宮城県
津波で壊滅的な被害を受けた宮城県亘理郡亘理町の荒浜漁港近くです。津波で建物、船、車が散らかっていたのはすっかり片づけれていました。片づけの車両ももう見えませんでした。この写真のように、がれきが台形状の山に片づけられていました。木材の山などのように分別されてそれぞれの山にされていました。7月の初めに来た時には、重機が、このがれきの山を作っているところでした。 
この荒浜漁港、鳥の海地区には、釣りをしている人が多くいました。まだ、道路は通れないところがあり、昨年来た時に通った亘理町長瀞方面からの道はつながっていませんでした。震災後初めて来た時の様子をこのブログで紹介した時の写真にあった1階部分が流されて2階部分だけが浮くように残っていた漁協の建物はすでに撤去されてなくなっていて、その場所の道路をはさんだ向かい側に、「釣用品きくしん」というお店が再建されて営業中で、「はらこ飯弁当」ののぼりが立っていました。 ほとんどの建物が流されてしまったこの地区の復興が確実に進んでいる様子を見ることができました。
コメント (1)

あの頃チャンネル(2011年10月23日~2011年11月16日)亘理町と角田市

2011年11月17日 | 宮城県
あの頃チャンネル(2011年10月23日~2011年11月16日)亘理町と角田市
コメント

宮城県の亘理郡亘理町と角田市に行ってきました。(3)

2011年11月16日 | 宮城県
これは高蔵寺の阿弥陀堂です。平安末期の建物です。
コメント

宮城県の亘理郡亘理町と角田市に行ってきました。(2)

2011年11月16日 | 宮城県
この写真も宮城県角田市の高蔵寺の庭園です。
コメント