不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

2010年 今年の硫黄島(1) マイマイ

2010年07月31日 | 硫黄島・小笠原村
今年の6月の、小笠原丸に乗っていった硫黄島に一泊の慰霊墓参訪問島は、同じ6月の硫黄島訪問が5年連続(まだ宿泊施設が無かった小笠原丸に戻っての船中一泊だった時を含めると、小笠原丸での訪問が6回目、自衛隊機での日帰り墓参を含めると9回目の硫黄島でした。)でした。
毎年、日程や行事、行く場所は、そんなに様変わりしませんので、同じような場所を巡ることになりますので、年を経るにつれて、「今年、初めていった場所、見た物、撮った写真」ということで紹介できるものは少なくなります。

そんな、年々数少なくなる、「今年ならではのもの」を紹介したいと思います。
同じような場所に行っても、これまでに見ていないものは、その年による、気候や天気の違いで見られることが多いです。たとえば、同じ場所で撮った写真でも、夕焼けや虹など、その年ならではの条件で見ることができたものを、これまでにも、紹介してきました。


今年の最初に紹介するのは、「マイマイ」の写真です。
この写真のマイマイは、パパイヤの木にいました。かなり大きくて、7-8センチの大きさでした。
場所は、戦前の元山集落の近く、元学校があった方向から硫黄ヶ丘に行く道を歩いている時に見つけました。

時間は、硫黄島に上陸した1日目の、最初の行事の慰霊式典から昼食をはさんで、午後の日程である、「それぞれの出身集落への里帰り」の時間でした。
戦前の島の中心だった元山集落が、出身集落で「里帰り」の場所として行く人は、5年前には私ともう一人だけ。その後も人数が少ないことがありましたが、昨年はかなりの人数で「元山への里帰り」をしました。ところが、今年は、また人数が減って、私と同行者以外には一人だけという三人でした。私たち三人に、同行してくれた小笠原村議会副議長の4人グループで、硫黄ヶ丘から、硫黄島神社、他のグループに合流するために、漂流木への里帰りの皆さんのいる場所までの徒歩での移動、をしました。


毎年、この写真を撮影した辺りはよく歩いています。私の祖父が住んでいた(母が生まれた)家があったをされる場所も、このすぐ近くの場所です。
ところが、硫黄島で、マイマイを見たのは今年が初めてでした。
この写真のマイマイ以外にも、4、5センチぐらいのマイマイが道路にたくさんいました。

今年にかぎってマイマイが多数見られたのは、今年は、私たちが行った時期の直前まで、硫黄島を含む小笠原一帯が、雨がかなり多かった雨季であったからだと思われます。行き帰りに寄った父島も含めて、今年の小笠原は、例年のような夏の猛暑と比べると、まだ、暑くなりきっていない、じめじめした時期で、雲やガスが多き天気でした。

まだまだ、これまで見たことがない生物が、数多く、動きまわる時期があることを知りました。

数年前には、大量に発生した、大きめの毛虫が海辺に降りる道を、大行進している様子を見ました。
あの年の毛虫たちも、今年のマイマイたちも、ごく短い日数だけ島のある場所で、大量に生きて動きまわり、姿を消すのだと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第155回 TOEICの結果

2010年07月28日 | TOEIC
受験後にもレポートしました、6月27日にあった第155回 TOEICの結果が届きました。

前半のListeningは満点の495、後半のReadingは、いつもに比べて低いスコアの385、
トータルは880でした。

前半のListeningの満点495は、これで4回目です。後半は、時間が足りなくて、これまでになく多くのマークをやり残し(でたらめマークだけして時間終了)でしたので悪いのは分かっていましたが、2002年7月に415を取ってからは過去35回連続で400以上でしたので、久しぶりの300台という不名誉なスコアを取ってしまいました。
前半後半のトータルでも、昨年、940を取った時から、4回続けて900に及ばないスコアとなってしまいました。

前回の5月の第154回では、
前半が415で、後半が475のトータル890でした。

前回の後半のReadingと今回の前半のListeningの 良かったパート同士のスコアの合計でしたら970という高スコアになっていたのに、
二回続けての、前半と後半のアンバランスと、前回と今回との、良かったパートがバラバラという結果が極端になっていました。

この結果は、まだまだ、「実力がないのでスコアが不安定。その日の調子とリズムの良さによる出来と不出来の差が大きすぎる。」ということの表れだと思います。

前半のListeningは、受けた後の、このブログの記事では、
「パートのⅣは、リズムよく、「先へ先へと問題文を読む」ことができたせいもあったと思いますが、いつもより難易度が低かったと思います。 」と言っています。

いつもよりは、簡単に感じて、リズム良くやれたという感触はありましたが、最高スコアの495が取れているとは思いませんでした。これまでの過去3回の495を取った時も、「まずまずできたかな。」という感触だったのは同じでした。前半のListeningは、後半のReadingよりも、採点が甘めで、いくつかの不正解問題があっても満点が取りやすい(同じ、10問不正解で90問正解だった時の、換算点の期待できるスコアは前半Listeningの方が後半Readingより高い)ので、「まずまず出来た感触がある。」で、満点のスコアということがあります。

後半Readingのスコアが悪かったのは、「時間内に最後までやりきれないと、高スコアは期待できない。」ということですので、何度受けても難しいことですが、上手く時間配分して集中力を切らさずに、最後まで解ききることが大事だと思います。


7月25日の第156回は申込まずにパスしました。
次回は9月の第157回です。数年前から、3月と9月開催は、月末近くの日曜ではなく、月半ばの日曜開催というスケジュールになっていて、今年は9月12日です。

ちょうど、ご案内の往復葉書でお知らせいただいた、毎年恒例の「硫黄島島民の集い」
が9月12日なので、重なってしまっています。その次は10月開催です。基本に忠実に、基礎力をブラッシュアップさせて次のTOIECに臨みたいと思います。



写真は、6月の硫黄島訪問時に私達が宿泊した硫黄島平和祈念会館のクロネコです。施設維持管理をして下さっている方も餌を上げてくれているようで、すっかり人には慣れています。子供らしきクロネコと一緒に平和祈念会館に住み着いています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2010年6月硫黄島慰霊墓参 擂鉢山(7)

2010年07月27日 | 硫黄島・小笠原村
今年の、擂鉢山(すりばちやま)紹介のラストは、この写真です。

硫黄島を離れる前の小笠原丸で島を一周している時で、時間は、そろそろ関係者での船上からの献花の時間が近づいてきている、日没の直前でした。船は南に向かっていて、すり撥山の真東にかかるところ、この後、擂鉢山の真南から裏側を通って、進路を西向きから北上に変える前です。

水平線上に太陽がかかる時間は、これより後、船が北上を開始した後の時間で、船からは西側の太平洋の水平線上に日が沈んだのですが、
島の高さ(厚さ)がある分だけ早い時間で、この写真を撮影した時間が硫黄島の上に太陽がかかる時間帯でした。

この日の、日中の時間帯にも、擂鉢山のところにだけガスがかかる姿が見られましたが、
この時にも、まるで、擂鉢山がベレー帽をかぶっているような、神秘的な姿を見せました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2010年6月硫黄島慰霊墓参 擂鉢山(6)

2010年07月04日 | 硫黄島・小笠原村
この写真の擂鉢山(すりばちやま)は、この前紹介した係留が完了した小笠原丸から撮影したのとほぼ同じ角度ですが、これは、いよいよ二日の日程を終えて、硫黄島を後にして小笠原丸に向かう艀の上から撮影したものです。
擂鉢山のあたりに、この時間また雲がかなり多くなってきています。擂鉢山と隣に停泊している小笠原丸が写っている写真は好きな写真です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2010年6月硫黄島慰霊墓参 擂鉢山(5)

2010年07月04日 | 硫黄島・小笠原村
次の擂鉢山(すりばちやま)の写真は、鎮魂の丘から撮影したものです。鎮魂の丘の場所は硫黄ヶ丘より南側で擂鉢山にもやや近いです。
二日目の午後に撮影しましたが、その時間帯には、午前に見た時に擂鉢山を覆っていたら薄雲のベールはなくなっていました。

鎮魂の丘はきれいにハイビスカスやブーゲンビリアが植栽されています。「鎮魂」の石碑に向かって、まっすぐ後ろ側の方向だけ、植物がなくて、展望が空けていて、ちょうどその方角が、角度でいうと西南西、擂鉢山が見える方向です。石碑の裏側にまわって撮影したのがこの写真です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2010年6月硫黄島慰霊墓参 擂鉢山(4)

2010年07月03日 | 硫黄島・小笠原村
この写真は、この前の写真とほぼ同じ位置、硫黄ヶ丘から、二日目の午前に(二日目は、戦跡や慰霊碑などを皆でバスでまわります)寄った時間に撮影したものです。前の写真より擂鉢山が大きいのはズームを使ったからです。

この時間の硫黄島は、このように神秘的な薄く黒いベールにつつまれていました。透かして山の形が分かるのですから、非常に薄い雲、ガスのようなものが、すっぽりと擂鉢山(すりばちやま)を覆っています。
( → 同じようにすっぽりと擂鉢山を覆うベールを、今回の訪問では、この後の時間にも見ることになります。)

擂鉢山だけが高い地点であるために、気流の流れなどに影響をするのか、昨年はスコールの雲が擂鉢山の場所だけに空高くからカーテンのように垂れている様子が、小笠原丸(硫黄島を離れる時の島一周の時間)から見られたり、擂鉢山の部分だけが他の部分と違うことがある例を今年も見ました。

この日(今年の二日目)の硫黄島の天気は雲の動きが複雑でしたが、昨年のようなスコール雲はありませんでした。


擂鉢山豆知識 :
擂鉢山は別名、「パイプ山(あるいは通称でパイプ)」と呼ばれます。戦前に住んでいた島民は特に「パイプ(山)」と呼んでいたようで、「パイプ山への遠足」のように使われていました。母もよく、そう呼んでいました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2010年6月硫黄島慰霊墓参 擂鉢山(3)

2010年07月02日 | 硫黄島・小笠原村
今年の擂鉢山(すりばちやま)の写真の紹介の3枚目は硫黄ヶ丘から撮影したものです。一日目の午後の「それぞれが出身へ里帰り」の時間に戦前の元山が私の祖父母、母と兄弟たちが住んでいた場所でしたので、当時の元山に一番近くて分かりやすい地点である硫黄ヶ丘に行きます。

写真の右側の岩は、硫黄ヶ丘の真ん中にあって高くて目立つ船見岩です。戦時の砲弾の当たった痕が大小たくさん見えます。船見岩の左側、写真の中央の奥に小さく見えているのが擂鉢山です。
この写真を撮った硫黄ヶ丘が、ほぼ島の真ん中あたりにあります。そこから見える擂鉢山がカメラのズームを使わないとこれぐらいの大きさにしか見えないほど距離があります。硫黄島は「小さそうで案外大きな島だな。」と感じます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2010年6月硫黄島慰霊墓参 擂鉢山(2)

2010年07月01日 | 硫黄島・小笠原村
今年の慰霊墓参の硫黄島の擂鉢山(すりばちやま)の写真紹介の二枚目は、私達一行が上陸する直前に、既に硫黄島の釜岩沖の計留置に停泊している小笠原丸の船上から撮影したものです。硫黄島に到着して最初に見る擂鉢山の姿です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする